たとえ義理であれ、くれたのが母親であれ、チョコレートをもらうとうれしい。甘いものは大好きだから、チョコレート以外のものでも頂ければもちろん大喜びだけれど、やはりチョコレートはなんだか特別なお菓子であるような気がする。人々が互いにチョコレートを送りあう風習の是非はさておき、バレンタインデーの贈り物に最初に目を着けたのがチョコレート業界ではなく、例えば甘納豆の業界だったとしたら、とっくの昔にこんな行事は自然消滅していたかもしれない。
時は第2次世界大戦の真っ只中、このまま戦争が激化してチョコレートが食べられなくなれば、国民の士気が低下してしまうのではないかと心配した人たちがいた。チョコレートは今も昔も人の心を湧き立たせる特別なお菓子で、にもかかわらず原料のカカオは100%輸入品だから戦争の影響をモロに受けるのだ。
そういう経緯で始まったのが代用チョコレートの研究だ。カカオを使わず、日本列島の中で自給できる作物を使ってチョコレートの代用品を作ることが目的だったらしい。カカオを使わずに、本当にあの味が出せるのだろうか?気になったので試してみることにした。
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代用チョコレートについての記述は、ウィキペディアの「チョコレートの歴史」のページにも少しだけ載っている。
「日本チョコレート工業史」によると、1941年に日本チョコレート菓子工業組合と日本ココア豆加工組合からなる「ココア豆代用品研究会」により、ココアバターの代用品に醤油油(醤油の製造過程の副産物。丸大豆に含まれる油。よく誤解されるが醤油そのものではない)、大豆エチルエステル、椰子油、ヤブニッケイ油などの植物性油脂の硬化油、カカオマスの代用品に百合球根(ユリの鱗茎)、チューリップ球根、決明子(エビスグサの種子)、オクラ豆、脱脂大豆粉、脱脂落花生粉などを原料にした代用チョコレートが考案された。
ふむ......。
脂を絞ったあとの大豆や落花生に百合根にオクラ......ちょっとどんな味になるのか想像がつかない。こんな余り物みたいなものでチョコレートができるの?
それと、1941年といえばおそらく真珠湾攻撃でアメリカに戦争を仕掛けるよりも前のことなわけで、その時点で代用食が必要なくらい逼迫しているのが悲しい。
チョコレートの材料は、大きく分けてローストしたカカオ豆をすり潰したカカオマスと、カカオ豆から搾り取ったカカオバターという油脂だ。(図は、ものすごーく単純化している。本当はもっと複雑な工程を経ている)
で、カカオマスとカカオバターに、砂糖やミルクなんかを足して練り上げたものがチョコレートになる。代用チョコレートの代用材料たちも基本的にはこの「油と粉」の組み合わせをなぞっているようで、大きく分けてカカオバター(油脂)の代用品とカカオマス(粉)の代用品に分けられている。
代用チョコレートのおおよその輪郭はわかった。
しかしながら、材料の下処理とか、組み合わせとか、配合とか、まだまだわからないことが多すぎる。そこで原典を当たってみることにした。この「日本チョコレート工業史」という本には、ウィキペディアに引用されている以上の代用チョコレートの詳しい製法が載っているはずである。
「日本チョコレート工業史」は予想したとおり非常に希少な本らしく、家から離れたところにある私大の図書館まで出向く必要があった。受付で受け取った許可証で電子ロックを開錠して入った地下書庫の棚に、目的の本を見つけた。滅多に人の手に取られることもないのだろう。
ぱっと見てチョコレートを連想する茶色い外装、そして表紙に覆われていない面は金色に染められている。とても手の込んだ美しい本だ。
この「チョコレート工業史」、ちょっと読んだだけでも執筆当時までの日本のチョコレート史を網羅したすごい本だということがわかる。
文明開化とともに日本に入ってきたチョコレートが、悪戦苦闘の結果国産化され、アメリカに輸出されるまでに至る。
「海越えて 褒められに行け 日本品」
というのが当時考え出された標語だ。
しかし、栄華は長く続かない。戦争によるカカオ輸入の途絶と敗戦によって、国産チョコレートは文字通り消滅する。戦後になっても、外貨の不足や生活必需品を優先する必要から、嗜好品であるチョコレートの復興は後回しにされた。ようやくカカオの輸入が再開されたのは、戦後5年たってからのことだったそうである。
話が脱線してしまった。国産チョコレート叙事詩の詳細が気になる人は、探して読んでみてほしい。
さて、「日本チョコレート工業史」には期待したとおり代用チョコレート研究の詳細が載っていた。その研究報告の内容をもとに、代用チョコレートを現代によみがえらせてみた。一部まったく同じものを入手するのが困難で、似たもの(代用品の代用品!)に置き換えたりもしたが、大体似たような物が再現できたはずだ。
材料
まずカカオマスの代用品として検討されたものたちを紹介する。
- 百合根
- チューリップの球根
- オクラの種
- 脱脂大豆粉(大豆の油を絞った後の残りかす)
- ケツメイシ(JPOPじゃないよ、マメ科の植物の名前)
- チコリ
- 菊芋
- 蕃仔豆(主に台湾で収穫されていた小豆みたいな豆)
- 大麦
- 甘藷(またの名をサツマイモ)
- 馬鈴薯(じゃがいも)
膨大な種類の食材を試して、最終的に「んー、これならチョコレートっぽくなくもないかな?」という感じで残ったのが、上気のリストのものだと思われる。ここまで選別するだけでも、その執着心に脱帽するしかない。ここからさらに「生産量は十分か」「他のもっと重要な用途に使われてないか」などといった条件でふるい落とした結果、最終的に最も良いとされたのが
脱脂大豆粉、オクラの種、百合根の3つの混合した粉だ。名づけて代用チョコレート三銃士!
