銃猟や罠猟の狩猟免許試験に比べて、網猟免許は実技試験の内容について紹介している情報が少ないと感じたので、メモしておく。1万円以上払って事前講習会を受けるのはもったいないという人の参考もなればいいと思う。
ただし私が受験したのは京都府の試験なので、他府県ではやり方が異なるかもしれない。
銃猟や罠猟の狩猟免許試験に比べて、網猟免許は実技試験の内容について紹介している情報が少ないと感じたので、メモしておく。1万円以上払って事前講習会を受けるのはもったいないという人の参考もなればいいと思う。
ただし私が受験したのは京都府の試験なので、他府県ではやり方が異なるかもしれない。
寒さが増してくる頃、私は震えながらバイクで琵琶湖湖畔のある場所に向かっていた。身を切るような寒い向かい風の中、わざわざ琵琶湖まで出かけるのは、ジャンボタニシことスクミリンゴガイという巻貝を捕獲するためだ。
ジャンボタニシは、もともとは食用として輸入、養殖されていたものだ。が、簡単に増やすことができてしかもデカイ!という家畜化されるべくして生まれてきたような特性と、養殖家たちの期待に反して、日本の食卓に普及することはついになかった。持て余されたジャンボタニシはそこらに打ち捨てられ、持ち前の繁殖力と「有機物ならなんでも食べる」とまで言われる図太さを活かして、日本中に分布を広げつつある。
「わざわざ食用に養殖までしたのに根付かなかったのだから、たいした味でないことは食べてみなくても予想がつく」
と言ってしまえばそれまでだが、高い生産性を持ちながら無視される味というのも気にならないことはない。はたして、どんな味なのか食べて試してみた。
寒風を受けて顔面がぱりぱりになるほどバイクを運転してわざわざ遠くまで来たのにはわけがある。夏に同じ場所に遊びに来た折、どぎついピンク色をしたジャンボタニシの卵塊をいくつも見かけていたからだ。
そのときは、捕獲しても暑さで持ち帰るまでに腐ってしまうことが明らかだったから諦めたのだが、気温が低下したのを見計らいこうして出直してきたのである。
さて、見るからに毒々しい色をしたこの卵塊には、事実神経毒が含まれているらしい。つまり卵塊のピンク色はあからさまな警戒色なわけであるが、この目立つ色の卵塊のせいで容易に生息地を特定されてしまい、奇特な捕食者を呼び寄せてしまうことをいったいどのジャンボタニシが予想しただろうか。
葦がそこそこ茂っている割には、水辺にアクセスしやすい場所である。
ここで1回目の採集に失敗したときの話をしておきたい。実はこの数日前にも、同じ場所で採集を試みていたのである。そのときは罠を使ってジャンボタニシを一網打尽にしようとしていたのだが、これは失敗に終わっているのだ。
どのような罠なのか...それは、ダンボールを水に沈めたものである。嘘ではない。ジャンボタニシは柔らかい有機物が大好きなので、ダンボールを水に沈めてふやかしてやると、大喜びで食べに来るそうなんである。つくづく庶民的な貝だと感心するが、ここまで来るとジャンボタニシは馬鹿なんじゃないかと心配になる。
ゲームでバグ技の類を好んで使う人の心をくすぐりそうなこの罠なのだが、台風の襲来によってふやけたダンボールが千切れ流されてしまうというジャンボタニシもあきれるほどの大馬鹿なミスのせいで、真偽を確かめるまでもなく失敗に終わった。
中央に結びつけてあるのはこれまたジャンボタニシの好物である酒粕と小麦粉を練り合わせたものであり、ジャンボタニシ的にはデザートのつもりだった。流れ着いた先で喫食してくれていればいいのだが...。
家にあったダンボールを使いきってしまったため、罠を使うのは諦めて、台風によって浜辺に打ち上げられた大量の葦の中からジャンボタニシを拾い上げる作戦に変更した。
