2024年8月26日 月曜日
バイクに乗っていると思考にも勢いがついていろいろな方向に飛んでいく。ふと、初めて補助輪なしで自転車に乗れた時のことを思い出した。
私はもともとビビり屋で、小学校に入る前に祖母に買ってもらった赤い自転車の補助輪がなかなか外れなかった。一度うっかり挑戦して、派手に転んだことも足を引っ張っていた。転んで痛い思いをするくらいなら、一生補助輪付きで自転車に乗っていればいいではないか。なんの不都合があるのだろう。
そんなわけで、1年たっても私は補助輪を付けたまま自転車に乗っていた。さしもの私も、その頃には自転車は補助輪の付いていない状態で乗るのが世のスタンダードなのだということに気が付いていた。そんなものを付けて乗っている大人は見たことがない。いや、同世代の子供ですらそんなやつはめったにいないのだ。
近所の寺の境内で練習することになった。記憶は曖昧だが自分から言い出したのではなかったことは間違いない。練習を観てくれたのは母だったから、たぶん母の命令である。凸凹した石畳や砂利が敷かれた寺の境内は初心者にとって難易度が高いのではないかと思うのだが、車が入ってこず、しかもそこはうちの叔父が住職を務める寺であったため、好き勝手に使っても文句を言われない場所として有無を言わさず選定されたのだった。人は生まれる環境を選べないのだと、子供心に私は嘆いた。
特訓が始まった。石畳の上を走る自転車は、補助輪が付いた状態でさえガタガタとよく揺れた。どう考えても無理だろうと思った。しかも、乗り方を教えてやると大見得を切った母はコーチとしては甚だ無能な存在で、実際に練習が始まるや有益なアドバイスなどは何一つせず、「乗ってみ。できるから」と横で連呼するだけの存在になり下がった。
「こんなのできるわけないだろう」と内心で思っていた。だからいかに「必死で練習してる感」を出しつつこの時間をやり過ごすかを考えていたのだが、意外なことに数回の挑戦であっさり乗れるようになった。乗れるようになってみると、どうしてこんなことが何年もできなかったのかと不思議になるくらい簡単だった。母の「それ見てみろ」というような反応には少しイラついたけれど、たしかに彼女の言う通り、乗ってみたらできたのだからここは引き下がるよりあるまい。補助輪なしで自転車に乗るのは、それまで引きずっていた重荷が外れたようでとてもすがすがしく、楽しかった。自分の体にものすごい変化が起こったような気がしたのに、足を見ても腕を見てもどこも変わっていないのが不思議なのだった。
その後、車に乗ったりバイクに乗ったりするようになったけれど、あのときのような、自分の力がガクン!と一段進歩したような感覚にはならなかった。努力してできるようになったというよりは、時間をかけて自分の中に蓄積されていた力があるタイミングであるべきところに引き出されたような感覚。
残りの人生でも、あれに匹敵する解放感を体験する機会があるといいんだけど。
2024年8月27日 火曜日
今書いているデイリーポータルZの記事が、想定外のことが多くてなかなかうまくいかない。石川さんと相談。〆切が少し伸びる。
夜、近所のスーパーで安くなっていたハモを湯引きして梅のタレを付けて食べる。たんぱくそうな外見からは想像できないくらい、味がしまっていて美味しい。
琵琶湖のニゴイは魚好きの間で通称「ビワハモ」と言われるくらいハモに似ていて美味しく、私も大好きでたまに採ってきて食べるのだが、やはり本物は一枚も二枚も上だと思う。やはり淡水魚は海水魚に味で勝てないのだろうか。
2024年8月28日 水曜日
夕飯に鯛の兜煮。きれいに煮上がったのに、鍋から皿に移す段でバラバラに。魚料理は、この鍋やフライパンから皿に移す最後の工程のギャンブル性からいつまでたっても脱却できない。自炊における永遠の課題である。
「サマー・タイムマシン・ブルース」視聴。タイムトラベルのパラドックスという使い古されたテーマながら、「カメラを止めるな」的なわちゃわちゃ感があっておもしろい。
「サマー・タイムマシン・ブルース」では、まず主人公たちの知らないところで誰かが暗躍していることを暗示しながら過去(昨日)の出来事を描写して、後半では同じ一日を、翌日からタイムリープしてきた主人公たちの視点から描写することで、裏で実際に起きていたことをネタバレする構成をとっている。初っ端に劇中劇をもってきて、後半でその撮影の裏側を描いた「カメラを止めるな」にそっくりだ。これは発見だぞ。
ひょっとして同じ人が関わっている?と思ってWikipediaを読んでみたけれど、とくにそういうことはないようだった。
絵面に平成中期っぽさが滲み出ていて、懐かしかった。
2024年8月29日 木曜日
デイリーポータルZで掲載される書籍の紹介記事。ZOOMで話した内容を石川さんが文字起こしして記事にまとめてくれるというもの。一か月くらい前に収録したものの初稿ができたから確認してほしいということで、見てみると、こじゃれたタイトルがついている。
「いいタイトルですね。こちらの言いたいことにぴったり合ってる。ありがとうございます」
すると驚きの答えが返ってきた。
「それ、考えたのこーだいさんですよ」
どうりで言いたいことにぴったり合ってるわけだ。自分で言ったこと、ぜんぜん覚えていない。
2024年8月30日 金曜日
奈良に出かけた同居人からLINEで写真が送られてくる。
「鳥が死んでいる。これは何の鳥?」
「これは、イソヒヨドリ(♀)。剥製の材料にするから拾ってきてよ」
「できれば今回はスルーしたいな。帰るまでも長いし」
「状態もよさそうだし、頼むよ。
ヒヨドリに日和りたりける○○○○(人名、平仮名4文字)をにくく思えど手にも届かじ
つれない仕打ちを受けることは辛いことです」
「暑き日よ取りかねて過ぐむくろには目ざとき蟻も山とたかれり
見つけてしまったばかりに、いらぬ苦労をすることでございます」
そのあと、奇跡的に保存用の氷が手に入ったと言って、拾って持って帰ってきてくれた。