口を利かないやつらの素晴らしさよ

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子供が上に乗っても沈まないという、あのオオオニバスを観察したいと思って、京都府立植物園に行ってきた。

あいにく、目当てのオオオニバスは発育途上であり、子供はおろか猫が乗っただけでもぶくぶくと沈んでしまいそうな貧相な大きさで、しかも岸から離れているため遠目にしか見ることができず、残念だったのだが、直後に見つけた看板に書かれていた文言に、萎えた気分は踵を返すように色めき立った。

 

バオバブの花、開花中」

 

植物園なんて滅多に来ないのに、それがバオバブの開花時期にバッティングするとは、なんて運がいいんだろう。入園料200円に加えて、さらに200円の温室観覧料を支払い、巨大なガラス張りの温室に入室した。

前にこの温室に入ったのは、ひょっとしたらもう10年以上前だったかもしれない。以前は、珍妙な形の植物がたくさんある、くらいの感想しか抱かなかったような気もするが、久しぶりに温室内の植物たちを眺めてみると、ひとつひとつが本当に個性的でおもしろい。

安定感の権化のような、末広がりの幹をもつトックリヤシがある。尾を引いて飛ぶ人魂のような形の葉をたくさんつけたインドボダイジュがある。オレンジ色の実が鈴生りになったカカオの木がある。温室は、室温や湿度に応じていくつかの部屋に分かれているのだけれど、部屋から部屋へ移動するたびに空気の匂いがぜんぜん違うことにも感心した。沖縄とか北海道とか海外とか、遠くに旅行したときに感じる漠然とした空気の違いみたいなものは、植生の出す香りの違いが一役買っているのかもしれないと思った。

バオバブのところまでやってきた。写真で見たマダガスカルバオバブよりはずっと小さかったけれど、筋肉がついてむちっと膨らんだような幹は健在。夜に咲いて翌日の昼には落ちてしまうという花は、運良く一つだけ落ちずに残っていた。枝からヒョロヒョロとぶら下がって咲いている花や開花待ちのつぼみたちは、きれいと言うよりはコミカルであった。一帯には甘い匂いが立ち込めていたが、これがバオバブの花の匂いなのか、近くの他の植物から出ているものなのかはわかりかねた。

順路に沿った展示も終わりに差し掛かる頃、対人コミュニケーションに飢えていると思しき老人が、単独行動中の若い女性にしきりに話しかけているのに遭遇した。「一人で来たの?」とか「どこから来たの?」とか、しょっぱなからタメ口なのがありがちだなあなどと聞き耳をたてつつ通り過ぎた。

もし仮に、動植物が人語を操るようになったらどうだろう。最初のうちこそ、もの珍しさやら、今までわからなかった気持ちを知りたいやらで、狂喜して会話するに違いない。でも、だんだん話が出来ることに慣れてくると、やっぱり気の合うのとそうでないのが出てきて、というか気が合わないやつの方がほとんどで、話しかけるのも話しかけられるのも億劫になってしまうだろう。考えてみれば、口の利ける昆虫とか、めちゃくちゃウザそうではないか。

木は偉い。何十年とか何百年とか生きていても、誰にも藪絡みなどしないのだから。動物も植物も決して話しかけてきたりすることはない。哺乳類なんかを相手にすると、「あれ、これって意思疎通できてるのでは?」と感じる瞬間もあるにはあるが、彼らも基本的には自分のことしか考えていないと見ていただいて差し支えない。だからこそ、素晴らしいのである。

 

 

 

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銘菓「砂防ダム」を作る

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毎日、暑い。

うんざりするほど、本当に、暑い。

こう暑いと、「日本の夏」などというどこか趣ある呼称は不似合いだ。最高気温35℃以上を記録した日は、「ナツ」とは区別して「アツ」という第五の季節として扱ってやるべきだろう。

「アツ」バテ気味で横になっていたある晩、ダムを模した菓子を作ってやろうという閃きが突如頭に降ってきた。何を言っているのかわからないと思うが、風鈴が涼しげな音で暑さを忘れさせてくれるように、頭からドバドバと水をぶっ掛けて強制冷却してくれるような、そんなダムのイメージを利用した涼菓が新しい季節にはふさわしいと思ったのである。

 

銘菓「砂防ダム」のできるまで 

一口にダムといっても様々だが、菓子のモチーフには砂防ダムを選んだ。大型の貯水用ダムは山奥まで行かないと見られないが、砂防ダムはちょっとした川などにも設置されている。動物園のライオンと近所の野良猫くらいの違いがあるのだ。新しいお菓子は、庶民的で親しみやすいものであってほしいから、砂防ダムの方が相応しいのだ。

メインの材料には、寒天を使うことにした。何年も前に買った天草(寒天の材料になる海藻の干物)が冷蔵庫のすみに待機していたし、なにより青臭い磯の香りが夏のダムを連想させるからだ。

 

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寒天を流し込んで砂防ダムの形に固めてやるためには、まず原型になるミニ・砂防ダムを作り、そいつを元にして型を作ってやる必要がある。

最初に用意したのは、木の板と紙粘土だ。

(ところで紙粘土のパッケージに書かれた「白くてつよい」というフレーズに読者は何を連想したでしょうか?私はマシュマロマンを思い浮かべました)

 

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 まず、木の板の上に紙粘土を盛り付けて、水の流れやすそうな谷の地形を作ってやる。

 

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ダム本体はダンボールに切れ込みを入れて作る。紙粘土とダンボール、なんとも頼りないダムだ。実際に使ったら1分と経たないうちに溶けてしまうだろう。

 

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砂防ダムの"あの形"に切り出して

 

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何枚か重ねて厚みを持たせた物を谷に埋め込んでやる。

 

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形を整え、紙粘土を水で薄く延ばしたものを全面に塗って、完成。

着工から完成までにかかった時間は約40分。ひょっとすると世界一短期間で完成したダムかもしれない。

 

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原型が出来たので、型をとっていく。

用意したのは型取り用シリコン。

 

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シリコンと硬化剤をよく混ぜ合わせてから、タッパーの中に鎮座するミニダムの上に静かに流し込んでやる。

型取り用シリコンを使って型を取るのはこれが初めてだったのだが、シリコンからカルピスにそっくりの香りがするので驚いた。

 