地面を見ながら波打ち際を歩いていると、実に様々なものが打ち上げられているのを見ることができる。写真は、忍者がマキビシとして使ったと言う菱の実である。菱の実はそこらじゅうに落ちていて、湖畔はまるで今しがた忍者が駆け抜けた場所のようになっておりたいへんおもしろい。
肝心のジャンボタニシは探し始めてものの数分で見つかった。罠なんていらんかったんや...。
ジャンボタニシは陸上でもかなり長期間生きられるらしいのだが、堆積物が窪んでできたわずかな湿り気スポットに目ざとくインしているあたり、さすがに水分が恋しいと見える。
こんな感じである。これだと、ジャンボタニシとしては小ぶりな方だ。
外敵や乾燥から身を守るために、固い蓋を閉じている。キュッと縮こまったようなしぐさがかわいらしい。このように、ジャンボタニシには水路などでみかけるとついつい拾い上げて愛でてみたくなる愛嬌があるのだが、広東住血線虫などの寄生虫をもっている場合もあるため、素手で触った後はよく手を洗うことが大事である。
これは大きいやつ。小ぶりのサザエくらいある。
20分くらいかけてこれだけ採れた。ジャンボタニシだけで腹が膨れるほどたくさんはいらないので、さらに捜索したい欲を断ち切って帰ることにする。
漂着したジャンボタニシや菱の実、その他もろもろの生き物たちを観察するのはとても楽しくて、湖畔を延々と歩いてしまいそうになるほどだ。ジャンボタニシを食べない人にもお勧めの遊びである。
しかしながら、私の体感的に、成人したホモサピエンスの7割くらいは毛が生えてモフモフしていて体温のあるもの以外の生き物にさしたる魅力を感じないようである。
そんな人は、同じ場所で撮影したヌートリアの親子の写真を見て少しでもこの水辺の魅力を感じていただければ幸いである。
捕獲したジャンボタニシたちには、水道水の中で数日かけて体内のドロや消化物を吐き出してもらうことに。
これを見て欲しい。帰宅して水道水をいれたバケツにジャンボタニシを移し、数時間休憩してから覗いてみたものだ。すでにかなり水が濁っている。そのまま食べないでよかった...と安堵した。
細長い触覚が最高にあざとい!
萌えという言葉を耳にしなくなって久しいけれど、この天然アホ毛はまさしく萌え要素と言えるだろう。
塩水に入れる。
ジャンボタニシに言葉があったなら
「ん?なんだか苦しいかな?」
「んー、なんだかさっきまでと違うけれど、息ができなくはないね」
などと言い交わしているだろう。
沸騰させたところ。
「う、うわあああああああああ!」
「熱いよー!助けて...」
ジャンボタニシに言葉がなくてよかった。
寄生虫が怖いから15分くらいかけてしっかりと茹でる。
実を取り出すために爪楊枝をさしたところ。このまま居酒屋のお通しとして出てきても違和感が湧かなさそうである。
くるくると回しながら、実を千切らないように慎重に取り出したところ。何の変哲もない巻貝だ。
全て取り出した。ここからどうやって調理しようか。
まず一品目。
日本のジャンボタニシは台湾から輸入されたもの(※ただし原産地は南米)らしいので、ニンニクとタカノツメを加えて中華風の炒め物にしてみた。
食べてみる。
うん、至って普通の貝の味。同じ巻貝であるサザエほどの強い旨味や磯臭さは当然ないが、ぷりぷりとした良好な歯ごたえと、噛むほどに染み出る薄い旨味がある。内臓がドブ臭さかったらどうしようというところは心配だったけれど、そのような強烈な臭みもない。
だけどなんだろう...。
口で噛んでいるときはそうでもないのだけれど、飲み込んだ後にはなにスッと抜けるような、黴臭いような香りがある。
ニンニクの臭いやタカノツメの辛味が通り過ぎた後に一瞬だけ顔を出す、このサブリミナル効果のような黴臭さはどこから来るのだろう?注意しないとわかりにくいけれど、この不快臭はたしかに存在する。
少しずつ部位を分けて食べてみたところ、
犯人はこいつだ!
