カレー屋探訪録(大宮 ムジャラ)

素晴らしいカレー屋に出会ったので、書きとめておく。

書き始めて、そういえば前にもカレー屋についての記事を書いたことがあったなと思って調べたら、ちょうど1年前に大阪本町のiloiloというカレー屋について書いていた。

 

 

iloiloは、カレーが好きで好きで仕方がない日本人シェフが出した店なのだけれど、今から紹介する店も、そんなカレー馬鹿の大将が勢い余って出店してしまったものらしい。

店名はムジャラという。

開店して1年ちょっとしかたっていない、できたてほやほやのカレー屋さんだ。

 

日本人シェフの作るスパイスカレーは、インド人やネパール人シェフの店で出てくるカレーに比べて、店ごとの個性が激しいというのが私の経験則だ。

評判の良い店にいけば、だいたい「そう来たか!」と驚かされるような、なにかしら新しい味や取り合わせに出会うことができる。

日本人でわざわざカレーの専門店を出す人は、前述のようにカレーが好きで好きでどうしようもない人たちだから、カレーに自分なりの解釈や工夫をこめようとするのかもしれない。

 

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青く塗られた店の壁にはかわいらしいポスターが貼ってあった。

マスコットキャラクターだろうか。

 

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 店の前の看板には本日のカレーとして3種類のカレーが提示されていた。

 

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カレーと豆カレーの2種盛りを注文して待つこと約10分、出てきた平皿には、2種類のカレーの他に目移りするほど何種類もの副菜が。

たまねぎのアチャール、かぼちゃのココナツ煮、塩茹でにした豆、ライタ、塩漬けレモン、ピクルス、キウイペースト、胡麻ペースト...さらに米はバスマティライスと日本米の2種盛りだ。

どこから食べよう...とスプーンを持つ手が楽しく迷う。フルコースのような一皿に出会えてだけでも、わざわざ来た甲斐があったというものだ。

肝心のカレーの味も素晴らしい。豆カレーは優しい味、対してせせりカレーは舌をガツンと殴られるようなスパイスの効いた味だ。

せせりカレーの辛さに疲れたら豆カレーに移り、時折副菜で舌を休める。舌がカレー本来の味をしっかりと掴んでからは、副菜やカレー同士を混ぜ合わせて新しい味を作るのも楽しい。いったい、この一枚の皿の上で何通りの味を作り出せるのだろうか。そんなことを考えながらあれやこれやと試しているうちに、大盛りで頼んだはずのカレーは跡形もなくなってしまった。

 

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フライヤーがとてもおしゃれなので、必要ないのにもらってしまった。

ムジャラカレーという宇宙の虜になってしまったので、間をおかず再訪すると思う。 

 

ムジャラ

京都市下京区高辻通大宮西入坊門町832 イツワマンション1階

不定休、売切れ次第終了なので、twitterで営業状況をチェック

京都 スパイスカレー ムジャラ (@mujara_kyoto) | Twitter

 

 

 

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はてなスターを消しました

以前から、なんだか記事の末尾がごちゃごちゃしててやだなあと思っていたのだけれど、ひょんなことからはてなスターを非表示にできると知ったので、思い切って消してしまうことにした。

 

参考にした記事はこちら。

sabalog.net

 

これまでスターを落として下さったみなさま、ありがとう。

まったくもって他意はないので、更新は今まで通り続けるし、見守っててくれよな!

 

 

 

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立って半畳寝て一畳とは言うけれど

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部屋の物が多い。

 

一人暮らしを始めてからというもの、ほとんど恒常的にこのことで頭を悩ませている。これは、あれも好きこれも好きと移ろいやすく、気になった物をとりあえず自分の近くに繋ぎ止めておこうとする私の性格に因るところが多い。

そのせいで四六時中鬱々としているわけではないけれど、ときたま何かの拍子に、広くもない部屋に溢れかえる物を見てうんざりすることがあるのだ。いったい、私は六畳一間の部屋にこれだけの物を詰め込んで、いったい何がしたいのだろうかと。

 

子供の頃、自分の所有する物が増えることは単純にうれしいことで、それは疑う余地のないことだった。

小遣いを貯めて自分で買った物であれ、人からもらった物であれ、身の回りの物が増えることは、喜びが増えることとイコールだった。

 

