偶像バードウォッチングという遊びを思いついたので、やってみた。
偶像バードウォッチングとは
街中で普通に見られる鳥といえば、カラス、スズメ、ハト、ムクドリなんかであろうか。他にも、最近では逃げ出したオウムやインコが野生化したものが都市の空でも見られるというが、筆者は見たことがない。
カラスやハトを見るのがつまらないと言いたいわけではない。ありふれた生き物も、きちんと観察すればいくらでも面白いところを見つけることができるはずである、しかし、本格的に多様な鳥を観察しようとすると、やはり自然豊かな郊外まで足を伸ばさなければならないだろう。
そこで、偶像バードウォッチングだ。
都市には、多種多様な野鳥はいない。しかし、人の手で作られた鳥をモチーフにしたもの、すなわち偶像鳥はたくさんいるはずだ。彼らは、販促のため、娯楽のため、啓発のために我々人の手で鳥を象って作られたものたちだ。街場の喧騒に隠れた彼らを見つけ出して、観察するのである。
「いろいろな鳥が見られたらいいな」という軽い気持ちで始めたのだが、実際にやってみると、都会のそこかしこには、我々人間の手で偶像化された鳥たち強く生きて(?)いることがわかった。また、偶像鳥に付随していろいろな発見もあったので、是非最後まで読んで欲しい。
ともかく家を出よう
第一号はこいつにしようと初めから決めていた。愛用の急須の上にちょこんと止まり、いつも私の生活を見守ってくれている鳥だ。過去に一度、落として蓋と鳥の接合部を割ってしまったときは本当にショックだったが、接着剤のおかげで無事再生して今日に至る。
急須鳥にいってきますを言って、さあ出かけよう。
最初に出会ったのは偶像カラスだ。
住宅地で見つけた。文章だけでも十分に意図は伝わると思うが、被害状況(下部に写っている写真)やカラスのシルエットを配置するあたりに作者のこだわりを感じた。
オフィスの片隅にもかわいらしい2羽の鳥が。
こうやって改めて眺めなければ、宅建協会のシンボルマークに鳥が使われていることなど、気づかなかっただろう。
何の鳥なのかはわからなかったが、帰ってから調べてみると、白も緑も鳩を表していることがわかった。
写真屋にコンドルがいた。
コンドルに特有の赤い禿頭は見えないが、大きく広げられた両翼は巨鳥の存在を隠さず物語っているし、なにより親切に"コンドル"と書かれているのだから間違いない。
開始15分程度で、日本の野外には存在しない巨鳥を発見してしまった。これは、通常のバードウォッチングではありえないことである。
否が応にも気持ちが盛り上がる。
団地の公園では白鳩とニワトリの乗り物を見つけた。
雨ざらしにされ、多くの子供たちを上に載せた彼らは、薄汚れていて少し痛々しかった。
焼き鳥屋の店先で愛し合うニワトリたち。
繁華街の中心部は鳥が少ない
さらなる鳥を求めて、市内で最も人が多そうなエリアへと向かった。
人や店が多いところほど、人に作られた偶像バードたちも多いはずだと考えたからだ。
ところが、これは誤算だった。
そういうところには、偶像猫はたくさんいても、偶像鳥はほとんどいなかったのだ。
ほんとうに猫が多い。
さすが、世界中で侵略的外来種として扱われているだけのことはある。
生態系どころか人心まで侵略してしまっているようだ。
口元の表情が愉快な偶像ヒラメもいた。しかし鳥はいない...。
この街に限って言えば、繁華街の中心部には鳥が少ない。
奇しくも現実とのシンクロを目の当たりにしてしまった。
繁華街の外れへ
街の中心部は猫にのっとられてしまっていたので、少し歩いて落ち着いたエリアに移動することに。
するとどうだろう。多種多様な鳥たちの闊歩する、豊かな生態系が残されているではないか。
フランス料理店の庇で日光浴していたニワトリ。
かなり記号化されている。
注意して見ていないと、鳥だとは気づかないかもしれない。
カフェの店頭には、よくできた木彫りのカモが泳いでいた。
『Decoy』という凝った店名もすばらしい。
Decoy(デコイ)とは「囮」とか「誘い寄せるもの」という意味の英単語で、狩猟の世界では鳥をおびき寄せるために使われる、見た目は本物そっくりの鳥の模型のことを意味する。
池にカモの形をしたデコイを浮かべておくと、仲間が泳いでいると思った本物のカモたちが寄ってきて、猟師に撃たれてしまうのだ。
まさに、お間抜けないいカモである。
このように、観察している偶像鳥がどういう意図や背景で作られ、そこに置かれたのかということまで穿って考察することで、偶像バードウォッチングの楽しみはさらに奥深いものとなるのだ。
