10月も終盤に差し掛かった頃、今年は昆虫採集をしていないことに思い至った。
なんとしても、今からでも虫たちと戯れたい衝動が抑えがたくなってきたので、思い切って、まだ暖かさののこっていそうな石垣島に生き物観察に行くことにした。そこにしかいない生き物をできるだけたくさん見られればいいやという気持ちもあったけれど、一番の目当てはヤエヤママルバネクワガタである。
マルバネクワガタは沖縄県の島嶼に生息しているのだが、離島という隔離された環境ゆえに、沖縄本島北部のオキナワマルバネクワガタ(通称:オキマル)、石垣島・西表島のヤエヤママルバネクワガタ(通称:ヤエマル)、与那国島のヨナグニマルバネクワガタ(通称:ヨナマル?)などに細かく分かれて進化している。それぞれのその島でしか見られない、とてもレアな虫なのだ。
石垣島へ
というわけでやって来た。記念すべき初の石垣島遠征だ。
泳いだりするには若干の季節外れであるため、空港は比較的落ち着いた雰囲気だった。とはいえ、夏を追いかけて南にやってきた私にとっては幸いなことに、ここの天気はまだまだ暖かい。さすが石垣島だと感心したけれど、聞くと、今年は例年の同時期に比べても暖かいのだという。
レンタカー屋で車を借りて走る道すがら、その辺に繁茂している緑が深いのに驚いた。歩道の上でさえ、ところどころここは草原かしらと思うほどに雑草が生い茂っているのだ。木を抜いたら何もかもが植物に呑まれてしまいそうだと思った。
交差点で信号待ちをしていると、犬が寄ってきた。首輪をしているので誰かの飼い犬なのだろうが、それにしてはあまりに自由すぎるのではないだろうか。車道のど真ん中を歩いちゃってるし。ともあれ、人間を除けば、島で最初に出会った動物だ。ウェルカム・ドッグである。
寄ってきてくれるのはうれしいのだけれど、警戒心をほとんど持ち合わせていないらしく、そのうち車に轢かれやしないかと心配である。
のんびりと草を食む石垣牛たち。
昼間は普通に観光することに
本格的な生き物探しは日没後にして、日中は普通に観光をすることにした。
展望台に上ると、島のほぼ全域を見渡すことができた。離島なのだから周囲を海に囲まれているのは当たり前なのだが、身近に水平線がある生活ってどんな感じなんだろう。
ハイビスカスの花に、アカホシカメムシがとまっていた。
お昼は島北部にある明石食堂というお店でソーキソバを食べた。
これまで食べた中で、文句なしで一番美味しかった。
石灰岩の張り出したいかつい海岸線。大根おろしが作れそうなくらいゴツゴツしている。
アダンの実。最初こそ珍しがっていたけれど、海岸のそこらじゅうに生えているのですぐに慣れてしまった。
オフシーズンとはいえ、これだけ綺麗な海を目前にして泳がないわけには行かない。海に潜ると、華やかな色の魚たちと戯れることができた。捕って食べたい欲がムクリと湧いてくるのを感じたけれど、ここは禁漁区なので叶わない。その代わり、襲われないとわかっているのだろうか、手が届きそうなところまで近づいても逃げないものもいた。
夜が来た!
そうこうしているうちに夜になった。生き物観察の開始だ。
リュウキュウコノハズクが電灯の上にとまっている。
ヤエヤマオオコウモリも現れた!図鑑でしか見たことのない生き物たちが続々と目の前にに出てくる。熱帯の夜は、闇の中のそこかしこにいろいろな生き物が這い回っている気配がして、否が応にも興奮が高まってくる。
クワガタを探すためには山の方に移動しなければならない。市街地や幹線道路を少し外れると、この通りの真っ暗闇だ。
ヘッドライトは必須である。
ヤエヤママルバネクワガタはイタジイという木によくいるらしいので、それっぽい木があるところを中心に散策する。
ふと上を見上げると、小鳥が木にとまって眠っていた。こちらに気づいて驚いたのか、写真を撮った直後に逃げ出してしまったので、悪いことをしたと思った。
予断だが、ほとんどの鳥はいわゆる鳥目ではない。暗くなってもある程度はものが見えているそうだ。
クワズイモの大きな葉の上に、サガリバナの花が落ちていた。夜に咲いて朝には花が落ちてしまうという儚い花である。
キリギリスの仲間(だと思う)。
集団で眠るアオスジコシブトハナバチたち。青く光る腹が綺麗だ。相当近づいているが、まったく逃げ出そうとしなかった。君たち、あまりに無防備じゃないかい?
