先日、滋賀県栗東市に伝わる「どじょうずし」 というなれずしを味わう機会があった。
話は昨夏までさかのぼる
この日、私は滋賀県草津市の琵琶湖博物館に来ていた。夏の間開催されている『大どじょう展』を鑑賞するためだ。
日本在来のドジョウは、今わかっているだけで33種もいる。なんだかアイドルグループのようである。『大どじょう展』ではこれら全てのパネル展示に加え、そのうち27種が水槽に生体展示されていた。よく集めたものだと感心してしまう。
この一覧を見ていて一番驚いたのが、「ドジョウ」という種名を持った魚が存在することだ。いや、何を言っているかわからないだろう。説明しよう。
私はずっと、「ドジョウ」という呼称は「〇〇ドジョウ」や「××ドジョウ」といったドジョウ科の魚をひっくるめて呼ぶときの総称だと思っていた。だから、「ドジョウ」というプレーンな呼び名を種名としてもつ魚(写真の右半分の左上に写っているやつ)が存在すると知って驚いたのである。彼らは、いわばドラえもんズにおけるドラえもんであり、この33種をヒーロー戦隊よろしく横一列に並ばせた場合、否応なしに真ん中にくるはずだ。
これからはドジョウのことを話している人を見かけたら、それはドジョウ科ドジョウの話なのかドジョウ科全体の話なのかを注意深く区別しなければならない。人間は、知識が増えるほど傍から見ると面倒な存在になりがちである。
ともかく、出だしから新たな発見に驚かされたので、速やかに生体展示を見ることに移行し、可愛いドジョウたちの姿を見て心を落ち着けることにした。例えば、この白地に黒い縞模様が綺麗なドジョウはオオガタスジシマドジョウ。琵琶湖にしか生息していないドジョウである。
こっちの黒い斑点が可愛いやつは、トウカイコガタスジシマドジョウ。東海地方に生息していて、その名の通りオオガタスジシマドジョウの半分くらいの大きさしかない。
天然記念物と絶滅危惧種にダブル指定され、京都府と岡山県の一部地域でしか見られなくなってしまったアユモドキも展示されていた。まごうかたなき珍魚のお姿をしっかりと拝見したかったのに、かたくなに岩陰から出てこようとしなかったのは残念である。マイノリティが日陰に追いやられるのは、人も魚も同じということなのだろうか。
水槽の底を這うように泳ぐドジョウたちの姿をたっぷりと堪能していい気分で立ち去ろうとしたところに、そうすんなり帰らせてたまるかと登場したのがこいつだ。
遠目に見て、大きなヒザラガイの化石かなにかかと思った。しかしながら、キャプションを見ると、なんと、信じがたいことに、寿司だと書いてある。真っ黒な見た目もさることながら、材料に使われている魚がドジョウとナマズであるというのもすごい。蓼を混ぜるというのもおもしろい。まったく味の想像が付かないので、俄然食べてみたくなった。
気になって仕方がないのでその場で検索してみた。「どじょうずし」はここ琵琶湖博物館から10kmほど離れた滋賀県栗東市に所在する三輪神社の春祭りに供される寿司で、祭りが催される5月3日に現地に行けば誰でも食べさせてもらえるという。
こんなに面白そうなものについて教えてくれた大ドジョウ展の企画者に感謝しつつ、手帳に日取りを書き付けた。
5月3日になったので見に来た
待ちに待ったお祭りの日である。
三輪神社は、栗東市大橋の水路の多い歴史のありそうな住宅街に位置している。
祭事は13時に始まる。私は10分ほど遅刻したので、着いた時には境内には既に人が集まっていた。
集まった人々は、式典を進行する人たちと、遠巻きに見物するギャラリーに分かれていた。これは完全に主観なのだけれど、他所からやってきたのは自分を含めてほんの数人であり、大多数の人々は地元民であるようだった。それでも敷地の外にはみ出るほどに人が集まっているのは、このお祭りが地域で大事にされているからなのだろう。
正装した人々が順番に何かを奉納していく。
ひとしきり奉納が終わると、次に神楽(神様に奉納する歌や舞のこと)が舞われる。舞子の4人は地元の小学6年生から選抜され、この日のために練習するそうだ。
とても絵になるので、たくさんのカメラが向けられていた。
神楽が終わると、神前に置かれていたお供え物はおじさんたちによる無言の手渡しリレーで引き上げる。紅白の鏡餅、鯉、タケノコ、大根、にんじん、昆布、スルメ、海苔、夏みかん、酒...見ていて、いったいどれだけ出てくるのだろうと思わされたほど盛りだくさんである。
お供え物の引き下げが行われている裏では、神輿の準備が始められている。担ぎ手は子供たちだ。神主による祝詞の読み上げを済ませた神輿は、20人ほどのはっぴを着た子供たちに担がれて境内を出発していった。
そして、どじょうずしが現れた
子供たちが神輿とともに行ってしまうと、こころなしか境内の大人たちはそわそわし始めたように思えた。私にも、なんとなくその理由がわかるような気がした。進行役の方が
「それでは今年のどじょうずしのお披露目です。日本広しといえど、ドジョウをなれずしにするというのは、ちょっと他では聞いたことがない、とても珍しいものです」
というようなことをおっしゃる。すると間をおかず、境内のそこかしこから「おお」とか「ほお」とかいう感嘆の声が上がった。私のような他所から来た組は特にはしゃいでいたはずだ。
境内に入った瞬間から存在に気づいていた、白布を被せた机に置かれたそれが、舞台のそばに引き出されてきた。
これが、どじょうずしだ!
