鹿の足
猪の足
人の足
人の足は柔らかくて寒さにも弱いから、獣の足の足元にも及ばない(足だけに)
正月を、NHKの「落語 THE MOVIE」の再放送を一気見して過ごしたところ、まんまと落語見たさにいてもたってもいられなくなってしまった。
そんなわけで、初笑いがてらに大阪は天満天神の繁昌亭にいってきた。
平日昼間でしかも雨が降っているにも関わらず、受け付け時間前から行列ができていた。落語業界、案外安泰なのかもしれない。
入場待ちをしているあいだ暇なのであたりを見ていたのだが、郵便箱からしてこのような凝ったデザインだ。実はこの黒い箱が郵便箱であると気づいたのは、帰宅して写真を見返してからで、その場にいたときは違和感がなさ過ぎて気にもとめていなかった。
代わりに目を惹いたのが隣に置かれた看板だ。見ての通り出演者が列挙されているのだが、相撲の番付表とはまた少し違う字体が使われている。これも専属の職人が書いているのだろうか。トリ(調べたらこれももともとは寄席用語らしい)を勤める桂九雀先生だけ余白が多めに取られているのも、これが正式なやり方なのか、それともスペースが余ったから機転を利かせてそうしたのか気になるところである。
そうこうしているうちに開演時間だ。入り口の脇でドンドンと小太鼓が鳴らされるのにあわせて人が吸い込まれていく。自由席なので、良い席を確保しようと私も慌てて中に入る。
緞帳の下りた舞台はこんな感じ。
天井にはものすごい数の提灯が並べられていて壮観だった。このビジュアル、変なものに例えて申し訳ないのだが、タガメの卵みたいである。タガメの卵がどんなものか知らない人は検索してみてほしい。
さて、幕が上がって噺が始まるのだが、噺家さんの写真は撮ってはいけないし、演目の内容を書いてしまうのもやめておく。ただどの話も本当にうまく組み立てられていて、受験シーズン真っ只中なのにこんなに綺麗にオチがついちゃっていいのかしらとはらはらするほどだった。
立て板に水の話し方も、聞いていてとても気持ちよかった。そう、話を聞くのが気持ちいいのだ。言いたいことが要領を得ず、そのくせやたら時間ばかりかかるお話は聞いていて苛立つか眠くなるかの二択だが、落語家の喋りはその対極にある。基本的には早口で話しているにも関わらず、耳から入ってきた言葉が頭の中でスルスルと映像に変換されていく、その遅滞のなさが快感なんだと思う。落語はオチがわかっていても面白いと誰かが言ったが、さもありなん。
わかっている。ここでいろいろ書いて説明しても、この素晴らしさはなかなか伝わらないだろう。私が言いたいのは、少しでも興味を持った人はとにかく一度寄席に行ってみてくれ!ということだ。本当に面白いから。
頭を使っておなかが減ったので、繁昌亭の目と鼻の先にあるアジアン食亭 小施哥哥(シャオスークーク)というお店で麻婆豆腐とニラの餃子と杏仁豆腐を食べた。どれも美味しかったのだが、中でも上海生まれの店主が何時間もかけて自作しているという杏仁豆腐は、トゥルンとした滑らかな食感と杏仁の良い香りが絶品だった。
「また来ますね」と店主に言って店を出た後、日本語の流暢な店主は落語をもう聞いてみただろうかと気になった。 日本語検定一級のリスニング試験には、落語の聞き取りが出題されるらしいのだが...(嘘です)
鹿の肉でベーコンを作ったはいいけれど、焼いたりパスタに入れて食べるばかりでは飽きてくる。なにか目新しい食べ方はないかしらと考えていて思い出したのが、大昔に漫画の「美味しんぼ」で読んだベーコン鍋だ。
手元に本がないので検索してみたら、ああやっぱり、レシピを再現してくれている人がたくさんいた。
作り方はいたって簡単。
1. 大きめにきったジャガイモとタマネギを鶏がらスープで煮る
2. 火が通ったら、白菜と薄く切ったベーコンを入れる
3. これにも火が通ったら、塩で味付けし胡椒を振る
以上だ。
気になる味は、鍋全体を包み込む燻製の良い香りがすばらしい。
誰かは言った。「燻製(ベーコンとかソーセージとか)は洋風鰹節である」と。
塩辛くなると嫌でベーコンは控えめな量を投入したのだが、にも関わらず十分すぎるほどの旨味が出ているのには驚いた。鹿肉の脂は融点が高く固まりやすいので熱々のまま食べるのがいいのだけれど、その点でもうってつけな調理法だと思った。
「美味しんぼ」に登場するものの中ではどちらかというと端役に位置するこの料理を思い出し、しかもわざわざ作る気になったのは、自分で料理し始める前に「美味しんぼ」全巻を読破したせいで、料理を考える際に脳内の美味しんぼアーカイブをさらってみる癖が付いているからだと思う。あの漫画は毎回似たような展開の話が続くにも関わらず飽きずに読めるし、いまだに印象に残っている場面も多い。なんだかんだ言われているがやはり名作なのだと思う。
