シナカブリモドキ

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シナカブリモドキの標本を買った。

以前うみねこ博物堂で購入したプリンキパリスカブリモドキとは、同じ中国産カブリモドキでもイボのパターンや色が違うのだ。

中国のカブリモドキは本当に美しい見た目を持つものが多くて、蒐集欲をくすぐってくれるものが多くて困ってしまう。

 

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もともと物をきちんと管理するということがすごく苦手で、虫の標本や拾った動物の骨なんかも、タッパーに入れたり棚にそのまま置いたりしている。きちんとした箱に入れて保管してやりたいと心では思いつつそのままにしてきたけれど、そろそろなんとかしてやらないといけないかもしれない。

来週末は大手町のインセクトフェアに行く予定である。また物が増えそうな予感!

 

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網猟免許受験します

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網を使う狩猟の免許をとることにした。

私はすでにわな猟の免許と銃猟の免許を所持しているので、順当に合格すれば狩猟免許を全種コンプリートすることになるわけだ。

 

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網猟免許の取得に踏み切ったのは、私が今住んでいる京都に、甲種猟友会という日本で唯一の網猟専門の猟友会があって、猟のやり方を教えてもらえる目処がついたからだ。

 

「網猟っていうのをやってみたいんですけど,,,」

京都府猟友会で教えてもらった甲種猟友会長の自宅に電話すると、

「道具見せながら説明するから、時間あるときにうちに来て」

と二つ返事で快諾してくださった。

そうして、突然押しかけた私に猟具の網や囮に使うカラスを見せていろいろと教えてくださった。

「猟期が始まったら毎日のように出かけるから、網猟をやるなら着いてきてもいいよ」

この言葉で、今年から網猟を始めることに決めたのである。

 

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▲網猟の一種、投げ網猟の図。にわかには信じがたいが、これで本当に鳥がとれるらしい

 

罠や銃に比べて、網猟をする人は圧倒的に少ない。従事者が少ないということは猟法を人に教えられる人も少ないということで、そのせいでさらに新規参入者が二の足を踏んでしまうのだろう。近年になって従事者が増えているらしいわな猟とは対照的だ。

ともかく、私は幸運にも近所に網猟師がいたわけだから、できる限りのことを教えてもらって、書留めていこうと思う。

 

網猟では、条件がよければ一度にカモが何十羽もとれることもあるらしい。文字通り、一網打尽だ。そんな光景を想像しただけで、笑みがこぼれてしまう。なんて夢のある猟法なんだろう。

獲らぬカモの肉算用にならぬように、とりあえず免許試験に合格するようにしなければならない。

 

 

 

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まばらな蓮群生地とジャンボタニシ

琵琶湖博物館見学の後に、同じ烏丸半島内の蓮群生地に行ってみた。

 

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花のシーズンは過ぎているから、そこには期待していなかったけれど、なんだか群生地という割には肝心の蓮がまばらなような...。

調べてみると、おそらくは湖底の環境の変化が原因で、昨年から生えてくる蓮が急に減ってしまったそうである。

 

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元の状態に戻るのは絶望的らしいと聞いて悲しくなったが、生き残ったわずかな蓮はちゃんと種をつけていたのが救いだ。

 

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やや!ピンク色の物が!

蓮の花と見間違うほど鮮やかな桃色の塊に目がいったが、これはジャンボタニシの卵である。よくみると、そこかしこの蓮の茎に親指ほどの卵塊が産み付けられていた。

奇食家としては味や食感が気になるところだが、毒性があるらしいのでパス。親貝は食べられるとのことなので、そのうちチャレンジしたい。

 

 

 

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怒涛のカイミジンコとドジョウ推し、琵琶湖博物館

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8月も終わり、涼しくなってきたからどこか気持ちのいいところに出かけたいな、ということで、夏休み最終日のキッズたちに混じって琵琶湖博物館を見学しに行ってきた。

常設展に加えて、「小さな淡水生物の素敵な旅」展と、日本に生息する全てのドジョウを集めた大どじょう展まで開催していたので、タイミングの良さに狂喜した。

 

小さな淡水生物の素敵な旅

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淡水環境で生活する小さな生き物たちについて、また非力な彼らがどうやって世界に広がって行くのかを主に解説する展示である。

 

