『好きだった人』の歌詞

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古い歌の話で申し訳ない。

1970年代初頭にリリースされた、かぐや姫というバンドの『好きだった人』という歌がある。

歌詞の中身は、失恋した相手の思い出をつらつらと連ねていくだけなのだが、その中に

 

好きだった人 アベレージが102だった

 

というフレーズが出てくる。

私は長らく、この「アベレージ」という言葉が何を意味しているのかわからなかった。アベレージ、アベレージ...直訳すると「平均」だけど、何の平均なのだろう?ひょっとして学校の成績?でも、失恋した相手の回想でわざわざそんなものに言及するだろうか?

 

つい最近になってから謎が解けた。結論から言ってしまうと、このアベレージとはボウリングのスコアのことを言っているらしい。私自身がボウリングに興じた経験が数えるほどもないので思い至らなかったのだが、なるほど、道理で102などという中途半端な数字が出てくるわけだ。

1970年代初頭には空前のボウリングブームがあったそうだから、「好きだった人」と遊んだ思い出にボウリングが欠かせなかったのも納得である。

 

ある集団の中でしか通用しない言葉の使われ方がある。社内用語とか、業界用語とかはわかりやすい例だ。人間が二人以上集まれば言葉を使って対話し始める。そして、その中で言葉の意味はガラパゴス的な進化を遂げる。それどころか、ひょっとしたら自分一人の中でしか使えない意味だってあるかもしれない。

『好きだった人』の「アベレージ」は、ある時代のある熱狂の中にいた人たちだけが共有できたことばの意味(実際、ボウリングブームはものの数年で去ったらしい)が、たまたま歌の中に閉じ込められて人目につく形で永久保存された例だろう。

 

ちょっと古い映画を観たり、小説を読んでいるときにも似たようなことがある。目や耳で追うことと同時並行で頭に入ってくる言葉の意味の流れにつっかかりが生まれ、そこに意識がフォーカスするのだ。たいていはその場で「お!」と思っただけですぐに忘れてしまうのだが、鑑賞している作品が素晴らしいときなどは、それを作った人と自分の間にある断絶が実感されて、少しだけ寂しい気持ちになる。

しこりのように残る理解のずれが気になって、話が頭に入ってこないから、そんなときは、映画なら一時停止、本ならいったん机の上に置いて、モヤモヤを晴らすようにしている。

 

 

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