泰然自若とした表情の更正ペンギンは、自然界にはいない創作偶像鳥だ。
偶像鳥の中には、このように重大な社会的役割を背負っているものもいるのである。
それにしても、手に持っている黄色い羽は何の鳥から毟ってきたのだろう。
豆屋の鳩
そろそろ別のところに移ろうかなと思っていたところで出くわしたのが、この豆屋の看板だ。
あまりに素敵なデザインなので、店内からこちらが丸見えなのも気にせずに、写真を撮りまくってしまった。
豆政というお店である。
これがその看板。
歴史のあるお店らしく看板も少し傷んでいるが、中央の大きな豆に鳩が寄ってきている本当にかわいらしいデザインである。
この通りは、普段からたまに通っているのだが、こんな素敵な看板が隠れていることに今まで気がつかなかった。
偶像バードウォッチングをしていてほんとうによかった。
店先には、同じ紋章をデフォルメした絵を載せたお皿も飾ってあった。
真ん中の豆だけだと、いまいち何の絵なのかわかりにくかったに違いない。
鳩あっての豆なのであり、両側に鳩を配置することでいっきに豆感が増すのである。
鳥から話がそれるが、盆に載せた豆を持った販促用のキャラクターも飾ってあった。
不二家のペコちゃんのご先祖様だろうか。
店内にも、古そうなものがたくさん飾ってある。
お店の方に聞いてみると、130年以上前の昔からこの地で操業しておられる老舗の豆菓子屋さんなのだそうだ。
暖簾にもあの模様が染め抜かれている。
ああ、すごくこの暖簾を売って欲しい。
しかし暖簾を売ってもらうわけにはいかないので、五色豆を買った。
こんな感じで、豆の周りに甘い皮がまぶされている。茶色のは肉桂(シナモン)、緑色のは抹茶の味がした。赤白黄色のやつは、ちょっとずつ味が違うような気もしたけれど、何の味かはわからなかった。
パリッとしたとした小気味のいい食感と、甘い味付けが歩き疲れた体に優しい。
ポリポリと無心で豆を食べる。
同行者がいなかったので、傍から見ていると終始無表情で機械的に食べていたかもしれない。
まるで鳩が豆を食べるようである。
豆を食べていたが、豆屋の看板のように鳩が寄ってくることはなかった。
あんなにあったのに、美味しいのですぐ食べ終わってしまった。
こんなことでもなければ、老舗の豆屋に入ることもなかっただろうと考えると感慨深いものがある。
再び探索へ
豆で鋭気を養い、再度ウォッチングに出発する。
しかし、オフィス街に出てきてしまったためか、なかなか偶像鳥が見つからない。
それにいよいよ本格的に疲れてきた。
豆を食べたとはいえ、こう見えて結構な距離を移動しているのだ。
疲れと、鳥がみつからないイライラから、偶像を通り越して抽象的な鳥を目で追うようになってきた。
具体的に言うと
こんな模様とか
こんな模様が鳥に見える。
ほとんど病気である。
地名の中に隠れた鳥にも反応する。
挙句の果てに、まったく関係ない奇妙なオブジェにまで鳥を幻視するようになった。
豆屋からかなり遠くまでやってきところで、大きな鳳凰の壁画を発見した。
これも現実にはいない鳥だ。
キラキラと光るタイルのモザイク模様で表現されていて、とても綺麗である。
鳳凰の思慮深そうな目は
「これ以上探しても私以上の鳥は見つからない。家に帰れ」
といっているような気がした。
いや、そんなわけはないのだが、偶像鳥の一つの頂点を見つけてしまったように思えて、こちらとしてもすっかり満足してしまった。
帰り道で
帰る途中、自宅の近くで看板に描かれた絵が目に付いた。
見た瞬間こそ、鳥が飛んでいる姿を描いたものかと思ったが、たくさんの偶像鳥もどきに騙されそうになってきた私は、尻の部分が光っているところを見逃さなかった。
「ははーん、飛んでいる鳥と見せかけて、ほんとはランプシェードをつけた電球かなんかなんでしょ」
いや、正真正銘のちどりでした。
最後まで意表を突いてくれた。
まとめ
街場には、自然界にはいないものも含めて、種々雑多な偶像鳥が生息していることがわかった。
それらが設置された目的や、あえてモチーフに鳥が選ばれた背景にも、製作者の様々な思惑が垣間見られて、想像の世界に羽ばたく余地がある点も面白かった。
読者も自分の街の個性豊かな偶像鳥たちを探してみて欲しい。
鳥を探すことで、いままで見過ごしていた素敵なものが自分の街に隠れていることにも気づくはずだ。
おまけ
本物の鳥もいた。
春先の行楽シーズンになると、河川敷は観光客がもっている食料目当てに集まった鳥たちの狩場と化すのである。
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