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そんなこんなで型が完成。

ここから、ようやくお菓子を作る工程が始まる。

 

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この、キツネから出てきた毛玉のようなモケモケが天草だ。

何年も前に和歌山を訪れたときに、旅先の浮かれ気分に任せて大量購入したものの、そもそもそんなに頻繁に使うものでもなく、また寒天や心太が大好物なわけでもなく、余らせていたものだ。冷蔵庫を開けるたびにこいつが視界の端にチラッと写り、後ろめたい思いをさせられていただけに、今回で使い切ってしまえるのがうれしい。

 

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水に少量の酢を加えたもので1時間ほど煮る。

 

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漉した煮汁を型に流し込んで

 

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冷え固まったところを取り出す。

ふむ......絶対になにか失敗をすると思っていたのだが、一度もやり直すことなすんなり仕上がってしまった。

 

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 自重で少し歪んでいる気もするが、砂防ダムの特徴である台形の切りかきもきちんと再現されている。十分に砂防ダムに見える出来と言ってよさそうだ。

 

ダムの目前で、ダムを食べる

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出来上がったお菓子をもって、本物の砂防ダムを見に来た。

どうでもいいのだが、小学校の修学旅行で訪れた淡路島で、牧場の牛を見ながらビーフカレーを振舞われたのを思い出した。

 

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水量が少ないからだろうか、上の窪んだところは乾いていて、壁面に開いた穴から川の水が流れている。

「食べないでー!」と叫びながら泣いている顔のようにも見える。

 

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そんな、ダムの声なき声は無視して、きな粉と黒蜜をそえて食べる。

では、食べ方を紹介しよう。

 

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まず、きな粉をかける。

 

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窪んだところにきな粉が貯まるが、これはダムの底に貯まった土砂を模しているのだ。本物の砂防ダムと同じで、ダム内に貯まったきな粉の量が多すぎると次の工程で苦労することになるので注意が必要である。

察しの良い読者はもうわかったと思うが、ここに黒蜜の川を流してやる。では、その様子を動画で見てもらいたい。

 

黒蜜の粘土が高く、氾濫したらどうしよう......と気が気ではなかった。上流から下流まで問題なく流れてくれて、一安心だ。

この日は例によって非常に蒸し暑く、砂防ダムは市街地から離れたところにあるため周囲には誰もいなかったのだが、菓子の上で目の前の砂防ダムを流れる水の流れがきちんと再現されたことに手を叩いて歓喜した。誰もいなくて良かったと思った。

 

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砂防ダムと銘菓「砂防ダム」のツーショット。

 

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ダムが半透明なので、中に貯まった土砂や水が透けて見える。解説用の模型を見ているようで、とてもおもしろい。

 

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 ダムを見ながら、ダムを食べる。

 

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少しぬるくなっていたけれど、美味しかった。少しだけ涼しいような気もしたけれど、それは目の前のダムがたてる水しぶきの効果だったかもしれない。実際に涼しくなったかどうかはさておき、天草を煮て型抜きして、出来上がったダムの上を黒蜜が流れるところを観察してと、なかなかに楽しい、オリジナルな夏の風物詩ができあがったので満足である。

 

 

 

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スズメを一網打尽!無双網猟に同行してきた話

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日本でできる狩猟は大きく3種類に分けられる。銃を使う猟、罠を使う猟、そして網を使う網猟だ。狩猟免許を取得したときから、この網猟について気になっていたのだが、「家の近くでできる罠猟も楽しいし、網猟はまだ先でいっか。近くに教えてくれそうな人もいないし」などと先延ばしにしていた。先延ばしにすると、つい先延ばしにしすぎてしまうのが人情だ。私は結局3年近く放っておいてしまった。

もしやこのまま無期延期になってしまうのでは......そう危惧して知人の狩猟関係者に相談してみたところ、そんならいい人がいるから、一度ついて行ってみると良いといって網猟名人を紹介してくれた。すごい人が、意外と近くにいるものである。

この記事は、もう半年近く前の真冬のことなのだが、網猟名人に同行して無双網(むそうあみ)という大きな網を使ったスズメ猟を見せもらったときのことについて書いたものである。

 

無双網猟とは

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 無双網と呼ばれる大きな網を地面に伏せておいて、獲物の鳥が着地したところを見計らって網につながったロープを引き、鳥の上に網を被せて捕まえる猟法。

上の写真は狩猟免許のテキストに載せられたイラストで、無双網の中でも特に双無双(ふたむそう)と呼ばれるものだ。二つの網を、折り重なるように別々の方向から被せるから、”双”無双。名人がスズメ獲りに使っていたのも、この双無双タイプの網だった。

理屈はわかる。しかし本当にこんなに上手くいくのだろうか?というのが、イラストを見た第一印象だった。だって、あからさまに怪しい場所に着地して、網が自分の上に被さってくるまで逃げようともしないなんて、鳥が馬鹿みたいじゃないか。イラストの鳥がなんだか頼りない表情なのも不安を助長した。

初めて無双網の原理を知ったときにそう感じてしまったのも無理はない。しかしながら、網猟体験者の書いた体験記などを読むと、この仕掛けに囮の鳥であるとか、誘い餌であるとかを追加することで、調子のいいときだと一度に何十羽という獲物をとることも可能なのだそうである。

何十羽!想像しただけでも、両手を拳に握って突き上げ、「ウオー!」と大騒ぎしたくなるようじゃないか。しかも、それがあのコミカルな網によって一網打尽にされるというのだ。なんとしてもその光景を見てみたい。以来、網猟は私の中のMust To Do リストに入れられていたのである。

 

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網猟は、他の猟法に比べてかなり安全であると思う。シカやイノシシを狩ろうとして、反撃されて重症を負ったという話はたまに耳にするけれど、網に絡まった鳥など素手で簡単に取り押さえられよう。それに、猟具で他人を怪我させるということも起こりにくい。 

そんな網猟なのだが、これをやっているという人は、ただでさえ数の少ない狩猟者の中でもかなり少数派である。そんな中で、場所の選定や猟具の設置なんかを全て一人でこなして成果を挙げられる名人は、無形文化財といっても差し支えない存在だ。