新しい物を手に入れるときの無邪気な喜びのほかに、「また物を増やしてしまった」という後ろめたさみたいなものを感じるようになったのは、いつ頃からだろう。

書店で本を買えば、自宅の積ん読がチラッと脳裏によぎる。野外で昆虫や動物の骨を拾えば、棚の上で埃を被った未整理の標本たちが恨めしそうにこちらを見るような気がして、いたたまれなくなる。

もちろん、欲深な私はそういう居心地の悪さを抱きつつも、自分の好きな物を日々集めることを止められないのだけれど。

 

物が多くて嫌だと言いつつ、じゃあそれらを少しでも処分しましょうねという気になかなかなれないのは、一つ一つの物に愛着あるのはもちろんのこととして、物たちが自意識の上に根を張っているからだと思う。

「〇〇が好きな自分」「〇〇をもっている自分」というパーソナリティを手放すのが不安だから、その物証になってくれる物たちを手放したくない、という心理が、多かれ少なかれあると思う。

とすると、この不快感は物理的なものであると同時に心の重さでもあるわけである。なんとも、どうしようもない話だ。

 

童話の世界に登場する大金持ちや王族たちは、みな拍子抜けするほどに天真爛漫だ。彼らは何百という部屋のある豪邸に住まい、何万足という靴を並べ、毎日食べきれないほどのご馳走をテーブルに並べて、心の底からそれらを堪能して莞爾と笑っている。彼らほどの収納スペースも、鷹揚さも持ちあわせていない私は、物が増える喜びと同時に、徐々に身動きが取れなくなる息苦しさを甘受して生きていかねばならないのだろう。

 

気軽に手放せないものたちが増えるにつれて、引っ越したり、仕事を変えたり、旅に出たりし辛くなることを、安定と表現することがあるらしい。この不自由さを安定という耳当たりの良い言葉で覆ってしまうことに、釈然としないものを感じる。

 

 

 

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富士総合火力演習

友人が抽選で当てた観覧チケットに便乗して、自衛隊の公開演習である富士総合火力演習を見に行ってきた。

 

青春18切符を使って京都から7時間、JR御殿場駅で降りて、深夜でバスがなかったので演習場まで歩くこと2時間、富士の裾野の夜は8月末とは思えないほど寒く、震えながら待つこと数時間。演習の観覧そのものは無料だが、なんとも苦労が多い。

 

往路復路こそ大変だが、日本が誇る兵器たちがドッカンドッカンと実弾を撃ちまくる姿をこの目で見ることができるのだから、安いもんだ。一番臨場感があったのは、やはり音の大きさだ。いや、あれは音というよりも、頭のてっぺんからつま先までを衝撃派が突き抜けて行くような感覚だ。戦車がドカン!と打つたびに、衝撃波で叩かれた観衆は内臓が30cmほど上下するようにビクン!飛び跳ねてしまうのだ。まったく、音だけで死人が出かねない。

 

演習に参加する車両は、戦車、自走砲、水陸両用車などなど、実に多種多様で、それぞれが戦場において違った役割をもっている。どれもみな戦うために作られた車両なのだが、与えられた役割を果たすために最適化した千差万別の形をしていて、その姿は枝分かれ進化した熱帯の昆虫たちのようである。

 

私が物心ついてしばらくする頃までは、子供が「戦車かっこいい!乗ってみたい!」などと言おうものなら「人殺しの道具がかっこいいとは何事だ!」と言って本気で怒る大人が割りと普通にいたらしい。戦車への憧憬が戦争賛美に繋がるかはさておき、間近で見た戦車は、自分が子供だったら夏休みの宿題の作文に「僕の将来の夢は戦車乗りになることです!」と書いてしまいそうなほど、とにかくかっこよかった。

 

演習終了後に戦車の搭乗員と話す機会があった。戦車にはエアコンがついていないので、夏場は暑くて大変だと言っておられた。職業として見た戦車乗りは、当然ながら苛酷なようである。

 

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輝くオサムシをめぐる珍道中

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この記事は北海道でオオルリオサムシを採集した際のことを記述したもので、綺麗な虫や、それほど綺麗ではないが興味深い虫の画像がわんさか登場する。