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ホタルとナマズ。琵琶湖とそこから流れ出る河川が作るみずみずしい環境のおかげで、滋賀県にはいろいろな淡水生物がいる。

 

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が、環境の変化のせいで、滅んでしまった生き物もいる。私が大好きなゲンゴロウは県内では絶滅、タガメも長らく見つかっておらず、状況は悲観的である。

ともかく、生き物が生息域を広げようとするのは、環境の変化で一網打尽に絶滅させられてしまうのを防ぐためでもあるらしい。

 

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では、魚のように長距離を泳いだり、虫のように空を飛んだりできない微生物が、どうやって広い世界に広がっていったのか?というのが、展示のテーマだ。

アメコミ風の微生物紹介に、企画者のセンスが光る。獣や鳥や魚や虫に比べて無機質な印象の微生物だけれど、セリフなんかつけられたら、いっきに感情移入してしまうではないか。

 

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ミジンコ、イタチムシヒドラ、ユスリカ...たくさんの微小生物が紹介されていたけれど、展示企画者の一押しはカイミジンコという生き物のようで、並み居る微生物sの中で展示が一番充実していた。

カイミジンコ二枚貝のような殻をもつ微生物で、ピンチになると殻を閉じてなかに引きこもるのだそうだ。なかなかかわいい生き物だ。

しかし一般受けはあまりよくないようで、

「ミジンコは見た目が可愛いからまだわかるけど、なんでカイミジンコをメインに据えたのだろう」

と囁く声を私は聞いてしまった。

この愛らしさがわからんとは...と内心反論したが、人間は黒くてパッチリとした目のある生き物に弱いので、仕方のないことかもしれない。

 

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特定の地域にしかいないものが固有種、いろいろな地域で見られる物が普通種と呼ばれる。カイミジンコでは、なんとイースター島と琵琶湖の両方に生息している種もいるらしい。

 

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ザリガニとカイミジンコのぬいぐるみ。

外来種であり、稲の根を切ってしまうことで悪名高いアメリカザリガニ。しかし彼らも生き残るために必死で生息域を広げようとしているのだ、と言われると、少し見方が変わるのではないだろうか。

 

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微生物が拡散するには、増水による湖や河川の氾濫に乗じたり、生き物の手足についた泥にもぐりこんで移動したり、水鳥や魚に食べられて移動、その後糞と一緒に排出されるといった方法があるようだ。

特にカイミジンコは、殻を閉じれば消化液から身を守ることができる。鳥に飲まれたカイミジンコの、だいたい4分の1くらいは生きたまま排出されるらしい。逆に言うと、4分の3のカイミジンコは排出されないうちに「もう大丈夫かな?」と殻を開けてしまって、その瞬間に流れ込んできた消化液で死んでしまうわけで、なんとも厳しい話だ。

 

大どじょう展

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日本には33種類の在来ドジョウと、何種類かの外来ドジョウが生息している。

大どじょう展では33種類全てのドジョウが展示されていて、さながら日本ドジョウサミットという趣きであった。

 

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オオガタスジシマドジョウ。世界中で琵琶湖にしかいない希少種。

 

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ビワコガタスジシマドジョウ。ななんと、こいつも琵琶湖固有種。

ドジョウだけで2種類も固有種がいるなんて、どんだけ奥深いんだ、琵琶湖の生態系。

 

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斑点模様がとても綺麗なトウカイコガタスジシマドジョウ。東海地方にのみ分布。

 

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臭い臭いと言われつつもなんだかんだで知名度もありファンも多い鮒寿司に対して、どじょうずしなる料理が存在することはこの日このときまで知らなかった。表舞台に出る機会が少ないのは、インパクトの強過ぎる見た目のせいだろうか。こういう味の想像がつかないものこそ、一度賞味してみたいものだ。

 

常設展

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特別展を見るだけで数時間を消費してしまったが、琵琶湖博物館は常設展もすごいのである。

 

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まずは地質学の展示。琵琶湖ができるに至った数万年オーダーの地形変化を堪能できる。

 

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次に琵琶湖にまつわる文化の展示。丸子船という、琵琶湖上の物資の運搬に使われた船が展示場の真ん中に鎮座している。

このコーナーの展示をみると、この土地に暮らす人々の生活様式や技術が、琵琶湖の恩恵を最大限享受できるように進歩してきたのがわかる。民俗学博物館を見たときにも思ったけれど、人間の文明は環境の型を反映した影絵のようなものなのだ。