この赤っぽい色の器官が臭みのもとであることは疑いようがなかった。
パッと見たところは、アンコウの肝のような色と質感で美味しそうともいえるこの器官、こいつを単独で食べるとなんともいえない黴臭い味が口に広がるのだ。平々凡々な貝のフリをして、まさかこんな爆弾を抱えていたとは恐れ入ったものだ。
一品目は今ひとつの出来であった。
残りのジャンボタニシは、この教訓を活かして、内臓部分を取り払って調理するエスカルゴ風に料理してみた。茹でたジャンボタニシの筋肉の部分だけを切り取って殻の中に入れ、バターにニンニクやパセリを練りこんだもので蓋をして、オーブンで焼き上げる。
焼きあがった。
なんだかお洒落な見た目に仕上がった。
パンに載せていただく。
味は...悪くない。苦味のある内臓を丸ごと取り払ったせいで、良くも悪くも味はフラットになった。本物のエスカルゴを食べる機会は滅多にないのだけれど、ちょっと小洒落た店で「これ、エスカルゴです」と言って出されたら気づかずに食べてしまうだろう。
臭いを放つ部位を特定した瞬間こそ、「へ!こんなもん普及しなくて当然だね!」と吐き捨てたくもなったが、エスカルゴのように内臓を除去して調理すればいたって普通の食味であることも確認できた。そもそも養殖したものにもこの臭みがあるのかどうかもわからない。
可もなく不可もない味ならなんで日本の食卓に普及しないんだということになるが、それについて考えた結果、
「日本に来るのが遅過ぎたのだろう」
という結論に至った。
ジャンボタニシが輸入されたのは、1980年代に入ってからである。貧しく食料の乏しい時代ならいざ知らず、美食バトルで親子の確執を表現する漫画の連載がスタートするほどの飽食の時代に「味はまあそこそこで、とにかく生産性が高い」ジャンボタニシが流行らなかったのは無理もない。あと30年早く来日していれば、あるいは鯨ベーコンくらいの立ち居地で細々と愛されたかもしれない。せっかくなので商品の投入時期を誤ったビジネスの失敗例として、ビジネス書などに載せてあげて欲しいと思う。
なお、最近なにかと話題の北朝鮮ではジャンボタニシの養殖を国策として進めているらしい。やはり「とにかく繁殖力に優れている」点が買われているのだとか。彼らが新天地で活躍することを祈るばかりである。
大きな貝の殻って昔からとっておいてしまう
クリタケ
栗にそっくりな見た目でかわいい。
シロヒメホウキタケ
前に大阪で同種を見たときは、もっと透き通るような白色をしていた。これは少し古くなったやつのようだ。
シイタケ
だと思うのだけれど...。もう少し大きくなったら、はっきりわかると思う。
ナメコ
大きく成長していて、ちょうど食べ頃のナメコを見つけた。
この日はトリュフの近縁種であるイボセイヨウショウロを探しに来て、空振りを食らったのだけれど、ナメコに出くわしたことで無駄足にならなかったので見つけたときは非常に喜んだ。
ナメコは鹿肉と一緒にすき焼き風の煮物にして食べた。ヌメヌメとした粘液にゴミが絡まって洗うのが大変だったが、味も食感も素晴らしかった。
猟期開始前なのに鹿肉(しかもエゾシカ!)をたくさんもらってしまったので、最近は鹿料理ばかり食べていた。
ジビエって言うとなんだかキワモノめいた響きだけれど、使ってみるとたいていどうやって調理しても美味しくて、そこらで売ってる普通の肉と比べて特別なものでないことがわかる。
鹿ステーキ
塩コショウ、にんにく、ローズマリーで味付け。赤身がジューシーで脂が甘い!文句なしの美味しさ。
鹿肉トマト煮込み
一品で野菜もたくさん摂れる上、とてもあったまる。調理も簡単だから野外で作るのにもいいかも。
鹿肉とレンコンの甘辛煮。
和風の味付けだと、にんにくやハーブを使わない分、鹿肉の野性味のある味をダイレクトに楽しめる。今回使った肉はきちんと処理されていたので美味しいけれど、血抜きが不十分だったりすると臭みが残ってしまうかもしれない。
鹿肉とレンコンのインドカレー
カレーなんだから、美味しくないはずがない。タンドリーにして焼いて食べてもよさそう。
とりあえず4つ紹介したけれど、他に作ったものや、これから試してみようとしているものもある。製麺機が使えるようになったから、鹿肉を使った坦々麺やソーキソバなんてどうだろう。夢は膨らむばかりだ。