 

光る虫は素晴らしい

光る虫はいい。

カンカン照りの太陽を反射しながらヤマトタマムシが飛んでいるのを見かけると、珍しい虫ではないにも関わらずなんとかして捕まえようと追いかけ回してしまう。

オオセンチコガネを見ると、糞にたかる虫がどうしてこんなに美しいのだろうと不思議に思いつつ、手にとって観察したいという思いと、汚いから素手で触りたくないという思いの間で逡巡してしまう。

昆虫好きを自称していると、光り輝く美麗な昆虫を捕まえてキャーキャー騒ぐのは、なんとなくミーハーっぽくて恥ずかしいという自意識が働きそうになる。これは、漫画が好きな人が一番好きな漫画はなんですかと聞かれて、たとえ本心であっても「ワンピースです」とは言えない心理と似ているのかもしれない。

しかしここは声を大にして主張したい。

光り輝く昆虫は、とにかく魅力的なのだ。

なぜいきなり光る虫を持ち上げ出したかと言うと、今回取り上げるオオルリオサムシという昆虫が、本邦の昆虫界でもトップレベルに美しい光る虫だからである。

 

北海道中で採集した

6月に北海道を回らないかという誘いを受けて、私は二つ返事で了解した。私は狩猟をするので、広大な土地に鹿や熊が跋扈する北海道は憧れの土地だ。いつかは住んでみたいという願望もある。

主だった名所を回るだけでも十分に魅力的なのだが、せっかく初夏に訪問するので、以前から気になっていたオオルリオサムシの採集を目的に追加した。オオルリオサムシは北海道にのみ分布するオサムシの仲間で、上でも述べたように非常に美しいのだ。せっかく夏に2週間も北海道に滞在するのに、これをスルーするのは勿体無さすぎる。

同行者には虫が嫌いな人もいたが、そこは適宜別行動を取ることにして、旅の主な目的を、観光と友人の実家を訪問すること、それから北海道限定の光り輝く昆虫であるオオルリオサムシを採集することに設定した。

旅程は、

 

千歳→ニセコ→小樽→札幌→北見→知床→十勝→旭川→千歳

 

という思い出すだけでも陶然としてしまうほど長大だった。

 

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いろいろなところで(写真は知床)

 

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いろいろなことをしたけれど(写真は網走)

 

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オオルリオサムシのことは(写真は帯広)

 

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片時も忘れなかった!(写真は旭川

 

オサムシが1匹も採れなかったとしても楽しかったことに変わりはないけれど、それはまた別のお話である。

各地でピットフォールトラップをかけて採集を試みたところ、幸運なことに十勝と北見で採集に成功した。 

 

ヒグマに怯えつつ罠を仕掛ける

オサムシを捕まえるもっとも堅実な方法は、ピットフォールトラップと呼ばれるものを設置することだ。これは、簡単に言うと虫用の落とし穴である。

地面に穴を掘って、プラスチック製のコップを埋め込む。コップのそこに虫を誘き寄せるための餌を入れて一晩置いておけば、翌朝には罠にかかったオサムシが回収できるのだ。

飛んで逃げるのでは?と思われるかもしれないが、オサムシ科の昆虫は羽が退化していて飛べないため、ツルツル滑るコップに落ちてしまえば自力で脱出することは難しい。オサムシの特性をうまく利用した採集方法なのである。

 

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まずトラップを設置する場所を選ぶ。林床の、地面が湿っているところが理想的だ。

 

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 穴を掘ってコップを埋める。

小さいコップだと大きなオサムシがコップのふちに脚をかけて逃げてしまうので、最低でも10cmくらいの高さのコップを使うと良い。

 

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餌にはカルピスウォーターを使った。

 

穴を掘ってコップを埋めてカルピスを注ぐだけなのだが、こんな簡単な作業でも繰り返し行うと腰や腕が疲れてくる。罠を使った採集の特性上、たくさん設置すればするほど捕獲率は上がる。苦しいから早く切り上げたいのでけれど、せっかくここまで来たのだからなんとしてもオオルリオサムシの姿を拝みたい、そのためにもう1個、あと1個......となかなか潮時を見つけられず苦労した。