3日前のこと。
大掃除をしていたら、夏に神戸のエスニック食材店で買ったバスマティライスが出てきた。インドカレーを自宅で作ろうと思ってスパイスを買いにいったのだが、たまたま入った店がその月末で閉店するということでセール価格になっていたので、調子に乗って一緒に購入したものである。
炎天下を歩き続けてたどり着いた店がセールをしていたので、私はタイミングの良さにに小躍りした。しんどい思いをして買いに来てよかったと思った。しかし買い物をはじめてものの数分で、喜びは落胆に変転することになる。
しょーもない店に入ってしまったからではない。逆だ。店の品揃えが素晴らしく、値段設定も(値引きされた分を除いても)かなり良心的であったからだ。
こんな素晴らしい店がなくなってしまうなんて悲しかったし、閉店するならするでもっと早く存在に気づいていればと悔やまれた。とはいえ、残念がってもどうにもならないので、せめて気になったものをポンポンと買い物籠に放り込んで在庫の現金化に協力することにした。
レジでは、女店主が常連らしい外国人と会話していた。
外国人客「店を閉めたら○○(おそらく東南アジアの地名)の家に住むの?」
店主「あそこはトッケイヤモリがたくさん出るからなあ...」
え、トッケイヤモリがたくさん出る家?めっちゃいいじゃん可愛いし、あでも不潔なのかなあ。たくさんものを買った勢いでいろいろ聞きそうになったが、なんとか口にした言葉は「とてもいい店ですねなくなるなんて残念です」という当たり障りのないものだった。
で、そんな風にして買ったバスマティライスで、鹿肉を使ったプロフを作ろうと思い立った。プロフはクミンで味付けされた中央アジアの炊き込みご飯のような料理で、よくわからないがパラパラとしたバスマティライスの食感に合う料理法のように思ったからだ。
結果は大当たりで、淡白な鹿肉を豊富な食用油(油をケチらないことがこの料理のコツだそうである)が包み込んでくれてしっとりとしている。コメは狙い通りパラパラとしていて、噛み応えのある鹿肉をのせて流れる川のようにとめどなく口に入ってくる。2017年はいろいろな鹿肉料理を試してみたけれど、エスニック料理との相性はかなり良いようだ。
最後になったけれど今年もよろしくお願いします。
店はとっくになくなっているはずだが、あの店主はどこで新年を迎えただろうか。
【参考サイト】
▲嬉しい事なのでとりあえず報告するが、初めて自力でイノシシがとれました。
猟期が始まって獣のことを考えたり、ツイッターで流れてくるストロングゼロの大喜利を読んでニヤニヤしているうちに、今年もわずか2週間を残すばかり。しかもこの一月ほど更新らしい更新をしないで過ごしてしまった。
更新しない間に何も面白いことがなかったのかというと、もちろんそんなことはなく、思いつくだけでも
などのことがあった。喜びあり、落胆あり、緊張ありで、平坦な日常を送りながらこういった喜怒哀楽のジェットコースターのような乱高下を感じたなら躁鬱病を疑うところだが、幸い全て原因がはっきりしていることなので健康である。他にも出猟前の射撃練習だの、不調のミシンを担いでミシン屋まで往復するだの色々大変だった。
そんなにいろいろなネタがあるのならなぜブログに書かないのかと、1日1更新を旨とするブロガーに殴り倒されそうだが、この寒さではモニターの前に着座しても5秒で眠気に身を任せてしまう。山を歩き回って疲れているのならなおさらだ。
しかしながら、海底クラブをいつのまにか更新が止まった数多の有象無象のブログと一緒にするわけにはいかない。ぼちぼち更新を再開することにした。
冬の間じゅう狩猟記事ばかり書いていると、このブログを狩猟情報配信のためのブログだと勘違いする人が出てくるので、そうならないよう工夫しようと思う。
銃猟や罠猟の狩猟免許試験に比べて、網猟免許は実技試験の内容について紹介している情報が少ないと感じたので、メモしておく。1万円以上払って事前講習会を受けるのはもったいないという人の参考もなればいいと思う。
ただし私が受験したのは京都府の試験なので、他府県ではやり方が異なるかもしれない。
寒さが増してくる頃、私は震えながらバイクで琵琶湖湖畔のある場所に向かっていた。身を切るような寒い向かい風の中、わざわざ琵琶湖まで出かけるのは、ジャンボタニシことスクミリンゴガイという巻貝を捕獲するためだ。
ジャンボタニシは、もともとは食用として輸入、養殖されていたものだ。が、簡単に増やすことができてしかもデカイ!という家畜化されるべくして生まれてきたような特性と、養殖家たちの期待に反して、日本の食卓に普及することはついになかった。持て余されたジャンボタニシはそこらに打ち捨てられ、持ち前の繁殖力と「有機物ならなんでも食べる」とまで言われる図太さを活かして、日本中に分布を広げつつある。