それにしても、肉がたくさんあるって幸せだなあ。
家庭用の製麺機を買った。
買ったのは小野式製麺機といって、私が生まれるずっと前に作られたものだ。古いものだから、電動モーターなどついているわけもなく、手動のハンドルを回して生地を伸ばしたり裁断したりするためのローラーを回転させる。
わざわざこんなに古いものを買ったのには理由がある。
まずは見た目が良い。
ゴツゴツとした鋳物のフレームに、真鍮でできたメタリックなローラーが剥き出しにすえつけられている。一応簡単なカバーは着いているけれど、ハンドルを回せば大きな歯車がガチャガチャと回転する様をカバーの隙間から観察することもできる。
ヌメッとした流線型のフォルムにダイオードの光がピコピコしている最近のやつより、断然こっちの方がかっこいいと思う。
そして、ローテク故にある程度なら自力で修理できることも魅力だ。
私が買ったやつは部品の欠品こそないものの、ところどころ錆びて動きも悪くなっているため、5000円強という相場からするとかなり安価な値段で買い受けることができた。
実際に届いてみると、たしかにところどころ錆びたり変形したりでダメになっている部品はあったのだが、いったん分解してそれらを新しいものに交換したり、ヤスリで磨いたりしたら、問題なく動いてくれるようになった。
真ん中のローラーで生地を帯状にしてから、再度についた裁断用にローラーで麺の形にする。こちらは細麺用。
ローラーを回すのにそこそこ腕力が必要で、前に書いた記事の薪割りと同じように良い筋トレになりそうだ。
そしてこちらが太麺用だ。薄く伸ばした生地をこの太麺用ローラーにかければ、きしめんなんかも作れそうだ。運用次第で用途が広がるのも、原始的な機械の魅力だろう。
初めて作った麺に醤油とごま油をかけて食べた。
小麦粉と塩しか使っていないけれど、ツルツルもちもちとした美味しい食感にできたのでうれしかった。今後の使い方次第で無限に遊べてしまいそうなので、期待である。
閉会した展示会のことを書くのはなんだか申し訳ない気もするけれど、京都大学総合博物館で10月8日までやっていた「標本から見る京都大学動物学のはじまり」という展示を、少し前に観覧してきた。
メインの展示会場には、大小様々な動物たちの標本が集められていた。
中には、滅多に目にする機会のない珍獣(カモノハシとか)の全身剥製なども展示されていて、これは、自分としては街中でハリウッドスターを見かけるのと同じくらいうれしいことなので、一人で大興奮を味わった。
「一人で」と言ったが、つまり見学者は自分以外にいなかった。この展示に限らず、館内に人影はまばらで、もったいないなと思う反面、落ち着いて鑑賞や撮影ができることに感謝した。
標本たちは、選りすぐった物が展示されているだけあって、どれも素晴らしかった。
今回展示された標本たちは、展示名の通り、この地で動物学が始まった頃に蒐集されたもので、つまり、作られてから何十年とか、ものにとっては100年以上が経過したものもあるわけである。
なのに、ちっとも古ぼけた印象がないのがすごい。それだけ高い技術で丁寧に作られ、きちんと管理されているということなのだろう。骨格標本はともかく、剥製などはそのつやつやとして整った毛並みのせいで、さっきまで生きていたようにピンとしたたたずまいをしていた。
亡くなったもののことを忘れないために建てるのが墓標なら、標本は完成度の高い墓標の一種なのかもしれないと思った。
▲テングタケ(有毒)
秋といえばキノコ狩りのシーズンだ。しかし、悲しいかな、「どこそこでキノコ狩りをした人が、誤って毒キノコを食べて病院送りになった」というニュースがインターネットを賑わすのも、だいたいこの季節である。
それもそのはず、人間が問題なく食べられるキノコは、キノコ全体のほんの一握りの種類に過ぎない。さらに言うと、その食べられるキノコを正確に見分けられる人間もほんの一握りなのだ。
そこで思い出したのが、何年も前に読んだ海外のキノコマニアが作った同人誌に掲載されていた、MUSHROOM PAPER(キノコ紙)の作り方である。これなら、誰でも、(手で触っただけで炎症を起こすレベルの悪魔みたいな毒キノコでもない限り)どんなキノコが相手でも遊んでやることができそうだ。