脱脂大豆は脱脂落花生、オクラの種はケツメイシ、百合根はチューリップの球根に置き換えることもできる。
「蕃仔豆が必須」などといわれたらどうしようかと思ったので、比較的現代でも入手しやすいものに落ち着いてくれたのでホッとした。
脱脂大豆粉は現代では人間向けの用途がほとんどないそうなのだが、「カブトムシやクワガタムシの幼虫を育てる土に添加すると幼虫のサイズが大きくなる」という触れ込みで販売されていた物を無事入手することができた。こんなところで虫に助けられるとは......。
粉が揃ったので次は油を見てみよう。カカオバター代用として検討されたのは
- ラミオール(ライオン油脂株式会社の製品。醤油を作る過程で出る油を固めたもの)
- 大豆油エチルエステルの硬化油(大豆油を固めたもの)
- 椰子油脂肪酸のグリコールエステルの硬化油(椰子油を固めたもの)
- イソカカオバター(これも椰子油から作られる)
- ヤブニッケイ油(台湾や九州に自生するヤブニッケイの樹の実からとった油)
だ。さて、この中から栄えあるカカオバター代用品に選ばれたのは......なんと大豆油の硬化油!すごい、上のカカオマス代用品にも選ばれてるし、大豆ってひょっとしてカカオの親戚なのでは!?
大豆を褒め称えそうになるがここで少し落ち着かなければならない。実際にはカカオバター代用品は消去法で選ばれたようだ。大豆油を硬化したもの以外の候補は、いずれもブルーミング(チョコの表面に白い結晶が浮き出て味が大きく落ちる現象)が起きやすい、原料が十分に確保できない、技術的に大量生産できないといったどうしようもない欠点を抱えていた。取り立てて欠点がないという理由で大豆油が選ばれたのである。
さて、大豆油を代用に使うのはいいが、大豆油を硬化したものをどこで入手すればいいのだろう?通常、液体の油脂を硬化して融点を上げるためには、油脂の分子に水素を付加する処理が必要なのだが、自宅では難しい。
いろいろ調べた結果、同じ物を 用意するのは無理だという結論に至った。ではどうするか?
じゃじゃーん!代役の代役を呼んでくればいいのだ!
マーガリンは植物油脂を硬化したものだ。そして、その中には(100%ではないが)大豆由来の油が含まれている。
役者は揃った。ガシガシと加工していこう。
作ってみる
まず、カカオマス代用品を焙煎・粉砕する。
脱脂大豆拡大之図。
青臭いような黄粉っぽいような匂いがする。細かいためそのまま焙煎すると炭になってしまう。
いったんミルで細かく砕いて、水で練って型に入れ適当な形に成型、乾燥させたものをオーブンで焼き固め、再度ミルで粉砕して粉にするという方法をチョイス。
めんどくさそうだと思った?正解。回りくどすぎて、途中で自分が何をやっているのかわからなくなることが何度もあった。
さながら脱脂大豆粉でできたジークフリート線だ!(わからない人は「竜の歯」で検索してみよう)
180度で30分加熱したら少し焦げた。炭になったところを削り取って使うことに。
次はオクラの種だ。なんだかかわいらしいが、こいつもこんがりと焙煎する。
中華鍋で乾煎り。ジャラジャラいわせながら鍋を回していると、突然「パン!」という音がしてオクラ種たちが爆ぜ始めた。あわてて手で顔をガードする。種たちがポップオクラになりはじめたのだ!
