朝の準備に手間取る
翌日は早起きをして朝食の用意をすることにした。
かまどがあるので米を炊こうとしたのだが、あいにくの雨模様により薪が湿ってしまった。新聞紙や着火剤に着けた火を燃え移らせようとしても、なかなか炎が上がらない。そのくせ煙だけはもくもくと盛大に吐き出すものだから、小屋の中は目を開けているのも厳しい状態になった。
もたもたしているうちに、記者氏は仕事に行かねばならない時間になってしまった。今日はまず街中のショッピングモールで取材をし、次は選挙関連の聞き込みをするらしい。休日なのに、忙しそうである。
囲炉裏に残った昨夜の燃えさしを使ってなんとか米を雑炊にし、出発準備を整えた。整えたはいいが、時間をくってしまった。記者氏に教えてもらったベニテングの会の人たちに話を聞きに行きたいのだが、ひょっとするともう出発してしまったのではないかという不安が頭をよぎる。雨が降っているから今日は小屋でゆっくりしているかもしれない、そう思い直したけれど、湿度の高い雨天は絶好のキノコ観察日和であるとも考えられるので、油断はできない。
ベニテングの会の人に話を聞く
期待半分諦め半分で彼らの止まっているという小屋に行ってみると、はたして、まだ小屋にいた。表にいた男性に来意を告げると、中から会長だという男性に続いて8人くらいの人たちが出てきた。
私 「ベニテングタケを探しに来たのですが、この辺りには生えてないでしょうか」
会長 「いやあ、昨日キノコ観察をしたけれど、このへんには生えてなかったなあ。」
落胆する我々。しかし、なんとなくだがこの辺りにはないだろうなという検討はついていた。ベニテングタケは白樺の木が茂る林床に発生するのだが、大平宿近辺にはそもそも白樺の木がほとんど見られないのだ。
「やっぱりそうですよね」と肩を落とす我々に、会長はうれしいことを教えてくれた。
会長 「時期的には遅いけれど、菅平の方なら出てるかもしれないよ。白樺の木は標高の高いところに生えるから、高原の方を探してみるといい」
この菅平という地名は、事前に調べておいたベニテングタケ発生の候補地の一つだ。強い毒性を持つベニテングタケを解毒して食べるという、珍しい習慣のある地域(もっとも、今ではそんなことをする人もほとんどいないらしいが)であるという情報がネット上で散見されるため、目をつけていたのである。
ベニテングの会の方々にお礼を述べつつ、菅平に向けて出発する。何しろ遠いので、早く出発しないと日暮れ前に到着できるかどうかも怪しくなってしまう。
菅平まで移動する
▲目的地は遠い
途中、同行者が登山靴を新調するのに付き合ったりしたので、菅平に到着したのは午後4時頃だった。
いかにも高原の別荘地という感じのする綺麗なところだが、あいにく景色をゆっくり堪能している暇はない。日が暮れるまでに捜索を済ませなければならないのだ。
森の中に入る。下草に覆われた林床はじめじめと湿っており、キノコが生えるには絶好の環境のようだ。ポツリポツリとあちこちに白樺の木が点在しているので、それらの根元を順に見て回る。あるか?次はどうだ?地面に目を這わせ懸命にベニテングタケの赤色を探す。そうする間に、あたりはどんどん薄暗くなってくる。もともと日の光が届きにくい森林の中では、日が山の端に差し掛かる頃には足元が真っ暗になってしまうのだ。物の色の判別が難しくなってきたあたりで、この日の捜索を諦めた。
「このままではまずい」
宿の部屋についた我々は考えた。連休は翌日で最終日であるため、昼過ぎに帰路につくとして、それまでにベニテングタケを見つけなければならないのである。菅平まで来ればなんとなく見つかるものと思っていたが、今日探した感じではそう簡単な話ではないらしい。
もう少しピンポイントで発生状況がわかる情報がほしい。藁にもすがる思いでツイッターに『ベニテングタケ』と打ち込んで検索した。すると、あった。なんとここから北に数キロほど移動した高原でベニテングタケを見つけたという、写真つきのツイートが出てきたのだ。それも、まさに今日森を散歩していて見つけたらしいのである。他に当てはない。この場所に最後の望みをかけることにした。
最終日
▲高原の道には霧が出ていた
翌日、目的地近辺を車で走っていて直感した。
「この近くには生えてるな」
なぜかというと、路肩から見渡す森に生えている白樺の木の数が、昨日とは段違いに多いのだ。それになんだか霧まで出てきたし、ファンタジックな色彩のキノコに出会うのにばっちりな雰囲気ではないか。
適当な空き地に車を停めて、いざ探索へ!ドアを開けると、そばの芝生の上に赤いものが落ちているのが見えた。
発見!
「あ、あったあ~~!」
若干乾燥しているように見えるが、間違えようのないこのカラーリングは、まさしくベニテングタケである。祈るような気持ちでここまで来たが、なんと、森に入るまでもなく発見してしまった。不意打ちを受けて面食らったけれど、一歩一歩と走り寄るにつれて驚きは薄らぎ喜びがわき起こってきた。ずっとこの手にとってみたいと思っていたキノコをついに見つけたんだ!
これが見たくてはるばるやって来たんだ。生えていてくれて本当によかった。
とりあえず目的は達したわけだが、そうすると新たな欲が出てくる。このベニテングタケ、日当たりの良い場所に生えていたためか少し乾燥している。せっかくだから、もっとフレッシュなものが見たい。
こんな道端にさえ生えているんだから、森の中にはもっと生えているはずだ。期待に胸を躍らせながら、森に分け入って捜索を始めた。
すると、あるはあるは、林床のいたるところにベニテングタケが真っ赤な傘を広げて屹立していた。見つけるのは簡単だ。褐色の落ち葉に覆われた地面の上に、そこだけスポットライトを当てたように鮮やかな赤色が浮かび上がる。ひとたび視界に入れば、見落とすことなどできようはずもない。
朝一で探しに来たからだろうか、森の中で見つけたものは虫食いもほとんど見られず、触れば弾き返されるようなみずみずしさを保っていた。
真っ赤な色とその形のせいでワイングラスを連想した。
幼菌もあった
外被膜を破って出てきたばかりの幼菌も見つけた。傘が開いていない分、その赤みは一段と濃いようだ。このままの状態で固定して部屋に飾り、いつまでも眺めていたくなる。しかしそれは叶わぬことなのだ。
夢中でキノコを探しながら歩いていると、森の中の池に突き当たった。シンと静まり返り、霧に覆われている。ベニテングタケは西洋では幸福のシンボルとして親しまれているそうだが、こんな静謐な場所であんなに美しいものを見つけたら、特別な気持ちになるのも無理なかろうことである。
大満足で帰路に着く
今度のキノコ旅ではいろいろな幸運が重なって念願かなえることができた。宿をくれた人、情報をくれた人の助力がなければこの世にも美しいキノコまで到達できたかは怪しいものだ。その人たちには感謝してもしきれない。
採集したベニテングタケにはイボテン酸やムスカリンという毒が含まれているため食用にはできないのだが、せっかくなので毒抜きして食べてみる予定だ。そのときの様子はまた別の記事に書くつもりなので乞うご期待。
おまけ
紹介し切れなかったが、森の中にはベニテングタケ以外にもびっくりするくらいたくさんのキノコが生えていた。今回はベニテングタケに夢中で、写真を撮るだけで通り過ぎることが多かったのは、今となってはもったいなかったかなと思っている。次の機会には、こういう地味なキノコにももっと注意を払える心の余裕がほしいものだ。