一年に一度だけ、ここでだけ食べられる味。珍味という言葉では到底表現しきれない、超珍味と呼ぶべき食べ物なのだ!
上に載っているナマズの切り方が少し違うが、琵琶湖博物館の展示で見た模型とほとんど変わらない色と盛り方に感動した。二皿のどじょうずしが出ているが、これは町を東西に分け、それぞれで一樽ずつ用意するためである。
こちらは、西当番の大隅さんが漬けたどじょうずし。
そしてこちらは、東当番の鵜飼さんが漬けたどじょうずしだ。
同じ物を作っているはずなのに、東西で違うナマズの切り方に個性が表れていて、いいね!
顔を近づけてみる。米の乳酸発酵した香りに混じって、ハーブのような植物系の芳香が漂ってくる。蓼を混ぜ込んで発酵させているからだろうか。
そうこうしているうちに、取り分けが始まった。
これ、「あら珍しい、ちょっともらってみようかしら」という興味本位、味見レベルの取り分けではなく、みなさん割合がっつりと持って帰られるようだった。タッパーとか準備してきてるし。よそ者だから最後でいいなどと言っていると、なくなってしまうかもしれない。取り終わった人が離れたところを見計らって、机に接近した。
ナマズの切り身を取り、米の山を崩すと、中から埋もれたドジョウが出てくる。
容器になる物を持って来ていなかったのだけれど、お酒用の紙コップに入れてもらうことができた。これは西当番のどじょうずしだ。
味は...米の発酵した酸味、さらに塩分と蓼のピリッとした辛味が合わさって、寿司にしてはなかなか刺激的な味だ。肉厚なナマズはジューシーでくせがない。ドジョウの方は少し苦味があって、グニグニとして噛み切れないので丸ごと口の中に放り込んでいつまでもクチャクチャと噛んでいられる。どちらも、蓼の香りが川魚の生臭さを消すのか食べていて抵抗を感じなかった。多くの発酵食品の例に漏れず万人受けする味ではないのかもしれないが、私は個性的で美味しいと思った。
東西で食べ比べてみると、東の方はほんの少し米がダマになっている食感があり、酸味も強かった。
「味が東西で違いますね」
机の近くで来客にお酒を勧めていた翁に話を伺うと、
「基本的な作り方は同じなはずだけれど、保管している場所によって水分の蒸発するペースや発酵の進み方が違うから、味も変わってくるんですよ。でも別に味を競っているとかではなくて、昔はもっとたくさん作っていたから、当番の負担が大きくなり過ぎないように町の東西で半分ずつ漬けるようにしたんです。」
と教えてくださった。聞けば、なんとこの方は、東西にそれぞれ2人ずつ配置された寿司漬け人という役職に就いておられるそうで、どじょうずし作りの当番に当たった世帯の手伝いをしたりされるそうである。
寿司漬け人氏が教えてくださったどじょうずしの作り方はこうだ。
- 寿司漬けは毎年9月に行う。刈り取った蓼を細かく刻んでご飯に混ぜ、蓼飯(たでめし)を作る。
- ナマズの切り身に塩をして、水分を切る。
- 木製の樽を用意し、まずは蓼飯、次に生きた丸のままのドジョウ、さらにその上にナマズの切り身を被せる。その際、各層に適量の塩を振る。
- この蓼飯、ドジョウ、ナマズの順番でどんどん重層していき、樽の上の方まで詰まったら、蓋をして重石を載せる。
- 翌年の5月まで、たまに様子を見ながら発酵させる
琵琶湖から水路で水を引いて米を作っているこの地域では、ドジョウやナマズは簡単に入手できる魚だ。蓼も、水辺に自生するありふれた植物だ。塩はちょっと難しいかもしれないが、基本的にこの周辺で得られるものでずーっと昔からこの作り方を受け継いできたのだという。
「どじょうずしやこの祭りはいつ頃からあるものなんですか?」
という質問には、
「300か、400年前くらいかなあ?」
とのことだった。ほかにも、寿司の研究家が見学に来た話や、塩辛いどじょうすしをアテにしてお酒を飲むと最高なのだという話を楽しく聞かせていただいた。なお、ナマズの方がたくさん入っているのになぜ「なまずずし」ではなく「どじょうずし」なのかはわからないそうだ。
境内を散策してみる
これが本殿で
その脇には天照を祀ったお堂があった。
ここにもいろいろなお供え物が。そしてよく見ると、その中に丸く固めてしめ縄を載せられたどじょうずしが。
一通り見て回って戻ってみると、大皿に盛られたどじょうずしの、上に載ったナマズはすでに全て持ち去られ、蓼米がいくらか残っているだけだった。
それにしても、一口に寿司と言っても本当にいろいろなものがあるのだなと、どじょうずしを見て感心させられた。
「今夜はお寿司よ!」
こう宣言されて、食卓に出てくるのは握り寿司かもしれないし、散らし寿司かもしれないし、柿の葉寿司かもしれないし、どじょうずしだということもあり得ないことではないのだ。寿司の世界の奥深さを体験させてくれたどじょうずしや、それを継承している人たちに感謝である。
帰り際に、ふと思いついて神社の前で神輿を通すための交通整理をしていた人に
「このお祭りとかどじょうずしっていつ頃からあるんですか?」
と先ほどと同じ事を聞いてみた。
「さあ、1000年くらい前からかなあ」
ともかく、いつ始まったかわからないくらい前からある伝統なのである。
おまけ
境内にあった遊具。そこはドジョウじゃないのね。