私が訪ねて行くと、名人は快く家に上げて猟具を見せてくれた。スズメ猟用の網は案外目が粗いのだが、これがもっとも絡まりやすいとのこと。

 

私 「名人はいつから網猟をしておられるのですか?」 

名人 「そら、母親の腹の中にいるときからやがな!ハハッ!」

 

なるほど、名人と呼ばれて慕われるには、これくらいの豪放さがないといけないのである。

もう一人猟に同行したい人が来るそうなので、その人を待っている間にいろいろ教えてもらっていたのだが、その間にも何件か電話がかかってきていた。

うち一件は、四国からかかってきたもので、網猟のアドバイスをしてほしいという申し出にいろいろと答えておられた。以前には北海道から訪ねてきた人もいたらしい。名人は多忙でもあるのだ。

 

 まずはスズメの集まるポイントを探す

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メンバーが揃ったので、車に道具を積み込んで出発する。

田園地帯に着いたら、まずは網を設置する場所を決めなければならない。

 

突然だが、「コンビニを出店するから場所を決めろ」と言われたら、読者のみなさんならどんな場所を選ぶだろうか?

たぶん、出来るだけ人口密度の高い地域の、できるだけ人通りの多い道沿い出店して、店に入るお客の数を最大化しようと考えるはずだ。

無双網の設置場所を決めるときの発想もこれと同じだ。名人曰く、スズメの群れはいくつかの安全地帯(屋根の上、電線の上、木の上など)を決めて、それら決まったポイントの間を行ったり来たりしながら餌を探すらしい。スズメはスズメで、お気楽に生きているように見えて生き残るためにいろいろと考えているわけだ。

で、狩猟者はそれを逆手に取る。つまり、スズメの群れがとどまっている地域で、その飛行経路の下の地面に網を設置するのだ。こうすることで、網猟の成功率をグッと上げることができる。

無双網猟をするには、経営コンサルタントも真っ青になるくらい、お客(スズメ)の動線に注目することが必要なのである。

 

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安全地帯である屋根の上に行儀よく並ぶ獲物のみなさん。写真に入りきらなかったけれど、奥にはもっとたくさんいた。勝手に『スズメのお宿』と命名してやった。 

 

網を設置する

場所が決まったら、網を設置する。

このとき、興奮して大騒ぎなどしようものなら、異変を察知したスズメの群れがいっせいに逃げ出してしまうかもしれない。粛々と行動することが求められる。

 

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網の両端に支柱になる竹竿を通し、根元についた杭を地面に突き刺す。

 

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片面を設置し終わったところ。

 

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両面とも設置し終えたところ。こうしてみると、どこに網があるのかパッと見ただけではわからない。空の上から見ると、なおさら判別しにくいかもしれない。

 

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わかりやすいように色をつけてみた。ピンク色に塗られたところに網がある。網につながったロープを引くと、2枚の網が矢印の方向に反転して、真ん中のスペースで地面をつついているスズメを一網打尽にするのだ。

 

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さて、網の設置は終わったけれど、これだけではスズメが来る可能性は低い。コンビニの例を続けるなら、内装がまったく出来ていない状態だからだ。

そこで登場するのが、この囮のスズメたちである。

 

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紐を結ばれて逃げられないようにされたスズメ。

囮に使われるのは、名人が以前に生け捕りにしたスズメの中から厳しいオーディションを経て選出された、とりわけ大きな声でよく鳴く歌声スズメたちだ。彼らが地面をピョンピョンしながら鳴いているのを見て、上空を通過するスズメたちは

「あ、仲間がいるじゃん!ならあそこは安全に違いない」

と思って下りてきて、一緒に地面をつついて餌を探し始めるのである。

鋭い人は、囮が必要なの?じゃあ最初のスズメはどうやって捕まえたわけ?と疑問に思ったはずだ。囮に使えるスズメがいないときは、録音された鳴き声をスピーカーで流すことで代用する。ただし、網のところまで下りてくる前に見破られて、逃げられる可能性がかなり高いそうだから、たかがスズメとて侮れない。

 

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内装も整った。最後の仕上げだ。コンビニの例えもかなりきつくなってきたが、あえていうなら......看板とか?

使うのはカラスの剥製だ。スズメたちは、カラスが地面に下りているのを見つけると

「あ、俺らよりずっとクレバーなカラスさんたちがいるじゃん!ならあそこは安全に違いない 」

と思うかどうかは知らないが、地面に下りて来やすくなるそうだ。

このとき、カラスを置く位置が網に近すぎると、カラスに襲われるのを警戒して逆に下りて来なくなるようなので注意。

さらにさらに、カラスには、風に煽られてバランスを崩さないよう、できるだけ頭を風上に向けて抵抗を減らそうとする習性がある。だから剥製のカラスたちも、うっかり風上に尻を向けて羽毛をめくり返らせるようなことがあってはならない。これまででわかったように、スズメたちは些事に気がつくこと小姑の如しであるから、おかしな方向を向いたカラスなど一目で偽物と見破られて嘲笑されてしまうだろう。

 

準備は以上だ。しかしまあ、スズメを騙すためになんと周到なお膳立てをすることだろう。どこかの映画監督が「日常の風景を自然に演出するのが一番難しい」というようなことを言っていたのを思い出した。

 

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 50mくらい離れたところまでロープを伸ばして、スズメたちが下りてくるのを待つ。銀色の輪に結ばれているのが網を操作するロープで、手前の木枠に繋がっているのは囮を跳ねて目立たせるためのロープである。

さあ、スズメはくるのだろうか!?

 

スズメが下りてくるのを待つ

設置するまでは大変だが、ここからは基本的には待ち時間である。

待っている間は、大人しく空を眺めているほかはない。スズメたちは特に音を立てずにやってくるので、きちんと見張っていないと、シャイな配達員のようにこちらが気づかないうちにやってきて、気づかないうちに不在表だけ置いて去って行ってしまうかもしれないからだ。

 

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大挙してやってくるハトの群れ。空を見上げているのも、単調に思えて案外変化が多く、飽きない。

 

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首が疲れたときは、田畑の土に掘られた溝などを眺める。農業のことはよくわからないけれど、肥えた土なのだろう。この土が米を育て、その米をスズメが食べ、そのスズメを今我々が捕まえようとしているのだなあ。

そんな、取り留めのないことを考えていたのだが、名人の

「来たぞ!来たぞ!」

という興奮しているけれど静かな声に現実に引き戻された。

前を見ると、 今しも網の上空を通過しようとしていた10羽程度のスズメの一団が、思いついたように急に下方向に反転したところだった。一羽一羽が減速するために螺旋を描きながら降下して行くのが、群れ全体では小さな竜巻のように見えた。最後尾の一羽が着地し終わらないうちに名人が一息にロープを引いた。

 

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バサッ!

