中学のときに通っていた学習塾の社会科教師は、授業中に頻繁に面白い雑談を始めるので生徒から人気があった。中でも印象に残っているのが串カツに関するお話だ。
「昔、(大阪の)難波で串カツを買い食いしたんや。そしたら、一口かじってみて驚きや。小指の爪くらいの大きさの豚肉に、どうやったらこんなことができるんや!っていうくらい分厚い衣がついとった。極限まで原価率を下げたかったんやな」
阿漕な業者がいるものである。が、度が過ぎてお粗末なものがあると聞くと、ちょっと行って見てみたくなるのが、人間の性というものだ。
大阪で串カツを食べた回数はもはや確かめようもないけれど、私は幸いにしてそのような着膨れした串カツに当たったことはない。ひょっとしたら、そういう店は悪どいことをしすぎたせいで淘汰されてしまったのかもしれない。
しかたがないので、自分で悪徳串カツ屋になってみることにした。
分厚い衣をつけるには...
衣を分厚くするには、大きく分けて二通りのやりかたがある。名付けて、 アメリカンドッグ型とバームクーヘン型だ。
- アメリカンドッグ型
アメリカンドッグのような、もったりとした生地を肉にまとわせて揚げたもの。生地の粘度が高いので、分厚く衣をつけることができる。アメリカンドッグのソーセージが、普通の肉に置き換わったものと考えてよい。
調べてみたら、このタイプの串カツを提供する店は今でもぼちぼち存在するようだ。むしろ衣の厚さを売りにしている店もあるとか。もちろん、そういう店は「衣で体積を稼いだ分肉を小さくする」などというセコいまねをしていないことは言うまでもない。
- バームクーヘン型
小さな肉に衣をつけて揚げて、つけて揚げてを何度も繰り返し、少しずつ大きく育てていくやり方。
私は、件の社会科教師が食べたのは、こちらではないかと思っている。
アメリカンドッグ型の串カツは、あまりにアメリカンドッグ的であるために、作り方について疑問を抱く余地がないからだ。
バームクーヘン型串カツを再現する
肉を切る。
右が比較のために作る普通の串カツ用の肉、左が分厚い衣をつけるために小さく切った肉だ。
余談だが、肉に串を打つのが意外に難しかった。弾力があってなかなか串が刺さらないし、かといって力をかけすぎると、勢い余って自分の手に串を打ってしまうかもしれないからだ。
肉に串を打とうとすると、自分の手に串を打ちそうになり、肉にスパイスをまぶして揉み込むと、知らずうちに自分の手にもスパイスの香りがしみ込んでいる。料理する側とされる側は、実はそんなに違わない。
なんとかうまく串を打てた。
小麦粉→卵→パン粉の順番にまぶしていく。衣をまぶす段階で指先がベトベトになりがちだが、串を打ってあるのでその点は安心である。
まずは普通のサイズに切った肉から。肉がうっすらと透けて見えるほど薄い衣だ。
満を持して油に投入。
私は揚げ物を揚げる音が好きだ。まるで季節外れの蝉時雨を聞いているような気分で、楽しく調理を進めていく。
火が通ってきつね色に色づいてきた。片面だけを熱しすぎないように、たまに串の部分を持ってひっくり返してやる。菜箸を使わなくてもよいので楽である。ここでも、串の存在が調理の手間を削減してくれる。
美しいきつね色になったタイミングで引き上げた。なんて美味しそうなんだろう!
自信はついた。では、本番に移ることにしよう。
一層目は普通のカツと同じように衣をつける。
つまり小麦粉→卵→パン粉をまぶす。
小さい分、火の通りは早い。短時間でサッと揚げる。
あっという間に揚がった。それにしても小さい!
いや、小さいのは揚げる前からわかっていたのだが、右に並んだ普通のカツと比べると一層その貧相さが際立ってしまう。
この貧相なやつを、いかに大きく膨らませてやれるかが、悪徳串カツ屋の腕の見せ所だ。
ここからは小麦粉をまぶす工程を省いて、卵→パン粉→卵→パン粉と2回衣をつけてから揚げることにした。
この一つまみが串カツを大きくするかと思うと、パン粉をまぶす手にも自然と力が入る。
人類が火を使った調理を始めてからというもの、加熱中の食材をどう操作するかというのは、ずっと大きな課題だったに違いない。
食材を焚き火の中に放り込んで、火が通ってから棒切れでかき出すのでは、手を火傷する心配はないだろうが、食材が灰や土にまみれてしまう。かといって、素手で安全に扱えるほど火から離したのでは、いつまでたっても生焼けのままだろう。
何万年とかいう長い間、彼らはそんなジレンマに苦しんでいたのだ、たぶん。
そんなある日、特別に賢いご先祖様が現れた。モズの早贄を見て思いついたのか、モノリスに触発されたのかは不明だが、彼は食材を棒に刺すことを思いついた!
今日、我々が食べる串カツは、全て彼の閃きの延長線上にあるものだ。串を持つたびに感謝せねばなるまい。
余計なことを考えていたら少し焦げた(写真右)
普通なら、焦げた串カツなど客には出せない。しかしこのバームクーヘン型串カツは、一番外側の層さえ綺麗に揚げれば何の問題もないのである。なんて店に優しいんだろう。
3層目にして、遜色ない大きさに育った。立派になって...と感動もひとしおである。
育っていく過程をGIF動画にしてみた。
左に写った串カツの大きさは変わらないのに、右の串カツだけが写真を撮るたびに大きくなっていく。まるで、子供の成長の節目節目で撮影された親子の写真を見ているようだ。
試しに、「あなたに会えて本当に良かった♫」というフレーズで有名な、生命保険会社のCMで流れる曲を聞きながら見てみてもらいたい。切ない気分になることは請け合いだ。
味は思ったより悪くない
感傷に浸るのはほどほどにして、冷めないうちに食べてしまおう。
まずは普通の串カツから。
うん、美味しい!当たり前なのだが、すごく美味しい!