 

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中でも特に感心したのがこれ。

「えり(魚扁に入)」という漁だ。葦などの植物を束ねた壁で水中に複雑な構造物を作り、魚を追い込む漁法である。

ひとつひとつの形にどういう意味があるのかは知らないが、おそらくは何世代にも渡って魚の習性を考えつくして、改良に改良を重ねてこの形になったんではないだろうか。


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文化にまつわるコーナーを抜けると、最後が琵琶湖や滋賀県内の環境や生き物について展示するコーナーだ。

写真は葦の群生地などに住み、あざとい可愛さをもつカヤネズミ。

 

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印象に残ったのが、獣害についてかなりのスペースが割かれていたことだ。

はて、こんなもの前に来たときにあったかな?(そもそも前に来たのは小学生のときだけれど)と思ったが、なんでも最近展示室を改修したときに加えたものらしい。博物館が世に伝えたいことも、時代とともに変わっていくということだろう。

 

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鹿「やっかいものになっちゃった。どうしたらいいんだろう?」

私(狩猟をする人)「言わせないでくれよ...」

 

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カワウの鳥害を紹介するコーナーでは、なんとカワウが住む森の匂いまで体験できる。鼻を近づけてみると、魚を食べる鳥の糞のアンモニアが絡んだ生臭い臭いがちゃんと再現されていて、舌を巻いた。

すごいと感心する反面、「その...あまりカワウを悪者に仕立ててやってくれるな...」と若干の心苦しさを覚えた。

 

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県内に生息する生き物の標本が一堂に会するコーナー。

 

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獣のみなさん。

 

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鳥類のみなさん。

 

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去年撃って食べたホシハジロもいて少し気まずかった。

 

この後は延々水槽が並ぶ通路を通り、琵琶湖の魚をこれでもかと見せられたのだけれど、それまでの展示をじっくりと見すぎたせいで疲れていたのと、閉館時間が迫っていたせいであまりゆっくりとみることはできなかった。

 

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カイツブリの子供とか

 

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なぜかアザラシやチョウザメがいた。

 

興味深い展示が盛りだくさん過ぎて、最後は頭の周りをカイミジンコが舞っていた。

大どじょう展は無事閉幕してしまったけれど、「小さな淡水生物の素敵な旅」展は11月19日までやってるそうなので、是非。

 

 

 

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カレー屋探訪録(大宮 ムジャラ)

素晴らしいカレー屋に出会ったので、書きとめておく。

書き始めて、そういえば前にもカレー屋についての記事を書いたことがあったなと思って調べたら、ちょうど1年前に大阪本町のiloiloというカレー屋について書いていた。

 

 

iloiloは、カレーが好きで好きで仕方がない日本人シェフが出した店なのだけれど、今から紹介する店も、そんなカレー馬鹿の大将が勢い余って出店してしまったものらしい。

店名はムジャラという。

開店して1年ちょっとしかたっていない、できたてほやほやのカレー屋さんだ。

 

日本人シェフの作るスパイスカレーは、インド人やネパール人シェフの店で出てくるカレーに比べて、店ごとの個性が激しいというのが私の経験則だ。

評判の良い店にいけば、だいたい「そう来たか!」と驚かされるような、なにかしら新しい味や取り合わせに出会うことができる。

日本人でわざわざカレーの専門店を出す人は、前述のようにカレーが好きで好きでどうしようもない人たちだから、カレーに自分なりの解釈や工夫をこめようとするのかもしれない。

 

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青く塗られた店の壁にはかわいらしいポスターが貼ってあった。

マスコットキャラクターだろうか。

 

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 店の前の看板には本日のカレーとして3種類のカレーが提示されていた。

 

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カレーと豆カレーの2種盛りを注文して待つこと約10分、出てきた平皿には、2種類のカレーの他に目移りするほど何種類もの副菜が。

たまねぎのアチャール、かぼちゃのココナツ煮、塩茹でにした豆、ライタ、塩漬けレモン、ピクルス、キウイペースト、胡麻ペースト...さらに米はバスマティライスと日本米の2種盛りだ。