「わざわざ食用に養殖までしたのに根付かなかったのだから、たいした味でないことは食べてみなくても予想がつく」
と言ってしまえばそれまでだが、高い生産性を持ちながら無視される味というのも気にならないことはない。はたして、どんな味なのか食べて試してみた。
寒風を受けて顔面がぱりぱりになるほどバイクを運転してわざわざ遠くまで来たのにはわけがある。夏に同じ場所に遊びに来た折、どぎついピンク色をしたジャンボタニシの卵塊をいくつも見かけていたからだ。
そのときは、捕獲しても暑さで持ち帰るまでに腐ってしまうことが明らかだったから諦めたのだが、気温が低下したのを見計らいこうして出直してきたのである。
さて、見るからに毒々しい色をしたこの卵塊には、事実神経毒が含まれているらしい。つまり卵塊のピンク色はあからさまな警戒色なわけであるが、この目立つ色の卵塊のせいで容易に生息地を特定されてしまい、奇特な捕食者を呼び寄せてしまうことをいったいどのジャンボタニシが予想しただろうか。
葦がそこそこ茂っている割には、水辺にアクセスしやすい場所である。
ここで1回目の採集に失敗したときの話をしておきたい。実はこの数日前にも、同じ場所で採集を試みていたのである。そのときは罠を使ってジャンボタニシを一網打尽にしようとしていたのだが、これは失敗に終わっているのだ。
どのような罠なのか...それは、ダンボールを水に沈めたものである。嘘ではない。ジャンボタニシは柔らかい有機物が大好きなので、ダンボールを水に沈めてふやかしてやると、大喜びで食べに来るそうなんである。つくづく庶民的な貝だと感心するが、ここまで来るとジャンボタニシは馬鹿なんじゃないかと心配になる。
ゲームでバグ技の類を好んで使う人の心をくすぐりそうなこの罠なのだが、台風の襲来によってふやけたダンボールが千切れ流されてしまうというジャンボタニシもあきれるほどの大馬鹿なミスのせいで、真偽を確かめるまでもなく失敗に終わった。
中央に結びつけてあるのはこれまたジャンボタニシの好物である酒粕と小麦粉を練り合わせたものであり、ジャンボタニシ的にはデザートのつもりだった。流れ着いた先で喫食してくれていればいいのだが...。
家にあったダンボールを使いきってしまったため、罠を使うのは諦めて、台風によって浜辺に打ち上げられた大量の葦の中からジャンボタニシを拾い上げる作戦に変更した。
地面を見ながら波打ち際を歩いていると、実に様々なものが打ち上げられているのを見ることができる。写真は、忍者がマキビシとして使ったと言う菱の実である。菱の実はそこらじゅうに落ちていて、湖畔はまるで今しがた忍者が駆け抜けた場所のようになっておりたいへんおもしろい。
肝心のジャンボタニシは探し始めてものの数分で見つかった。罠なんていらんかったんや...。
ジャンボタニシは陸上でもかなり長期間生きられるらしいのだが、堆積物が窪んでできたわずかな湿り気スポットに目ざとくインしているあたり、さすがに水分が恋しいと見える。
こんな感じである。これだと、ジャンボタニシとしては小ぶりな方だ。
外敵や乾燥から身を守るために、固い蓋を閉じている。キュッと縮こまったようなしぐさがかわいらしい。このように、ジャンボタニシには水路などでみかけるとついつい拾い上げて愛でてみたくなる愛嬌があるのだが、広東住血線虫などの寄生虫をもっている場合もあるため、素手で触った後はよく手を洗うことが大事である。
これは大きいやつ。小ぶりのサザエくらいある。
20分くらいかけてこれだけ採れた。ジャンボタニシだけで腹が膨れるほどたくさんはいらないので、さらに捜索したい欲を断ち切って帰ることにする。
漂着したジャンボタニシや菱の実、その他もろもろの生き物たちを観察するのはとても楽しくて、湖畔を延々と歩いてしまいそうになるほどだ。ジャンボタニシを食べない人にもお勧めの遊びである。
しかしながら、私の体感的に、成人したホモサピエンスの7割くらいは毛が生えてモフモフしていて体温のあるもの以外の生き物にさしたる魅力を感じないようである。
そんな人は、同じ場所で撮影したヌートリアの親子の写真を見て少しでもこの水辺の魅力を感じていただければ幸いである。
捕獲したジャンボタニシたちには、水道水の中で数日かけて体内のドロや消化物を吐き出してもらうことに。
これを見て欲しい。帰宅して水道水をいれたバケツにジャンボタニシを移し、数時間休憩してから覗いてみたものだ。すでにかなり水が濁っている。そのまま食べないでよかった...と安堵した。
細長い触覚が最高にあざとい!