オサムシを扱う昆虫学者の中には、1日に1000個のトラップを設置した人もいるそうであるから驚きである(単独でやったのか手伝ってくれる人がいたのかは知らないけれど、それにしたってすごい数だ)。

 

負担は肉体的なものだけではない。

山に入ろうとするところでこのような看板が立っているのが、いろいろなところで目を引いた。

 

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山に入るのを躊躇するのに十分なインパクトを持つ看板だ。コップを埋めるために穴を掘っていて、ふっと顔を上げたらヒグマがこっちを見ていた...なんてことになったら、冗談じゃない。

 

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大きな危険生物がヒグマなら、小さな危険生物の筆頭がマダニだ。血を吸うだけと侮るなかれ、時に恐ろしい感染症を媒介するころもある危険な虫なのだ。

私は過去にマダニに刺されたことがあるので、用心して山に入る時は虫除けスプレーを念入りに噴霧していたのだが、それでもマダニが肌を這い上がってくることが1度ならずあった。 

 

トラップを回収する

トラップの設置は非常に苦労の多い作業だが、翌日の罠の回収は非常に心踊る時間である。同じ場所に2回行かねばならないのが、時間の制約の多い旅先では難点といえば難点ではあるのだが。

しかしながら、北見市郊外の設置場所を再訪したとき、一目見て「あーこれはだめかもしれんな」という悲観的な予測を立てざるを得なかった。

 

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なぜかというと、地面に埋めたはずのコップが片っ端から引っこ抜かれているのだ。犯人の姿は見ていないが、コップに残された歯型から推測するに、これはほぼ間違いなくキタキツネの仕業であろう。

カルピスの匂いに引っかかるのは、昆虫だけではない。キタキツネやカラス、時にはヒグマまでが、甘酸っぱい匂いに引き寄せられてやってくる。彼らはカルピスをペロペロするだけでなく、コップを引き抜いて、時には罠にかかった貴重な昆虫を食べてしまうのだ。

罠を設置した場所には、まさしく死屍累々と言う感じで、引き抜かれ噛み割られたコップが散乱していた。

 

成果があろうとなかろうと、自分で撒いたコップは全て回収しなければならない。

順番に確認していくが、どうやら全体の半分近くのコップが被害を受けたようだった。運良く残ったコップを確認しても、見事に何も入っていない。ひょっとすると、キタキツネは罠にかかったオサムシがもがいた時に出るカサカサという音を頼りにして、中身の入ったコップを狙ったのではないかという疑いまで出て来た。可愛らしいキツネがこの時は悪魔のように思われた。

空のコップを虚しく回収する、実質的なゴミ拾い(しかも自分で撒いたゴミを)作業が終わりにさしかかり、この場所での採集もダメだなと(千歳やニセコでの採集に失敗した後だった)思い始めた時だった。どうこうしていた友人がコップを片手に走り寄って来た。

「これ、そうじゃない!?」

 

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コップの中には、オオルリオサムシがなんと3匹も入っていた。2匹はすでに死んでいて、生きた残った1匹が手に持ったコップの中で壁を登ろうという虚しい努力を続けていた。(写真は生き虫を回収した後のもの)

「おお、これこれ!」

この一瞬で持って、何十個というコップを埋める労苦も、ヒグマに怯えダニにたかられる不快も消し飛んでしまった。観光の時間を削ってまで、山に入った甲斐があったと言うものだ。

ひとしきり歓喜が通り過ぎると、採集したオオルリオサムシをじっくりと眺める余裕が生まれた。本当に美しい。オサムシの美麗種は「歩く宝石」と形容されることがあるけれど、まさしく本物の宝石と同じくらいの価値があるものに思われた。

 

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こちらは、数日後に十勝で設置した罠にかかったオオルリオサムシである。全体で見ると、50個の罠を仕掛けて1匹か2匹かかるかどうか、くらいの採集成功率であった。

 

観察する

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緑がかった体色を持つ個体。金属的な光沢があって本当に美しい。

 

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こちらは赤っぽい色をしたもの。同種の中でも様々な個体差があるのが、オサムシの魅力である。

 

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こちらは嬉しい副産物のエゾマイマイカブリオオルリオサムシと同じオサムシ科の昆虫である。こちらも羽が退化していて飛翔能力がないので、ピットフォールトラップで混獲されたものだ。