どこから食べよう...とスプーンを持つ手が楽しく迷う。フルコースのような一皿に出会えてだけでも、わざわざ来た甲斐があったというものだ。

肝心のカレーの味も素晴らしい。豆カレーは優しい味、対してせせりカレーは舌をガツンと殴られるようなスパイスの効いた味だ。

せせりカレーの辛さに疲れたら豆カレーに移り、時折副菜で舌を休める。舌がカレー本来の味をしっかりと掴んでからは、副菜やカレー同士を混ぜ合わせて新しい味を作るのも楽しい。いったい、この一枚の皿の上で何通りの味を作り出せるのだろうか。そんなことを考えながらあれやこれやと試しているうちに、大盛りで頼んだはずのカレーは跡形もなくなってしまった。

 

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フライヤーがとてもおしゃれなので、必要ないのにもらってしまった。

ムジャラカレーという宇宙の虜になってしまったので、間をおかず再訪すると思う。 

 

ムジャラ

京都市下京区高辻通大宮西入坊門町832 イツワマンション1階

不定休、売切れ次第終了なので、twitterで営業状況をチェック

京都 スパイスカレー ムジャラ (@mujara_kyoto) | Twitter

 

 

 

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はてなスターを消しました

以前から、なんだか記事の末尾がごちゃごちゃしててやだなあと思っていたのだけれど、ひょんなことからはてなスターを非表示にできると知ったので、思い切って消してしまうことにした。

 

参考にした記事はこちら。

sabalog.net

 

これまでスターを落として下さったみなさま、ありがとう。

まったくもって他意はないので、更新は今まで通り続けるし、見守っててくれよな!

 

 

 

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立って半畳寝て一畳とは言うけれど

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部屋の物が多い。

 

一人暮らしを始めてからというもの、ほとんど恒常的にこのことで頭を悩ませている。これは、あれも好きこれも好きと移ろいやすく、気になった物をとりあえず自分の近くに繋ぎ止めておこうとする私の性格に因るところが多い。

そのせいで四六時中鬱々としているわけではないけれど、ときたま何かの拍子に、広くもない部屋に溢れかえる物を見てうんざりすることがあるのだ。いったい、私は六畳一間の部屋にこれだけの物を詰め込んで、いったい何がしたいのだろうかと。

 

子供の頃、自分の所有する物が増えることは単純にうれしいことで、それは疑う余地のないことだった。

小遣いを貯めて自分で買った物であれ、人からもらった物であれ、身の回りの物が増えることは、喜びが増えることとイコールだった。

 

新しい物を手に入れるときの無邪気な喜びのほかに、「また物を増やしてしまった」という後ろめたさみたいなものを感じるようになったのは、いつ頃からだろう。

書店で本を買えば、自宅の積ん読がチラッと脳裏によぎる。野外で昆虫や動物の骨を拾えば、棚の上で埃を被った未整理の標本たちが恨めしそうにこちらを見るような気がして、いたたまれなくなる。

もちろん、欲深な私はそういう居心地の悪さを抱きつつも、自分の好きな物を日々集めることを止められないのだけれど。

 

物が多くて嫌だと言いつつ、じゃあそれらを少しでも処分しましょうねという気になかなかなれないのは、一つ一つの物に愛着あるのはもちろんのこととして、物たちが自意識の上に根を張っているからだと思う。

「〇〇が好きな自分」「〇〇をもっている自分」というパーソナリティを手放すのが不安だから、その物証になってくれる物たちを手放したくない、という心理が、多かれ少なかれあると思う。

とすると、この不快感は物理的なものであると同時に心の重さでもあるわけである。なんとも、どうしようもない話だ。

 

童話の世界に登場する大金持ちや王族たちは、みな拍子抜けするほどに天真爛漫だ。彼らは何百という部屋のある豪邸に住まい、何万足という靴を並べ、毎日食べきれないほどのご馳走をテーブルに並べて、心の底からそれらを堪能して莞爾と笑っている。彼らほどの収納スペースも、鷹揚さも持ちあわせていない私は、物が増える喜びと同時に、徐々に身動きが取れなくなる息苦しさを甘受して生きていかねばならないのだろう。

 

気軽に手放せないものたちが増えるにつれて、引っ越したり、仕事を変えたり、旅に出たりし辛くなることを、安定と表現することがあるらしい。この不自由さを安定という耳当たりの良い言葉で覆ってしまうことに、釈然としないものを感じる。

 

 

 

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