カマドウマ。こいつのほかに、ズングリウマという名の虫も生息していて、文字通り普通のカマドウマよりもさらにズングリしているらしい。名前を聞いて「ズングリしているからズングリウマだなんてて...」とちょっとかわいそうになるネーミングに興味を引かれただけに、今回見られなかったのは残念だ。
サソリモドキ。サソリのような毒はないけれど、強い刺激をもつ酸性の液体を噴射することがある。サソリとクモをあわせたような外見で、攻撃方法はミイデラゴミムシとそっくりという、他の生き物から借りてきた特徴の寄せ集めで中途半端感があるが、他者の良いところをどんどん取り入れていく姿勢は見習わないといけない。
オオシママドボタル。胸部の上端に穴が二つ開いていることからの、この名前である。穴が開いたことで、後方が見えやすくなったりするのだろうか。
オオシママドボタルの幼虫。ヘッドライトを消すとあたりは本当に真っ暗になるので、光を放つホタルはかんたんに見つけることができる。
すっかりおなじみになってしまった外来種のオオヒキガエルもいた。在来種の虫を大量に捕食してしまうので目の仇にされてしまっているが、オオヒキガエル自体はゴツゴツとした造形がかっこよくて魅力的な生き物だ。もちろんここにいてはいけない存在ではあるけれど。
地を這う生き物たちが面白いので、ついつい目線が下がってしまった。クワガタを見つけるには、木の上の方を探さないといけないのだ。イタジイの木を探しながらどんどん森を分け入って行くことにした。
ヘッドライトの光が、ついに黒光りする甲虫を捕らえた。
「いたああああああ!」
と興奮して駆け寄ったけれど、なんだか小さい上に角も生えていない。
これは、オキナワコカブトムシというカブトムシの仲間である。
角が生えてないなんていってごめん。ほとんど出っ張りといったほうがよさそうなくらいの小ささだけれど、カブトムシの名に恥じず、ちゃんと角が生えているのだ。
とてもかわいらしい外見だが、こう見えて肉食の昆虫である。
それにしても、島嶼部の生き物たちには、オキナワ〇〇とかヤエヤマ〇〇とか、頭に地名がついているものが多い。沖縄に限らず、北海道の生き物にも頭に「エゾ」がつくものがたくさんいる。隔離された環境の生き物は地名を冠した名前をつけられがちであり、それがレア感を出すための記号のようになっていておもしろい。
ヤエマルと対面する
ガサッガサッと森の中を分け入って行くとひときわ太いイタジイの木が生えていた。クワガタが好みそうな穴も開いているし、直感的に「この木にいるな」と思った。近づいて木の周囲を回って調べてみると、果たして、黒くて大きな虫がへばりついているのを見つけた。
「本当にいた!」
見つけた瞬間はおもわず息を呑んだが、初対面の緊張がほぐれると、この喜びをつくづくと噛み締めた。ヤエマルがどんな虫なのかは知っていたし、採集記事などを読んでどこにいるのかも知っていた。しかし、そんな知識はこのすばらしい生き物を目の前に見ることができたという感動を少しも損なうものではなかった。知識が体験に変化するこの瞬間には、代えがたい価値があるのだ。この瞬間のためなら、どれだけ労力をかけることも苦にならない。
それにしても、黒く艶があって、なんてかっこいいんだろう。少し小さめだが、独特のカーブを描くアゴは丸っこい体からきちんと生えている。
採集禁止になっている希少種なので連れて帰ることはできない。ツーショットで記念撮影して、惜しみつつお別れすることに。
一通り撮影すると、木の洞のなかに引っ込んでしまった。 最初にわかりやすい場所に出てきていてくれたのは、本当に運がよかった。
茂みの向こうから...
興奮冷めやらぬまま車に引き返す途中、茂みの向こうから何かが動くガササッという音がしたので、歩みを止めて音のした方に集中した。耳を澄ますと、ブフーッブフーッという荒い息遣いが聞こえてくる。何か、大きな動物がいて、向こうもこちらの様子を伺っているようだった。ヤエマルを見られた喜びと山歩きで上気した体が、一瞬で凍りつくのがわかった。石垣島の山にいる大きな生き物といえば、おそらくイノシシだろう。こんな山奥で、こんな夜中に獣と対峙する恐ろしさがわかってもらえるだろうか。突進してこられたら、なすすべもなく突き倒されてしまうだろう。茂みを挟んでにらみ合っていた時間は、5分とも10分とも感じられた。木の枝や下草が視界を遮っていたけれど、相手がまだそこにいるのはわかった。いつまでもこうしているわけにもいかない。ためしに、大声を出して相手を威嚇してみた。反応がない。向こうも、こっちが怖くて固まっているのかもしれない。足を進めるためには足元を照らさないといけないが、そうすると相手のいる方が真っ暗になってしまって、心もとない。ヘッドライトを着けた頭をせわしなく動かして、足元と茂みの双方を小刻みに照らしながら、最初はじわじわと、3mほど距離が取れたところから少しずつ足を速め、逃げるように山を下った。
おまけ
石垣島における野良猫の立場を表現したポスター。ネコの朴訥とした表情がなんともいえず、笑ってしまった。いや、決して笑い事ではないのだが。
島の環境を脅かすのは外来生物だけではない。地元の人に聞いたところでは、石垣島は今プチバブルの状態にあるらしく、海岸の土地に新しくリゾートホテルを建てる計画がいくつもあるらしい。希少な生物の乱獲も後をたたない。このままいくと、ここにしかいないものたちはみんないなくなってしまって、どこにでもありそうな、温暖で、そこそこ海が綺麗な、ただの観光地だけが残るのではないだろうか。心配である。