初めてのことには、予想しないトラブルがつき物だ。
ともかく、爆ぜるくらいなのだから十分焙煎できたのだろう。
最後は百合根。
ぶつ切りにして乾燥させたものを
中華鍋で乾煎り。特に何もなし。手がかからないいい子だよ、百合根は。
焙煎した材料をミルで粉にして混ぜる。研究報告によると、脱脂大豆粉:百合根:オクラの種がそれぞれ「50%、30%、20%」または「40%、30%、30%」になるように混ぜ合わせると「最もチョコレートらしい感じ」になるらしい。
脱脂大豆粉
百合根粉
オクラの種粉......一番チョコレートっぽい色だ。
粉全部で50g、これに対し代用カカオバター100g、粉砂糖64gを使う。
これ1本で100g。
湯煎で融かして
代用カカオマスと
粉砂糖を入れ
とにかく練る。とことん練る。
練る...。1時間くらい練ったかな?湯から引き上げると、徐々に温度が下がってまとまりが出てくる。
練る時間が長ければ長いほど滑らかな口解けになるとかならないとか言うけれど、人力でできる範囲でははそんなに違いが出ないんじゃないだろうかという気がする。市販品は機械の力で超長時間(昼夜ぶっつづけで丸3日とか、そんなレベル)練るらしいので、そもそも比較してはいけない。
タッパーに入れる。こしあんのような質感だ。
冷蔵庫で冷やして固める。
本物のチョコレートを固める際は、人の舌がもっとも美味しいと感じる状態に油脂の結晶をそろえる「テンパリング」という複雑な温度操作が必要なのだが、代用品にはそのようなデリケートな扱いは必要ない。
十分に冷え固まったら型から抜いてやる。
型の抜け具合は思いのほか素直で、まな板の上に逆さにバンと打ちつけたらば、ああ、縁が丸いせいで若干カレールウっぽい、されどつやつやとしたそのチョコレート色、いっぱしのものがきちんと出来上がったじゃないか!
食べてみる
河原に来た。春なので。
代用品といえど、綺麗に盛ってやれば黒糖なんかを使った高級な菓子に見えなくもない。
断面がざらついている。日の下で見た瞬間から気づいていたが、あまりチョコレートには見えない。
さらに言うと、あまりゆっくり観察している時間もないのだ。代用カカオバターはそれすなわちケーキ用マーガリンであり、普通のチョコレートに比べて融点が低い。もたもたしていたら、雪のように春の陽気に融かされてしまうだろう。(ここまで持ってくるのには保冷剤を使った)
食べた。なんかモソモソする。
不味くはない。少々黄な粉っぽさが前面に出すぎているが、香ばしい良い匂いだ。百合根由来の芳香も一役買っているのかもしれない。
次に味だが、甘味は当然として、チョコレートの苦味も、まあそれなりに再現されている。
問題は、食感の悪さだ。ネコの舌のようにざらざらな断面は、口の中でも見た目通りの振る舞いをした。家庭用ミルでは破砕に限界があったか、はたまた練りが足りなかったのか。融け方も、ねっとりとしたチョコレートのそれではなく、体温に触れた途端に液化して流れ去ってしまうような情緒のないものだ。これは油脂の性質の問題だろう。油脂が融けた後には一層強いザラザラ感が残るので、ちぐはぐな口当たりになってしまっている。
ここで少し擁護しておくと、ざらざらモソモソとした食感自体は嫌いではないのだ。しかし口に入れた瞬間からすうっと融けて味と香りが口内に広がっていく、チョコレートを食べたときのあの幸福感の代わりにはならないと思った。
時間がたって固くなった黄な粉餅にココアパウダーを掛けて食べたら、こんな感じになりそうである。
代用品は、めちゃくちゃ砕けやすい。
「帰ろう」といって皿や膝に散った代用チョコレートを払ったところ、バサバサバサ!という羽音とともに大勢の鳩が寄って来て地面をつつき始めた。
「やっぱお前、豆だろう」
本性を見た気がした。
まとめ
半ば予想はしていたことだけれど、代用チョコレートにチョコレートの代役を務めさせるのは厳しいという結果になった。食感の違いがどうしようもないほど大きいのだ。
当時の研究者たちもそのことを自覚していたようで、「代用チョコレートは被覆チョコレート(他の食べ物の表面をコーティングするのに使うやつ)として使うべし」とか、油脂の性質からくる口溶けの悪さについては「代用油脂を制するものは代用チョコレートを制す」などという言葉を残している。
製粉や練りに業務用のものを使えば、もう少し滑らかな食感になるのかもしれない。どこかの大資本が試してくれないだろうか?そうしてできたものはカフェインレスチョコレートとして売り出すのだ。
お口直しの蒲田君チョコレートに代用チョコレートのビームを撃たせてみた。並べてみてから、蒲田君は口からビームなど撃たないことを思い出した。蒲田君チョコレートは、代用品と比べ物にならないくらい美味しかった。