さっくりとした衣に、程よく火の通ったジューシーな肉。揚げ時間をフィーリングで決めたにしては、素晴らしい出来だ。家で作る串カツもいいもんである。
次、真打あらわる。
ムシャリ......
......卵?
「おかしいな、卵の味しかしない」
と思ったら、ぎりぎり肉まで到達できていなかった。
もう少し食べ進めてみたところ。ようやく肉に歯が届いた。
食べてみての感想だが、肉が小さい分、やはり物足りない......と思いきや、案外これはこれで悪くない。
まず、肉の味が薄れた分を、衣に使った卵の味が補完してくれているのだ。
次に食感だが、何層にも入り乱れた衣のおかげで歯ごたえが単調になることを回避している。
わかりやすいように、各層を色付けしてみた。
ハンバーガーでも、分厚いパティを一枚だけ挟むよりも、薄めのパティを何枚も挟んだほうが、合計の厚みは同じでも歯ごたえが複雑になって美味しく感じることがある。あれと同じことが起きているのかもしれない。
最後に、これは自宅で食べる時しかできないのだが、ソースを2度漬けしたときに普通の串カツと比べて衣がたくさんのソースを吸ってくれるのも特徴だ。衣の層と層の間の部分がスポンジとして機能してくれているからである。
もっとも、今回は市販のウスターソースをだし汁、砂糖、醤油で割ったものをつけて食べたので、そのようなソースドボドボ状態を美味しいと感じたが、普通のソースでは辛くなり過ぎてつらいだろう。
結論を言うと、バームクーヘン型串カツは美味しかった。でも、1本200円とか払ってこれが出てきたら、ちょっとモヤモヤしてしまうだろう。食べログに嫌味の一つも書いてやりたくなるかもしれない。
実際のところ、安く仕上がっているのか?
さて、肉を小さく、衣を分厚くした串カツが、不味くはないどころかむしろ美味しいものであることはわかった。しかしながら、果たして本当に低コストに仕上がっているのか、実際に作ってみて疑問に感じたため、そこのところを最後に少しだけ検証してみたい。
まずは肉が小さくなったことによるコストカット効果だ。実は、肉には内緒で、彼らの重さをはじめに測ってあったのだ。
普通の串カツ用の肉は約20g。
小さい方の肉の重さは......なんとゼロ!え、無を串に刺して揚げていたの!?
奇妙な気分になったが、要するにこれは測りの仕様の問題で、0.5gより低い値は強制的にゼロと表示されてしまうんである。
0gだろうが0.5gだろうがあってないようなものであることには変わらない。
仮に100円/100g(=1円/1g)の激安豚肉を使ったとして、串カツ1本あたり20円の節約効果があることがわかった。
「やっぱり安くなるんだ!肉のほとんど入っていない串カツ屋をやって儲けよう!」
と考えるのは早計である。話はそこまで単純ではない。仕事の世界には人件費というものが存在するからだ。
では、串カツを揚げるという行為のために私が浪費した時間を見てみよう。
普通の串カツを作るのにかかった時間は、3分10秒だった。
対して、「衣をつける→揚げる」の工程を3回繰り返してバームクーヘン型串カツを完成させるまでにかかった時間は、なんと6分5秒!ほぼ倍の時間がかかっていたのだ。
今、大阪府の最低時給は936円である。よって、3分なら47円、6分なら94円の人件費が発生する。
まとめてみるとこうなる。
(厳密に計算するなら、肉を減らした分だけ増加する衣の原材料費を考えるべきなんだろうが、衣の材料は安く、なにより計算が面倒になるので潔く無視する)
普通の串カツ | バームクーヘン型串カツ | |
---|---|---|
肉 | 20円 | 0円 |
人件費 | 47円 | 94円 |
合計 | 67円 | 94円 |
やっぱりね。作ってる時から、こんな悠長なことやってていいのかと思ってたよ。
残念ながら、肉を小さくして代わりに衣を何重にもつけるやり方は、全く低コストではないことがはっきりした。どうりで、そんなことをする店が見つからないわけだ。
ここで終わってもいいのだが、せっかくだから昔はどうだったのか試してみよう。1980年の大阪府の最低時給である375円で計算すると、以下のようになる(豚肉の値段は、驚くべきことにここ数十年ほぼ横ばいかむしろ下がっているくらいなのだそうだ。だから、ここでは人件費の項目だけをいじってやる)
普通の串カツ | バームクーヘン型串カツ | |
---|---|---|
肉 | 20円 | 0円 |
人件費 | 19円 | 38円 |
合計 | 39円 | 38円 |
なんと、僅差でバームクーヘン型串カツのほうが安い!
そもそも肉が小さくて衣が厚い串カツ自体が教師のでっち上げだったのではと疑い始めていたのだが、一応ありえない話ではなかったのである。先生、疑ってすみません!
人を安くコキ使える状況では、このモデルは成り立ってしまう。逆に言うと、少しでも時給が上がると破綻をきたすわけで、悪徳串カツ屋は、まともな給料を払うと経営が立ち行かなくなるブラック企業の先駆けと言えるのかもしれない。
いずれにせよ、現代ではこんな回りくどいものを作る価値はほとんどないことがわかって、すっきりした気分である。
なんだか寓話みたいなオチになった。この記事を読んだ人は、貴重な時間をズルをするためではなく真っ当なことをするのに使ってほしい。
おまけ
水を飲んで膨らむクサフグ。
いくら自分を大きく見せようとしても、はじめから大きな相手には敵わない。