先日、怪我をしたムササビの保護活動をしておられる方から、「ムササビを見たいなら、東大寺に行くといい」ということを教えていただいた。
「いやー、ムササビは最初は野生動物らしく人を警戒するんだけれど、ある程度一緒に生活しているととても懐いてくれてね。手ずから餌をやることもできるようになるよ。それに彼らが飛ぶところときたら、まるで座布団が飛んでいるみたいな大迫力だね!」
私はある事情により、かねてからムササビに関心があった。それがそんな人里で見られるなら、見に行かないわけにはいかないではないか。しかも空飛ぶ座布団だなんて、大相撲かよ。
おりしも、時は発情期に入ったムササビが"よく飛ぶ"とされる12月、いてもたってもいられず、奈良行きの近鉄電車に乗り込んだ。
近鉄奈良駅から東大寺までの道のりは、シカたちの客引きがすごい
東大寺のある奈良公園近辺は、言わずと知れたシカの都である。さすがに駅の近くにはいなかったが、市街地を一歩抜けるや、歩道も広場も役所の中庭も、どこに行ってもシカ、シカ、シカ。どこに顔を向けても、常時何匹かのシカが視界に入っている。どうしてもシカを見たくない人は、上を向いて空を見るか、真下を向いてひたすら自分の足元を見るしかない。
しかも、こちらが観光客だとわかると、節操なく食べ物を無心しにやってくる。歓楽街の客引きのようである。
夜行性のムササビを観察するためには、日没まで待たなければならない。それまでの間、いわば前菜としてシカの写真を撮ったりして遊んでいたのだが、それらを紹介するだけでは本題を忘れてしまいそうだから、そもそもなぜ私がムササビに興味を持ったのかを書いていこう。
「自分を動物にたとえると、何だと思いますか?」
奇妙な質問だが、就職活動の場ではそれほど珍しいものではない。突拍子もない質問をすることで、相手が臨機応変に対応できるかどうか、それに加えて返答を通した自己アピールを見ているのだそうだ。
自分の良いところをアピールをしないといけないわけだから、例えそれが偽らざる自己評価であったとしても、
「ネコです。昼でも夜でもよく眠りますので」
などという、どう考えても社会的に負の印象を与えそうなことを言ってはいけない。
それに、仮に自分の長所を説明していたとしても、なんとなく不安な印象を与える動物をチョイスするのも考えものだ。
「レミングです。協調性があるので」
などというのが、悪い例である。
さて、この「自分を動物に例える」スタイルの自己アピールは、すでにそれほど突拍子のないものではない。面白おかしな質問は、迷える就活生たちの間に広まるのも早く、それだけ対策を立てられるのも早いからだ。
私が人並みに就活に励んでいた時点で、ネット上にはこの手の質問に対する模範回答のようなものがすでに存在した。
でも......でもだ。ウィットに富んだ返答をとまでは言わずとも、模範解答を少しいじったようなものでお茶を濁すのはなんだか悔しいではないか。
私の周囲にも、多かれ少なかれそう考えた人たちがいるようだった。
例えば、自分はコアラであると主張した女子大学院生がいる。
「誰も見向きもしない木に取り付いて、葉を食べてます」
自分をトラに例えた男子学生がいる。
「阪神タイガースのように強く、云々」
彼は面接に落ちてしまった。トラという言葉はフーテンのイメージが強過ぎたのだ。
察しの良い読者は気がついたかもしれない。私が選んだ動物が、ムササビだった。
「余った皮を使って飛翔能力を獲得したムササビのように、他の人が見落としているものに着目し、それを使って躍進します」
てなことを言った......ような気がする。
しかし、この理屈には、実は嘘がある。
動物に詳しい人なら知っていると思うが、ムササビは、正確に言うと「飛翔」しているのではない。あれは「滑空」しているのである。飛び立った場所よりも高いところに行くことは基本的にはできないんである。身も蓋もない言い方をすると、ゆっくり落ちているだけなんである。たぶん、滑空という言葉のもつそういったマイナスのイメージを無意識に感じ取って、飛翔という言葉が口をついて出たのだろう。
滑空を飛翔と言い換える欺瞞を看破されたのか、それとも話している私の表情が「ちょっと変わった返答でっしゃろ」と言わんばかりにニヤけていたのか、このときの面接は無事落とされてしまった。
そして、動物に例えて云々の質問をされたのは後にも先にもこのとき限りだったけれど、「ムササビねえ、一度飛ぶところを見てみたいなあ」という思いだけが心の中に残った。
「奈良のシカ」の衣を借りてポジティブイメージをまとうことは可能か
付近に国産小麦を使った評判のパン屋があったので寄ってみた。
購入したパンをベンチに座って食べていると......。
図々しいシカが首を突っ込んできた。
シカ煎餅と人用のパンの区別もつかないのだろうか?などと呆れながら追い払った。
追い払い際に全身を見ると、腹がボコボコと膨れており、妊娠していることがわかった。
もちろん、だからといってパンはやらなかった。
こちらは、車道の真ん中を歩いて交通を遮断しているシカである。直後に、外国人観光客が歩道でシカ煎餅を振って見せ、シカはそちらに移動したため、事なきを得た。これなんかは、人間がやればゴネ得などと糾弾される行為である。
奈良のシカを引き合いに出して自己アピールをするなら、口八丁手八丁で節操のない利益誘導の手腕、その耐えざる営業努力(なんと、シカたちの中には、これだと思った相手にはぺこぺこと頭を下げる芸をして媚びるものまでいる)などをお上品な感じに言い換えておくのが良いだろう。