予想外の勢いで反転する無双網。そのスピードたるや、コンビニの自動ドアなどの比ではない。

 

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無双網が反転し終わるか終わらないかのうちに、名人も我々もいっせいに駆け出す。もたもたしていると、バタバタともがいて脱出に成功するやつがいるかもしれないからだ。

畦道を全力疾走して、息を切らしながら駆け寄ったのだが......あれ、あんまりいなくない?

 

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いや、よくみるとそこにもここにも絡めとられている!

土や枯れ草の上ではスズメの模様が迷彩効果を発揮して、背中を上にして落ちているものは注意して見ないと気がつかないのだ。 

 

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逃がさないように、1羽1羽丁寧に網から外してやる。むっつりと膨れているのか、恐怖で縮みあがっているのか、とにかくほとんど抵抗らしい抵抗をしてこない。

スズメには気の毒だが、こうして生きたスズメを手にとってじっくり見る機会などこれまでにほとんどなかったので、いつまでも観察していたい気になってしまう。

だが、あまりゆっくりもしていられないのだ。こうして網から外している最中にも、頭上を一群れのスズメたちが 通り過ぎて行った。どうやら、群れの動きが活発になってきているようだ。このゴールデンタイムを逃すわけにはいかない。一刻も早く網を元通りに広げて、次の一群をお迎えしなくてはならない。コンビニエンスストア『シタキリ・マート』は大賑わいなのである。網から外したスズメを両手に抱え、我々は先ほどとは逆に、待機場所に向けて駆け出した。

 

無双網によるスズメ狩りは、一種の青春である

疾走と待機を何ターン繰り返しただろう。日が傾いてきたかな?という頃になると、さすがにスズメたちもあまり飛び立たなくなってきた。

 

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我々が腰掛けている畦道には、100羽を越えるスズメの山が出来上がっていた。サービス業なら、社員数で言えばぎりぎり中小企業として認められないくらいの数である。十分に捕まえたし、そろそろ潮時であろうということになった。

 

撤収作業をしていると、もう一人の同行者氏が

「網にかかったスズメを回収するために走っている、あの瞬間は一種の青春ですね」

みたいなことを言っていた。

「うおー、網にスズメがかかったぞ!急げ!急げー!」という、アドレナリン全開の圧倒的な高揚感とともに畦道を疾走するこの感じは、たしかに青春と形容してもいいかもしれぬ。もっとずっとプリミティブな何かである気もするけれども。

ともかく、網猟は私が予想していたようなまったりとしたものではなく、とてもスピーディーだった。そして、スズメたちが網に吸い込まれるようにシュルシュルと降下していく様子は、期待通りにとても愉快だった。

無理を言って名人につれてきてもらってよかったと、心底思えるような体験だったのである。

 

スズメは美味しい

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獲れたスズメを10羽ほどお土産にもらってきた。

残りは、名人とその奥さんが家で食べる分もあるが、大部分は伏見稲荷大社の周辺の店に卸すそうである。伏見稲荷大社といえばスズメの丸焼きを出す店が軒を連ねることで有名で、私も何年も前に食べたことがあるけれど、そのときはスズメがどこから来ているかまでは考えていなかった。

醤油と砂糖と酒を合わせたタレにからめて丸焼きにしたスズメは、骨ごとバリバリ食べられて、味も濃かった。(写真の右4羽がスズメ。左の2羽は別の日に仕留めたヒヨドリ

特に面白いと思ったのは、残酷なようだけれど、頭を齧ったときの食感だ。他のものに例えるなら、融けかけた『アイスの実』を食べたときのようだ。外側をカシュッと噛み割るとジューシーな中身がどっとあふれ出てくる、あの感じだ。スズメよりも二回りくらい大きなヒヨドリだと、骨が固くてこういうふうに食べることは出来ない。これはスズメならではの味わいだ。

外はカリッ、中はジュワッという食感が我々は好きだけれど、人間のこういう嗜好は小鳥の頭を齧ったときの食感がルーツなのかもしれないと思ったりした。

 

 

 

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大きな割り箸を作って、ついでに転ばしてみた

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「割り箸を使うのをやめても環境負荷はさほど変わらないらしい。割り箸の材料にされるのは、他に使い道のない木っ端だからだ」

自宅で大工仕事の後に残った余り物の木材を前にして、昔誰かが言っていた割り箸に関する豆知識を思い出した。使い道のない木材が割り箸になるのなら、私の余った木材も割り箸に加工してやりたいと思った。しかし普通の割り箸をたくさん作っても面白くない。そこで木材の大きさをフルに活かした大きな割り箸にしてやることにした。

 

大きな箸ができるまで

思いつきでおかしなものを作ることができるのは、ほぼ電動工具たちのおかげだと言っても過言ではない。仮に手動の鋸しか持っていなかったとしたら、大きな割り箸などという無用の長物を作ろうなどとは絶対に思わなかったはずだ。いや、よしんば思いついたとしても実行に移すことはなかっただろう。文明の利器は、人を無駄なことに駆り立てる。

 

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まず木材の縦方向にのこぎりを入れ、全長の4分の3くらいのところまで裁断する。

 

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切れ込みの入っていない部分には、割れやすいようにトリマーで溝を切ってやる。

 

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最後にヤスリで丁寧に磨く。

弁当を食べようとして、ささくれ立った割り箸に当たったときの悲しさといったらない。棘が口に刺さりそうで及び腰になるし、食べ物の味も心なしか落ちるような気がする。そういう残念な経験があるから、私はこういう細かいところも手を抜かないのだ。たとえ箸として使うことがないとわかっていたとしても。

 

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本体はできたので、次は箸袋だ。A3サイズのコピー用紙をつなぎ合わせて袋状にしてやる。

 