萌えという言葉を耳にしなくなって久しいけれど、この天然アホ毛はまさしく萌え要素と言えるだろう。
塩水に入れる。
ジャンボタニシに言葉があったなら
「ん?なんだか苦しいかな?」
「んー、なんだかさっきまでと違うけれど、息ができなくはないね」
などと言い交わしているだろう。
沸騰させたところ。
「う、うわあああああああああ!」
「熱いよー!助けて...」
ジャンボタニシに言葉がなくてよかった。
寄生虫が怖いから15分くらいかけてしっかりと茹でる。
実を取り出すために爪楊枝をさしたところ。このまま居酒屋のお通しとして出てきても違和感が湧かなさそうである。
くるくると回しながら、実を千切らないように慎重に取り出したところ。何の変哲もない巻貝だ。
全て取り出した。ここからどうやって調理しようか。
まず一品目。
日本のジャンボタニシは台湾から輸入されたもの(※ただし原産地は南米)らしいので、ニンニクとタカノツメを加えて中華風の炒め物にしてみた。
食べてみる。
うん、至って普通の貝の味。同じ巻貝であるサザエほどの強い旨味や磯臭さは当然ないが、ぷりぷりとした良好な歯ごたえと、噛むほどに染み出る薄い旨味がある。内臓がドブ臭さかったらどうしようというところは心配だったけれど、そのような強烈な臭みもない。
だけどなんだろう...。
口で噛んでいるときはそうでもないのだけれど、飲み込んだ後にはなにスッと抜けるような、黴臭いような香りがある。
ニンニクの臭いやタカノツメの辛味が通り過ぎた後に一瞬だけ顔を出す、このサブリミナル効果のような黴臭さはどこから来るのだろう?注意しないとわかりにくいけれど、この不快臭はたしかに存在する。
少しずつ部位を分けて食べてみたところ、
犯人はこいつだ!
この赤っぽい色の器官が臭みのもとであることは疑いようがなかった。
パッと見たところは、アンコウの肝のような色と質感で美味しそうともいえるこの器官、こいつを単独で食べるとなんともいえない黴臭い味が口に広がるのだ。平々凡々な貝のフリをして、まさかこんな爆弾を抱えていたとは恐れ入ったものだ。
一品目は今ひとつの出来であった。
残りのジャンボタニシは、この教訓を活かして、内臓部分を取り払って調理するエスカルゴ風に料理してみた。茹でたジャンボタニシの筋肉の部分だけを切り取って殻の中に入れ、バターにニンニクやパセリを練りこんだもので蓋をして、オーブンで焼き上げる。
焼きあがった。
なんだかお洒落な見た目に仕上がった。
パンに載せていただく。
味は...悪くない。苦味のある内臓を丸ごと取り払ったせいで、良くも悪くも味はフラットになった。本物のエスカルゴを食べる機会は滅多にないのだけれど、ちょっと小洒落た店で「これ、エスカルゴです」と言って出されたら気づかずに食べてしまうだろう。
臭いを放つ部位を特定した瞬間こそ、「へ!こんなもん普及しなくて当然だね!」と吐き捨てたくもなったが、エスカルゴのように内臓を除去して調理すればいたって普通の食味であることも確認できた。そもそも養殖したものにもこの臭みがあるのかどうかもわからない。
可もなく不可もない味ならなんで日本の食卓に普及しないんだということになるが、それについて考えた結果、
「日本に来るのが遅過ぎたのだろう」
という結論に至った。
ジャンボタニシが輸入されたのは、1980年代に入ってからである。貧しく食料の乏しい時代ならいざ知らず、美食バトルで親子の確執を表現する漫画の連載がスタートするほどの飽食の時代に「味はまあそこそこで、とにかく生産性が高い」ジャンボタニシが流行らなかったのは無理もない。あと30年早く来日していれば、あるいは鯨ベーコンくらいの立ち居地で細々と愛されたかもしれない。せっかくなので商品の投入時期を誤ったビジネスの失敗例として、ビジネス書などに載せてあげて欲しいと思う。
なお、最近なにかと話題の北朝鮮ではジャンボタニシの養殖を国策として進めているらしい。やはり「とにかく繁殖力に優れている」点が買われているのだとか。彼らが新天地で活躍することを祈るばかりである。
大きな貝の殻って昔からとっておいてしまう