口を利かないやつらの素晴らしさよ

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子供が上に乗っても沈まないという、あのオオオニバスを観察したいと思って、京都府立植物園に行ってきた。

あいにく、目当てのオオオニバスは発育途上であり、子供はおろか猫が乗っただけでもぶくぶくと沈んでしまいそうな貧相な大きさで、しかも岸から離れているため遠目にしか見ることができず、残念だったのだが、直後に見つけた看板に書かれていた文言に、萎えた気分は踵を返すように色めき立った。

 

バオバブの花、開花中」

 

植物園なんて滅多に来ないのに、それがバオバブの開花時期にバッティングするとは、なんて運がいいんだろう。入園料200円に加えて、さらに200円の温室観覧料を支払い、巨大なガラス張りの温室に入室した。

前にこの温室に入ったのは、ひょっとしたらもう10年以上前だったかもしれない。以前は、珍妙な形の植物がたくさんある、くらいの感想しか抱かなかったような気もするが、久しぶりに温室内の植物たちを眺めてみると、ひとつひとつが本当に個性的でおもしろい。

安定感の権化のような、末広がりの幹をもつトックリヤシがある。尾を引いて飛ぶ人魂のような形の葉をたくさんつけたインドボダイジュがある。オレンジ色の実が鈴生りになったカカオの木がある。温室は、室温や湿度に応じていくつかの部屋に分かれているのだけれど、部屋から部屋へ移動するたびに空気の匂いがぜんぜん違うことにも感心した。沖縄とか北海道とか海外とか、遠くに旅行したときに感じる漠然とした空気の違いみたいなものは、植生の出す香りの違いが一役買っているのかもしれないと思った。

バオバブのところまでやってきた。写真で見たマダガスカルバオバブよりはずっと小さかったけれど、筋肉がついてむちっと膨らんだような幹は健在。夜に咲いて翌日の昼には落ちてしまうという花は、運良く一つだけ落ちずに残っていた。枝からヒョロヒョロとぶら下がって咲いている花や開花待ちのつぼみたちは、きれいと言うよりはコミカルであった。一帯には甘い匂いが立ち込めていたが、これがバオバブの花の匂いなのか、近くの他の植物から出ているものなのかはわかりかねた。

順路に沿った展示も終わりに差し掛かる頃、対人コミュニケーションに飢えていると思しき老人が、単独行動中の若い女性にしきりに話しかけているのに遭遇した。「一人で来たの?」とか「どこから来たの?」とか、しょっぱなからタメ口なのがありがちだなあなどと聞き耳をたてつつ通り過ぎた。

もし仮に、動植物が人語を操るようになったらどうだろう。最初のうちこそ、もの珍しさやら、今までわからなかった気持ちを知りたいやらで、狂喜して会話するに違いない。でも、だんだん話が出来ることに慣れてくると、やっぱり気の合うのとそうでないのが出てきて、というか気が合わないやつの方がほとんどで、話しかけるのも話しかけられるのも億劫になってしまうだろう。考えてみれば、口の利ける昆虫とか、めちゃくちゃウザそうではないか。

木は偉い。何十年とか何百年とか生きていても、誰にも藪絡みなどしないのだから。動物も植物も決して話しかけてきたりすることはない。哺乳類なんかを相手にすると、「あれ、これって意思疎通できてるのでは?」と感じる瞬間もあるにはあるが、彼らも基本的には自分のことしか考えていないと見ていただいて差し支えない。だからこそ、素晴らしいのである。

 

 

 

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