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「あの切れ込み」もちゃんと再現した。

 

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思った以上にちゃんと割り箸になった。

この状態で数日放置しておいたところ、部屋に遊びに来た友人に

「大きな割り箸みたいな物があるなと思ったら、本当に大きな割り箸だった」

と言って呆れられた。

 

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さて、仕上げだ。墨汁使うの、何年ぶりだろう。

 

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最終工程にしてやり直しのきかない作業なので少し緊張。

このとき「次の元号って何になるんだろう」という、全くもって無関係な思いが思考に急浮上してきたため、危うく「平成」と書いてしまいそうになった。すんでのところで脳内の故・小渕恵三元首相を追い出すことに成功して事なきを得たが、危なかった。割り箸に平成はあまりに場違いだ。そこはせめて元禄だろう。

 

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箸袋に書いてある文言といえばやはりこれだ。

箸袋に書いてある字って、なんだかヘロヘロした字体のものが多いと思うのだが、私に書道の心得がないこともあっていい感じに再現できたようだ。少し墨汁が垂れてしまったが、ともかく完成。

 

箸を連れて公園へ

完成したビッグな割り箸を持って近所の公園にやってきた。遊具と並べてやることで、こいつのおかしなスケール感が映えると思ったからだ。

 

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滑り台のそばに佇むおてもと。

 

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滑り台の上からこちらを見下ろすおてもと。初夏の空の青さが眩しい。

 

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ザザー!という音をたてて、勢いよくスライディングするおてもと。服(箸袋)が破れてしまわないか心配になる。

 

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ブランコに乗るおてもと。バランスを崩して転落しないか心配になる。

さっきから心配ばかりしている。子連れで公園にきている人たちの心中もこんな感じなのだろうか。

 

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一通り撮影を終えると、虚無感が訪れた。

おかしな写真を取ることができたのはいいとして、これからこの大きいだけの箸をどうすればいいのだろう。もちろん、もとよりプランがあってやったことではない。しかし、このまましりすぼみになってしまっては、使い道のない木材を使い道のない箸に変えただけのことではないか。

 

ただただ、箸を転ばせてみた

公園のベンチでビッグ割り箸の行く末を案じていると、中学生くらいの女の子たちがやってきて黄色い声をあげながら遊び始めた。

 そんな、箸が転んでも可笑しい年頃(正確には10代後半の女性を指す言葉なので中学生だと少しずれているのだが、そう表現してしまって差し支えない様子に見えた)の人たちを見ていて

「とりあえず転ばせてみてはどうだろう」

という心境に至った。

諺では「箸が転ぶ」のはつまらない、取るに足らない事象であるということを前提にしているが、こんなに大きな箸が転んだら、ひょっとしたら面白いと感じるかもしれない。

 

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人の邪魔にならずに大きな箸を転ばすことのできる場所を探したら、足は自然と森に向いていた。

森の中に唐突に現れる巨大な割り箸。「木材の乱費に対するアンチテーゼ」というキャプションをつけて現代アートだと言い張れそうな情景だ。

 

 

 まずは、木に立てかけた箸を棒でつついて転ばせてみた。

これは...ちょっと面白い?いや、まだ結論を出すのは早い。

 

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転んだ拍子に中身が出たが、口に入る部分は箸袋でガードされている。初めて箸袋の本来の役割を理解した。

 

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他の転ばせ方も試してみよう。まず2本の枝を支えにして箸を自立させる。そしてこの支えの部分に石か木の枝を投げつけて、バランスを失った箸を転倒させる作戦だ。

 

見事な倒れっぷりだ!

 

......告白しよう。この動画を撮影した時、すなわち箸が私の思惑通り倒れてくれた時、私はものすごくニヤニヤしていた。面白かったからだ。帰宅して、これを書きながら再度動画を見直しても、やはり笑ってしまう。

正直なところ、10代の女性の読者もそうでない読者も、これを見て面白いと思うかは私にはわからない。私が面白いと思ったのも、達成感からそう感じただけかもしれない。結局、面白さに普遍性なんてないのである。 

 

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これが最後。木の上にある箸を落としてみる。転落も「転ぶ」の一種だと解釈しての試みだ。

 

面白いかどうかはさておき、滑稽ではある。

私個人の感想としては、カメラのフレーム外から出てきた木の枝が箸の足元をペシペシするところが面白いと感じた。

 

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3度も激しく転ばせたのでさすがに箸袋が傷んできた。

 

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下の部分にも穴が開いてしまった。これでは箸袋としての用をなさないだろう。箸本体の方にもところどころに土がこびりついている。

思えば、結局半日近くこの箸をもってぶらぶらしていたのだ。転ぼうが転ぶまいが汚れるのも当然だ。楽しませてもらったし、少しは学びもあった...ような気もする。なので名残惜しいが、ここらで幕引きにすることにしよう。割り箸にとっての幕引きとは、すなわち、割られることに他ならない。

 

固くて割れなかったらどうしようと心配したけれど、案外あっさりと割れた。こんなに大きな割り箸を割る機会は、後にも先にもこの時だけに違いない。

 

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 微妙な割れ方...。

 

おまけ

 一番気に入った転び方のやつをgifアニメにしてみた。エンドレスで見てしまう。やはり、箸が転ぶところは面白いのではないだろうか。

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肉まんに野菜丸ごと入れてみた

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「〇〇と××って似てる」という気づきを得ることは、日常のささやかな喜びであると思うのだけれど、先日新しく似ていることに気がついたペアがある。タマネギと肉まんである。

丸い形といい、頭頂部にピンと立った角といい、あらためて見るとどうして今まで気づかなかったのかと不思議に思うほど似ている。ここまで似ていると、これはひょっとすると肉まんの外見はタマネギを模してデザインされたものなのかもしれない。もしそうなら、私は「タイヤキって鯛にそっくりだよね」などといって喜んでいるのと同じくらい、無知で無邪気なことを言っていることになるわけだ。

そんなことをつらつらと考えているうちに、形がそっくりなら、肉まんの中にタマネギをそのまま入れられるんじゃないかと思い至った。

 

 

作り方は普通の肉まんとほぼ同じ

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まずは外皮の生地をこねる。

ネットで拾ってきたレシピの通りに作ったら、案外固くてこねるのに苦労した。

 

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次に肉餡を作る。冬に獲った鹿の肉がまだ冷凍庫に残っていたので、解凍して使うことに。

味付けには醤油とかごま油とか胡椒とか、いろいろなものを使っているのだが、一通りこね終わると自分の指にも挽肉と同じように、調味料の香りがしっかりと染み込んでいる。味付けしているつもりが、気がついたら自分が味付けされていたわけで、完全に「注文の多い料理店」状態である。

 

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普通の肉まんと違うのはここからだ。

タマネギだけだとさびしいので、冷蔵庫の中で暇そうにしていたピーマンとトマトにも応援に来てもらった。

 

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まずはタマネギ。二つに割って中心部を取り出したタマネギに肉餡を詰め、

 

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合体!

