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むかご狩り

秋の季語としても知られる「むかご飯」、その材料となるのが食物がむかごだ。
詳しい説明は
 
 
を参照してもらいたい。
先日、住宅地を通る線路の柵に、このむかごが鈴なりになっているのを発見した。
 
 
 
むかごを採集する
一心不乱にむかごを摘み取っていく私のそばを、通行人たちがチラッチラッと見ながら通り過ぎていく。
そのうち、すぐそばにある揚げ物屋の大将が声をかけてきた。
 
大将「目ざといねえ。地方の人?」
 
私「あ、いえ、このへんの人です」
 
道端に生えたむかごに気づく人は少ないし、そもそも多くの人はむかごを見ても食べ物だと認識しないらしい。競争相手が少ないのは助かるが、少し残念な気がするのも事実である。もう少し、知名度があってもよい食材だと思うのだけれど。
 
それにしても、ここのむかごは見事な大粒のものが多い。時期が遅いのでだいぶ熟しているらしく、芋蔓を揺らしただけでぽろぽろと茎から外れて地面に落ちてしまう。拾える範囲にとどまっているものはできるだけ回収したけれど、柵の向こう側に落ちているものは、まさか線路に立ち入って拾うわけにもいかず、放置せざるを得ない。また、大粒でぱんぱんに膨らんだむかごは、柵のこちら側に落ちたとしても、あらぬ方向に転がって側溝の穴や隙間に入り込み回収不可能となるものも多かった。
むかごを無駄にしないためには、そうなる前に拾い上げるしかない。転がるむかごを追いかけながら思った。ひょっとして、これは球技なのではないか?
 
運動神経を前世だか母親の腹の中だかに置き忘れてきた私は、小さいころからほとほと体の動きが鈍い。
動きが鈍いから、瞬発力を要求されるスポーツは苦手だし、やりたいとも思わない。
ところが、日本の学校教育は子供の適性も考えずにやたらと集団で戦うスポーツを奨励する。
やりたくもないことを無理やりやらされ、あまつさえ「チームの足を引っ張っている」などと白い目で見られるうちに、無関心を通り越してスポーツを嫌悪するようになってしまうのだ。
 
そういうわけで、私は成人した今でも団体で行われるスポーツ、とりわけ球技が嫌いである。そんな私が、今こうして、むかごを自分の意思で追いかけている。夢中で球技に興じる人の気持ちに、少しだけ近づいたような気がした。そうして、サッカーやドッヂボールで必死でボールにすがりつこうとしていた、今では顔も名前もほとんど覚えていない同級生たちに、そっと思いを馳せた。
 
 
 

採集したむかごで「むかご飯」を作ってみる

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家に持ち帰って量ったら500g以上あった。
 
 

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粒の大きなものや、写真のように個性的な形をしているものは、炒ったり塩茹でにして後日いただくことに。
単体で食べるには物足りない、小粒なものを選別してむかご飯を作るのに使う。
 
 

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むかご飯の作り方はとても簡単である。米を研ぎ、しっかり水を吸わせる。さらに今回は酒と塩を少しだけ入れているが、レシピによっては必要ないとしているものもある。
最後に軽く水洗いしたむかごをのせる。むかごの量は好みで決めればよいが、きちんと火を通すためにも、水面より上に出ない程度にとどめるのが良いだろう。
 
 

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あとは普通に炊飯すればよい。
 
 

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 完成!
野趣あふれる香りの湯気がたっている。
 
 

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 イモよりもコクがあって、実はしゃりしゃりした触感である。米にもむかごの香りが移っている。素朴だが、おかずなしでいくらでも食べられる飽きない味だ。
 
むかご飯が盛んに食べられていた時代には、貴重な米をかさ上げする意味もあってむかごを入れていたのかもしれない。しかし現代人の感覚からすると、むかごは明らかにそうした代用食以上の働きをしていると感じた。
来年の秋も採集に行こうと誓ったのだった。