そんなことを考えているうちに南大門に着いた
言わずと知れた東大寺の表玄関。
いつ見てもその力強さに圧倒される、金剛力士像。こちらは口を開いた阿行像。
で、こっちが口を引き結んだ吽行像だ。
東大寺観光の初っ端の目玉である金剛力士像は、昼間でも常時ライトアップされているようだ。細部がよく観察できていいのだが、薄暗い自然光の中に立つ力士像を見てみたい気もする。
これは天井。吹き抜け構造で非常に高く、こっちには照明が設置されていないので、奥の方は闇が濃くてよく見えない。梁の上から何かがこちらを伺っているんじゃないかという妄想が捗る。例えば、ムササビとか......。
ムササビの痕跡を探す
境内に到達したが、日没までまだ時間がある。シカをおちょくって遊ぶのにも飽きてしまった。せっかくなのでムササビの痕跡を探して時間を潰すことにした。
写真の松の木は、ところどころに穴が開いていて、ムササビが住むのにうってつけなんじゃないかと思った。
地面を見ると、そこここに「森のエビフライ」などと呼ばれる松ぼっくりの食べかすが落ちていた。松ぼっくりを好んで食べるムササビが近くにいる証拠であり、見つけたときは大変に興奮した。
右が食べられる前、左が食べられた後の松ぼっくりだ。固い芯の部分だけを綺麗に食べ残しているのがわかる。
「森のエビフライ」を探すのが楽しくて地面を探索しているのだが、何も知らない人が見たら完全にシカの糞をいじくっている人である。
探したら探しただけ見つかる。ムササビのエビフライ屋さんである。
それ以外に、夏の残滓を見つけたりもした。
そして、日が落ちた
東大寺大仏殿の見学時間が17時で終了し、間をおかずにあたりは夕闇に包まれた。パッタリと人通りが絶え、それと同時にあれほどいたシカたちもどこかへ行ってしまった。
観光の時間は終わったが、私にとってはこれからが本番だ。
目星をつけておいたポイントを行きつ戻りつして、ムササビの気配をうかがう。
ドドドッと音がするので驚いて振り返ると、大きなシカが一頭、土を蹴立てて逃げていくところだった。昼間はあんなにフレンドリーだったのに、なんだか別の生き物のようで怖い。
そして、ついにムササビが飛ぶ
木を見ながら、南大門を背にして歩いていたときのことだ。
突然、松の木のてっぺんから
「キュロロロロロロロロロロロロロロロロロロ」
という、エンジンのかかりが悪いアメ車のような音がし始めた。
奇妙な生き物には奇妙な鳴き声がつき物だ......とは言わないが、そんな変な音が聞こえてきたら、そっちに注目してしまうのも無理なからぬことだ。音のする方を注視していると、松の梢の茂みがガサガサと揺れ、音がやむと同時にムササビが飛び立った。
飛び立ったムササビが、私の頭の上を越えて背後の茂みの中に消えるまでは、本当に一瞬だった。しかしその初見の一瞬は、その日一日のほかの体験を全部ひっくるめたよりも濃い印象を残して去っていった。
白くて四角くて、頭についた二つの目は街灯の光を受けてオレンジ色に光っていた。ふさふさとした長い尻尾も、しかと見届けた。私がムササビを知らない大昔の庶民で、夜中に東大寺の参道でムササビに出くわしたりしたら、間違いなくこいつは妖怪だと思っただろう。一反木綿(ゲゲゲの鬼太郎に出てくる白くてヒョロヒョロしたやつ)の元ネタは、この辺なのかもしれないと思った。
観察に夢中なのと、あまりに一瞬の出来事だったので、写真は撮れなかった。
見られただけでも満足なのだが、せっかくだからその姿を写真に収めて帰りたい。
そう思って未練がましくあたりの木を物色していると、今度は何の前触れもなく頭上でバババ!という音がしたかと思うと、なんと目の前の木にふさふさの塊が着地したではないか。
わざわざ人の目の前に着地するとは、サービス精神旺盛なムササビがいたものだ。しかも、私の背後にあったのはまたしても南大門。してみるとこいつ、恐れ多くも南大門の外壁をジャンプ台に利用したということか。サービス精神だけでなく大胆さも併せ持っている、なんと天晴れなムサ公なんだろう。
好意に感謝して、ありがたくカメラを向けさせていただく。
腹側の毛だけでなく尻尾の先も真っ白である。
何度もシャッターを切るけれど、
暗いのとカメラの性能がイマイチなので
なかなかピンとが合わない。
目と目が合った瞬間、奇跡的にピントの合った写真が撮れた。
こっちはお尻。
この後、
「もう気はすんだだろう」
と言わんばかりに、ムサ公は木の高い所に登り、再度ブワッ!と飛び立つと、追いかけることのできない塀の向こうへ消えていった。
後には、ムサ公とのやり取りの余韻に陶然となった人間だけが残された。
ムササビを追うことにすっかり夢中になっていて気づかなかったが、いつしか小雨がぱらつき始めていて、体もすっかり冷え切っていた。
こういう寒い夜には、ラーメンを食べるのが一番だ。駅の近くでみつけたラーメン屋で、さっき見たムササビのことを思い出し、思い出し、ニヤつきながらラーメンをすすって、帰宅した。好みのあっさりとしたスープで、また食べに来たいと思った。
おまけ
駅前の商店街でみかけたツバメの巣。
営巣位置があまりに絶妙で、この宝石点の屋号が「白井」なのか「田井」なのか「臼井」なのか、またはそれ以外なのか判別できなかった。にも関わらず巣を撤去しないところに、店主の底抜けの優しさを感じた。