ちょっとだけモンスターボールに似ている。

 

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平たくのばした生地の上に置いて

 

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生地で包み込む。てっぺんにはもちろん角を立ててやる。

なんだかすごくかわいい。食べちゃいたいくらいだ。

 

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ピーマンの場合はもっと簡単で、ヘタの周りを切って種ごと引き抜き、開いた穴に肉をぎゅうぎゅうと詰め込んでやる。

 

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包んだところ。

 

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トマトも同じようにして肉を詰める。

よく熟したトマトは非常にジューシーで柔らかく、開口部に肉を詰め込もうとすると汁が漏れたり皮が破れそうになったりでとても危なっかしい。文字におこして説明すると、これまたなんだか危なっかしい。

その昔、ヨーロッパではトマトに毒があると信じられていて、一部の勇敢な人々はハラハラしながらこれを食べたそうだが、数百年の時を越えて今わたしもトマトにハラハラさせられている。

 

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なんだか包み方が雑に見えると思うが、下手をすると生地よりも柔らかいトマトはタマネギやピーマンよりずっと包みにくかった。

 

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蒸す。

普通の肉まんは15分くらいで中心まで火が通るようなのだが、野菜の層がある分時間がかかりそうな気がしたので、25分くらいかけて蒸し上げることにした。

 

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竹の蒸篭から立ち昇る湯気の香りが、祖母の家の匂いに似ている。ちょっとノスタルジックな気分になりながら、蒸しあがるまでの時間を過ごす。

 

 

食べてみる

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なかなか上手く蒸しあがった。

手前がタマネギ肉まん、置くがトマト肉まん、右の小さいやつは余った材料で作った普通の肉まんだ。

生地が大きく膨張したせいで、タマネギ肉まんのチャーミングポイントである角が消えてしまったのは残念だ。大きくなるにしたがってチャーミングな部分が消えて行くのは人の子と同じである。ここは立派に大きくなってくれたことを喜ぶことにしよう。

 

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こっちは2つ作ったピーマン肉まんと、これまた余った材料で作った普通の肉まん。

 

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結構大きい。

あと無精髭が酷い。

 

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ムシャリ...

ん?

 

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この感覚はなんだろう...この、あるべき物がない、キツネにつままれたような感覚は...。

 

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肉が端まで詰まっていないのであった。

 

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3分の1くらいまで食べ進めると肉が出てきた。

うん、美味しい!肉まんのもちっととした皮の食感と、じゅわっとした肉餡の食感の間に、張りのある歯触りのピーマンが挟まったことで、食べ応えがアップしたように思う。映画館に例えるなら、映画泥棒と本編の間にゴリラのドラミングの映像が5秒だけ流れるような。よくわからない例えかもしれないが、要するに毛色の違うものが間にくることで、メリハリが生まれるのである。

 

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次はタマネギ肉まんだ。ピーマン肉まんの出来が良かったので非常に期待が高まった状態で食べたのだけれど、これは正直なところイマイチであった。球形で縦に繊維の走ったタマネギの表面を歯が滑ってしまい、一齧りで肉のところまで到達できないのだ。これではまるで傾斜装甲だ。タマネギは刻んで餡の中に混ぜ込んでしまうのがよいという結論にいたった。もちろん味は良かったのだけれど。

 

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最後はトマト肉まん。

これは,,,これはすごいぞ!期待をはるかに上回る美味しさ。

まず齧ったそばから溢れてくるアツアツのトマトの洪水に意表をつかれた。そうか、蒸したトマトは液状化するのか。どろどろになったトマトと肉の相性も抜群である。肉まんの生地は油分をたくさん含んでいるので、これだけ水分の多いものを包んでも短時間では染み出してこないのもうれしい。

 

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褒めてはみたものの、ぼたぼたとこぼれて食べにくいのも事実。この点は現代人の感覚的にはマイナスポイントである。肉汁+トマトから出てきた水分で、トマト鍋をひっくり返したような量のスープがあとに残された。

 

 

総評

独断と偏見に基づいた、野菜丸ごと肉まんたちの評価はこうだ。

 

ピーマン肉まん

  • 味     ★★★☆☆
  • 食感    ★★★★☆
  • 食べやすさ  ★★★★★

 

タマネギ肉まん

  • 味     ★★★★☆
  • 食感    ★★☆☆☆
  • 食べやすさ  ★★☆☆☆

 

トマト肉まん

  • 味     ★★★★★
  • 食感    ★★★★☆
  • 食べやすさ  ★★☆☆☆

 

なんだか一長一短ある評価ばかりだけれど、野菜肉まんを作るきっかけになったタマネギ肉まんの評価が一番低いのがなんだか悲しい。それと対照的に、たいして期待をしていなかったのに一番気に入ったのはトマト肉まんである。大げさだが、世界を目指せる美味しさだと思った。

肉まんはそれだけで食べると野菜不足だが、野菜肉まんならその点も解決可能だ。ハンバーガーと互角か、それ以上の戦いが出来るはずである。

私がなにかの拍子に片手間で飲食店の経営が出来るくらいのビッグネームになった暁には、こいつで世界進出を狙ってもいい、そんな妄想をするくらいには気に入った。出資者募集中である。

 

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超珍味「どじょうずし」あらわる

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先日、滋賀県栗東市に伝わる「どじょうずし」 というなれずしを味わう機会があった。

 

話は昨夏までさかのぼる

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この日、私は滋賀県草津市琵琶湖博物館に来ていた。夏の間開催されている『大どじょう展』を鑑賞するためだ。 

