餃子の皮について

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ここ一月で2回も餃子を皮から作っている。

一度目は皮の水分が多すぎたせいで、作るそばからスライムのように崩れてしまい、散々な目にあったが、二度目は教訓が生きて、ピンと角のたった粒ぞろいの餃子を作ることができた。

覚えている範囲ではそれまで餃子を皮から作ったことはなかったから、この月に2回という頻度は非常に高い。ハマってしまったといって差し支えないだろう。

 

我々日本人が餃子をおかずにして米を食べている姿は、餃子の本場中国の人間には奇異に写るらしい。彼らにとっては餃子の皮の部分が主食に相当するからである。

で、私は外で餃子を食べたり、市販の皮を使って自宅調理するたびに、これが主食として機能し得るかと考える。巷で売られている餃子の皮は薄いものが多い。これでは主食と呼ぶには頼りないなあ、などと勝手な感想を抱きつつ、ご飯や麺と一緒に喫食するのである。

 

ところがである。

いざ自分で皮から餃子を作ってみると、その皮のあまりの存在感に面食らった。

麺棒がないので、代わりにスチールの空き缶で生地を丸く伸ばしたから、市販品みたいに薄くできなかったからだろう。しかし、それにしても、分厚い。

そういえば、以前上海で食べた水餃子も、こんな感じで皮が分厚かったような気がする。これだ存在感のある皮であれば、主食とみなされるのも当然である。日中で食事における餃子の立ち位置が違うのは、皮の厚さのスタンダードが違うからなのだろう。

 

自分で作った餃子は、今のところ全て水餃子にして食べている。分厚い皮は茹でるともちもちとした食感を生み出してとても美味しい。次は、この皮が焼き餃子にしたときにどうなるのか試してみようと思う。

 

 

 

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