 

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マイマイカブリのなかでも北海道に分布する亜種をエゾマイマイカブリという。写真ではわかりにくいが、胴部は青黒く、胸部は緑がかった光沢を持っている。 

 

余談だが、オサムシ科の昆虫は自分の中で「ベスト・オブ・話の通じなさそうな生き物 」にランクインしている。

同じ虫でも、たとえばコガネムシや蝶の仲間なんかは、彼らと意思疎通する光景を空想することができなくもないのだが、オサムシ相手にはそういった想像の余地がない。金属的で無表情な顔つきや、捕食用途丸出しの大きな牙のせいでそういう印象を受けるのかもしれない。

今でこそ「オサムシかっこいい!きれい!」とはしゃいでいられるが、仮に自分がオサムシと同じサイズまで縮小することがあったとしたら、有無を言わさず食い殺されてしまうことは間違いない。

 

道中で見かけた虫たち

オオルリオサムシのことばかり書いたが、山に入るたびに魅力的な昆虫たちにたくさん遭遇した。山の中でえんえんコップを埋め続ける作業は苦痛だったが、彼らを見られたことで少しだけ癒しが得られた。

ここでは一部を紹介したい。

 

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オオミズアオ

色が綺麗!大きい!もふもふしている!という愛される要素を満載した蛾である。

 

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カタツムリを食べるヒラタシデムシ

シデムシがカタツムリを捕食するとは知らなかったので、驚いた。

 

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オトシブミ

葉を使って卵を包む入れ物を作ることで有名な虫。成虫を見るのは本当に久しぶりだった。

 

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後尾するモイワサナエ(たぶん)

かなり近づいて撮影したが、まったく動かなかった。

 

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こちらも後尾に励むカミキリムシの仲間。

短い北海道の夏を無駄にすまいと、必死に繁殖に励んでいる。

 

まとめ

採集に成功してよかった。やはり図鑑や博物館で標本を見るのと、自分の手で採集するのでは、別格の喜びである。 

採集したオオルリオサムシやエゾマイマイカブリを納めた容器は、レンタカーの運転手席横のドリンクホルダーに収納して、気が向くたびに眺めながら旅を続けた。

記事では採集がうまくいったところだけを切り取ってつたえているが、千歳、ニセコ旭川では仕掛けたトラップの全てが見事に空振りであった。中でも、ニセコに生息するオオルリオサムシは青く美しいものが多いらしく、これはまた採りに行かねばならないなと再訪のチャンスを虎視眈々と狙っている。

 

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虫の画像ばかりだったので、モフモフしていて温かいやつの写真も貼っておく。

トラップを回収しにいく途中で立ち寄った猟師の家で出会った犬。 北海道犬だそうである。

 

 

 

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友人の結婚パーティー

友人の結婚パーティーに出席してきた。

 

彼らのことは何年も前から知っているから、「結婚することになりました」と言われても特に驚きはしなかったのだが、会場の演出には目を見張るものがあった。

手作りのウェルカムボード、手作りのパペット、手作りのムービーetc...

新郎新婦も、我々出席者の多くも、大学美術部のOBであるから、いろいろなものを手作りすることに対するハードルは、普通の人に比べればたぶん低い。だがそうはいうものの、これだけのものを用意するのは相当な根気と時間が必要だったであろうことは想像に難くない。

多分、彼らは人生の区切りになる催しを、自分たちのやり方で最大限盛り上げようとしたのだろうし、そんな場に呼んでもらえたことが心からうれしかった。

 

驚いたと言えば、集まった人々の近況にも興味深いものがあった。

ダイエットしているから料理にはあまり手をつけないんだと言う人がいて、仕事を辞めてドイツに行くためにドイツ語の勉強をしていると言う人もいて、さらにその横では、子供が欲しくて産婦人科で検査したら精子密度が常人の6倍だったという話をしている人がいる。

各人が抱えているものが、本当にてんでばらばらで、聞いていてたまりかねず「うーん、人生!」と唸りたくなるくらい十人十色なのだ。

 

顔を合わせるたびに似たような話題で盛り上がっているようでいて、どうやら我々は少しずつ変化しているらしい。引き続き見守っていきたいと思う。

 

 

 

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