 

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日本在来のドジョウは、今わかっているだけで33種もいる。なんだかアイドルグループのようである。『大どじょう展』ではこれら全てのパネル展示に加え、そのうち27種が水槽に生体展示されていた。よく集めたものだと感心してしまう。

この一覧を見ていて一番驚いたのが、「ドジョウ」という種名を持った魚が存在することだ。いや、何を言っているかわからないだろう。説明しよう。

私はずっと、「ドジョウ」という呼称は「〇〇ドジョウ」や「××ドジョウ」といったドジョウ科の魚をひっくるめて呼ぶときの総称だと思っていた。だから、「ドジョウ」というプレーンな呼び名を種名としてもつ魚(写真の右半分の左上に写っているやつ)が存在すると知って驚いたのである。彼らは、いわばドラえもんズにおけるドラえもんであり、この33種をヒーロー戦隊よろしく横一列に並ばせた場合、否応なしに真ん中にくるはずだ。

これからはドジョウのことを話している人を見かけたら、それはドジョウ科ドジョウの話なのかドジョウ科全体の話なのかを注意深く区別しなければならない。人間は、知識が増えるほど傍から見ると面倒な存在になりがちである。

 

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ともかく、出だしから新たな発見に驚かされたので、速やかに生体展示を見ることに移行し、可愛いドジョウたちの姿を見て心を落ち着けることにした。例えば、この白地に黒い縞模様が綺麗なドジョウはオオガタスジシマドジョウ。琵琶湖にしか生息していないドジョウである。

 

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こっちの黒い斑点が可愛いやつは、トウカイコガタスジシマドジョウ。東海地方に生息していて、その名の通りオオガタスジシマドジョウの半分くらいの大きさしかない。

 

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天然記念物と絶滅危惧種にダブル指定され、京都府岡山県の一部地域でしか見られなくなってしまったアユモドキも展示されていた。まごうかたなき珍魚のお姿をしっかりと拝見したかったのに、かたくなに岩陰から出てこようとしなかったのは残念である。マイノリティが日陰に追いやられるのは、人も魚も同じということなのだろうか。

 

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水槽の底を這うように泳ぐドジョウたちの姿をたっぷりと堪能していい気分で立ち去ろうとしたところに、そうすんなり帰らせてたまるかと登場したのがこいつだ。

遠目に見て、大きなヒザラガイの化石かなにかかと思った。しかしながら、キャプションを見ると、なんと、信じがたいことに、寿司だと書いてある。真っ黒な見た目もさることながら、材料に使われている魚がドジョウとナマズであるというのもすごい。蓼を混ぜるというのもおもしろい。まったく味の想像が付かないので、俄然食べてみたくなった。

気になって仕方がないのでその場で検索してみた。「どじょうずし」はここ琵琶湖博物館から10kmほど離れた滋賀県栗東市に所在する三輪神社の春祭りに供される寿司で、祭りが催される5月3日に現地に行けば誰でも食べさせてもらえるという。

こんなに面白そうなものについて教えてくれた大ドジョウ展の企画者に感謝しつつ、手帳に日取りを書き付けた。

 

5月3日になったので見に来た

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待ちに待ったお祭りの日である。

三輪神社は、栗東市大橋の水路の多い歴史のありそうな住宅街に位置している。

 

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祭事は13時に始まる。私は10分ほど遅刻したので、着いた時には境内には既に人が集まっていた。

集まった人々は、式典を進行する人たちと、遠巻きに見物するギャラリーに分かれていた。これは完全に主観なのだけれど、他所からやってきたのは自分を含めてほんの数人であり、大多数の人々は地元民であるようだった。それでも敷地の外にはみ出るほどに人が集まっているのは、このお祭りが地域で大事にされているからなのだろう。

 

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正装した人々が順番に何かを奉納していく。

 

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ひとしきり奉納が終わると、次に神楽(神様に奉納する歌や舞のこと)が舞われる。舞子の4人は地元の小学6年生から選抜され、この日のために練習するそうだ。

 

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とても絵になるので、たくさんのカメラが向けられていた。

 

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神楽が終わると、神前に置かれていたお供え物はおじさんたちによる無言の手渡しリレーで引き上げる。紅白の鏡餅、鯉、タケノコ、大根、にんじん、昆布、スルメ、海苔、夏みかん、酒...見ていて、いったいどれだけ出てくるのだろうと思わされたほど盛りだくさんである。

 

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お供え物の引き下げが行われている裏では、神輿の準備が始められている。担ぎ手は子供たちだ。神主による祝詞の読み上げを済ませた神輿は、20人ほどのはっぴを着た子供たちに担がれて境内を出発していった。

 

そして、どじょうずしが現れた

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子供たちが神輿とともに行ってしまうと、こころなしか境内の大人たちはそわそわし始めたように思えた。私にも、なんとなくその理由がわかるような気がした。進行役の方が

「それでは今年のどじょうずしのお披露目です。日本広しといえど、ドジョウをなれずしにするというのは、ちょっと他では聞いたことがない、とても珍しいものです」

というようなことをおっしゃる。すると間をおかず、境内のそこかしこから「おお」とか「ほお」とかいう感嘆の声が上がった。私のような他所から来た組は特にはしゃいでいたはずだ。

境内に入った瞬間から存在に気づいていた、白布を被せた机に置かれたそれが、舞台のそばに引き出されてきた。

 

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これが、どじょうずしだ!

一年に一度だけ、ここでだけ食べられる味。珍味という言葉では到底表現しきれない、超珍味と呼ぶべき食べ物なのだ!

上に載っているナマズの切り方が少し違うが、琵琶湖博物館の展示で見た模型とほとんど変わらない色と盛り方に感動した。二皿のどじょうずしが出ているが、これは町を東西に分け、それぞれで一樽ずつ用意するためである。

こちらは、西当番の大隅さんが漬けたどじょうずし。

 

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そしてこちらは、東当番の鵜飼さんが漬けたどじょうずしだ。

同じ物を作っているはずなのに、東西で違うナマズの切り方に個性が表れていて、いいね!