キノコ紙の作り方は、基本的には木から作る普通の紙と同じである。キノコを粉砕して、水で繊維を取り出し、薄く整形して乾燥させるのだ。
折りよく、タマゴタケ狩りをした時に大量の雑キノコたちが手に入ったので、早速試してみた。
「我々はキノコである。名はあるはずだが、わからない」
いつもなら図鑑と照合して遊んだりするのだが、鮮度が落ちてもあれなのでまとめてさっさと紙になってもらおう。
これは、テングタケ。こいつをハンマーで潰す。
この永沢くんの頭みたいなやつはエリマキツチグリだろうか。つるつる滑って潰しにくいんだよ!とかいいながら、こいつも潰す。
すべて潰し終えたら、水に漬けて1日くらい放置する。
放置完了。
「ひょっとして新しい世代のキノコが生えてるんでは?いや、それとも虫が湧いているかも...」
期待と不安のメルティングポットと化しつつラップを外してみたけれど、表面にちょっと泡が立っているだけであった。ただ、少し臭った。
余計な水を捨て、ふやかしたキノコをミキサーに入れる。
スイッチを入れる。破片の段階ではほんの少しだけ残っていたキノコたちのアイデンティティが一瞬にして混ざり合う。
できたのがこの茶色いドロドロだ。水が減ってキノコ密度が上がったことで、さっきよりも臭いが強くなったようだ。
木枠に木綿の布を張ったもの。
さっきまでは絵画用キャンバスとよれよれの下着シャツだったものたちだ。
これをキノコ液の中に沈める。
ナムアビダブ ナムアビダブ...。
ドポーン。
木枠を軽くゆすってキノコ液が均一に行き渡ったら、引き上げて水分を落とす。
水滴が落ちなくなったら、木枠から布を取り外す。
表面がふつふつと泡立っている。それになんだかプルプルしているが、大丈夫だろうか。そしてまた臭いが強くなったような...。
たしか、参考にした本では、布に張り付いたキノコ紙(になる予定のプルプルした物体)を紙の上に伏せ、上から麺棒などで均して平らにせよと言っていた。
一抹の不安がよぎったが、初回なのでとりあえず従うことにした。
木製の麺棒はキノコの汁が染みこみそうで嫌なので、不要なガラス瓶で代用。
コロコロと転がしてやる。
あわわわわわわわ!
書いていて息が詰まりそうになってきた。きれいな写真を見て少し休憩しよう。
※以上、すべて北海道で撮影
キノコ液を全部流してしまってなかったことにしようかと思ったけれど、せっかくここまでやってきたのだからと自分に言い聞かせて再度やり直した。こういう状態を心理学用語でコンコルド効果と言うそうだ。
ともかく、あふれ出たドロドロを可能な限り回収して、木枠に布を張りなおし、同じように紙すきをして水を切るところまでは同じだ。
今度は、上から均すのはやめて、木枠から外して伏せた状態のまま乾燥させることにした。
2枚作って、海苔みたいにして干す。
干した。なんとかここまできた。
余談だが、干している途中、臭いにつられたナメクジが寄ってくるなどして、一層げんなりさせられた。
挟んでいる布と紙を取り外す。周辺部は破れやすいけれど、意外にしっかりしている。
完成...?
紙というよりは昆布に近いものが出来上がった。こいつに字や絵を描くには、白いインクが必要だろう。
......。
臭い!
まあ、なんだ、予想通りだね!
キノコ紙を作り始めたときは、最後はできた紙できれいなポストカードなどを作って、それで記事のオチにしようと思っていた。そのような希望は、工程のかなり最初の方で砕かれていたのだが、それでも一キノコ好きとして、キノコからできた紙がどんなものになるのか見届けたかったから、最後まで完成させた。
そして完成したものを前にして思った。
「こんなもの、何に使えばいいんだ!」
こげ茶色でよれよれで、しかも臭い。とても臭い。触った手も臭くなってしまう。ポストカードにすれば、嫌がらせの道具にはなるかもしれない。
少なくともこのやり方には何か致命的な欠陥があるようだ。やり方次第ではもっとよいものになるのかもしれない。でも、もう一度やる元気はないので、誰かに任せたい。
切れ端を濡らしてみた。水を吸ってボロボロになるかという予想に反して、意外な耐水性を発揮した。しかし、だからといって使い道は思い浮かばなかった。