 

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顔を近づけてみる。米の乳酸発酵した香りに混じって、ハーブのような植物系の芳香が漂ってくる。蓼を混ぜ込んで発酵させているからだろうか。

 

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そうこうしているうちに、取り分けが始まった。

これ、「あら珍しい、ちょっともらってみようかしら」という興味本位、味見レベルの取り分けではなく、みなさん割合がっつりと持って帰られるようだった。タッパーとか準備してきてるし。よそ者だから最後でいいなどと言っていると、なくなってしまうかもしれない。取り終わった人が離れたところを見計らって、机に接近した。

 

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ナマズの切り身を取り、米の山を崩すと、中から埋もれたドジョウが出てくる。

 

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容器になる物を持って来ていなかったのだけれど、お酒用の紙コップに入れてもらうことができた。これは西当番のどじょうずしだ。

味は...米の発酵した酸味、さらに塩分と蓼のピリッとした辛味が合わさって、寿司にしてはなかなか刺激的な味だ。肉厚なナマズはジューシーでくせがない。ドジョウの方は少し苦味があって、グニグニとして噛み切れないので丸ごと口の中に放り込んでいつまでもクチャクチャと噛んでいられる。どちらも、蓼の香りが川魚の生臭さを消すのか食べていて抵抗を感じなかった。多くの発酵食品の例に漏れず万人受けする味ではないのかもしれないが、私は個性的で美味しいと思った。

東西で食べ比べてみると、東の方はほんの少し米がダマになっている食感があり、酸味も強かった。

「味が東西で違いますね」

机の近くで来客にお酒を勧めていた翁に話を伺うと、

「基本的な作り方は同じなはずだけれど、保管している場所によって水分の蒸発するペースや発酵の進み方が違うから、味も変わってくるんですよ。でも別に味を競っているとかではなくて、昔はもっとたくさん作っていたから、当番の負担が大きくなり過ぎないように町の東西で半分ずつ漬けるようにしたんです。」

と教えてくださった。聞けば、なんとこの方は、東西にそれぞれ2人ずつ配置された寿司漬け人という役職に就いておられるそうで、どじょうずし作りの当番に当たった世帯の手伝いをしたりされるそうである。

寿司漬け人氏が教えてくださったどじょうずしの作り方はこうだ。

  1. 寿司漬けは毎年9月に行う。刈り取った蓼を細かく刻んでご飯に混ぜ、蓼飯(たでめし)を作る。
  2. ナマズの切り身に塩をして、水分を切る。
  3. 木製の樽を用意し、まずは蓼飯、次に生きた丸のままのドジョウ、さらにその上にナマズの切り身を被せる。その際、各層に適量の塩を振る。
  4. この蓼飯、ドジョウ、ナマズの順番でどんどん重層していき、樽の上の方まで詰まったら、蓋をして重石を載せる。
  5. 翌年の5月まで、たまに様子を見ながら発酵させる

琵琶湖から水路で水を引いて米を作っているこの地域では、ドジョウやナマズは簡単に入手できる魚だ。蓼も、水辺に自生するありふれた植物だ。塩はちょっと難しいかもしれないが、基本的にこの周辺で得られるものでずーっと昔からこの作り方を受け継いできたのだという。

「どじょうずしやこの祭りはいつ頃からあるものなんですか?」

という質問には、

「300か、400年前くらいかなあ?」

とのことだった。ほかにも、寿司の研究家が見学に来た話や、塩辛いどじょうすしをアテにしてお酒を飲むと最高なのだという話を楽しく聞かせていただいた。なお、ナマズの方がたくさん入っているのになぜ「なまずずし」ではなく「どじょうずし」なのかはわからないそうだ。

 

境内を散策してみる

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これが本殿で

 

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その脇には天照を祀ったお堂があった。

 

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ここにもいろいろなお供え物が。そしてよく見ると、その中に丸く固めてしめ縄を載せられたどじょうずしが。 

一通り見て回って戻ってみると、大皿に盛られたどじょうずしの、上に載ったナマズはすでに全て持ち去られ、蓼米がいくらか残っているだけだった。

それにしても、一口に寿司と言っても本当にいろいろなものがあるのだなと、どじょうずしを見て感心させられた。

「今夜はお寿司よ!」

こう宣言されて、食卓に出てくるのは握り寿司かもしれないし、散らし寿司かもしれないし、柿の葉寿司かもしれないし、どじょうずしだということもあり得ないことではないのだ。寿司の世界の奥深さを体験させてくれたどじょうずしや、それを継承している人たちに感謝である。

帰り際に、ふと思いついて神社の前で神輿を通すための交通整理をしていた人に

「このお祭りとかどじょうずしっていつ頃からあるんですか?」

と先ほどと同じ事を聞いてみた。

「さあ、1000年くらい前からかなあ」

ともかく、いつ始まったかわからないくらい前からある伝統なのである。

 

おまけ

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境内にあった遊具。そこはドジョウじゃないのね。

 

 

 

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シーラカンスを描いた

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夜中でも部屋の中が暖かいのと眠れないのとで、なんの脈絡もなく描き始めたシーラカンスの絵がひとまず「完成かな?」と思えるところまで来た。気が向いたら背景を描き足すかも。

 

春眠不覚暁の派生型で、最近変な時間に寝てしまうことが多い。夜中に絵を描き始めたのも、夕食の後に横になって、ついそのまま寝てしまったからだ。

「あんた、先々月くらいには、冬は寒いから眠たくて困るとか言ってなかった?」と、鋭い読者に指摘されるかもしれないが、要するに私は寝るのが好きなのである。

寝るのが好きだというと、なんだか無気力な人間のように聞こえてしまって面白くないから、ここは少し積極性を加味して「睡眠が趣味だ」と言ってしまおう。そうすると、お金もかからないし体力も回復するし気持ちが良いしで、消費系の趣味としての睡眠はなかなか魅力的なように思えてくる。

「趣味らしい趣味がなくて...」とか「趣味を持つにはお金と時間が...」という人は、睡眠を趣味だと主張するようにしてみてはどうだろうか。今はまだ奇異に思われるかもしれないが、「ていねいな暮らし」というスローガンの下でトイレを綺麗にしたり冷蔵庫内の食品を整理する行為が休日の過ごし方としてもてはやされることもある昨今、娯楽としての睡眠が認知される日が遠からず来るはずだ。なにより、長生きできそうである。

 

 

 

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