ディック・ブルーナの線について

先日、京都大丸でディック・ブルーナ展を見た。ディック・ブルーナはウサギのミッフィーちゃんなどの超大物キャラクターをいくつも生み出したオランダの絵本作家で、必要最小限の線と色で表現された絵はシンプルで優しい。

展示には貴重な原画がいくつも陳列されていた。印刷されて本になった絵は、まるで描画ソフトで描いたのかと思うほど輪郭線はまっすぐ澱みなく引かれ、色はペカッとして塗りむらがないけれど、原画を近くで見ると輪郭線にはオシロスコープの波形のような細かな筆の揺れの跡があることがわかった。

当たり前だが全部、筆と絵の具で描かれているのだ。描画ソフトで描いた絵はどこまで拡大しても真っ平らで均質だけれど、手描きの線はたとえどれだけまっすぐに見えてもどこかに作者の身体の揺らぎの跡を見ることができる。

嬉しいことに、ブルーナ氏自身が解説の中でこの線の揺らぎについて言及していた。

「きれいな線を引くためにゆっくりと筆を動かすのですが、手が震えて線の縁に波模様ができてしまいます。これは、絵を描くときの私の心の躍動が表出したものなんです」

すごいなと思った。

私には、線の揺らぎがそのまま心の躍動にたどりつく感覚そのものはすぐに飲み込むことはできなかったけれど、ブルーナ氏が自分の仕事の細部をとらえて、そこに絵を描くことの心の高まりみたいなものに絡めた意味づけをしているところに感動した。創作と向き合うことの喜びや、そこから培われた思索の深さのようなものを感じたのだ。数え切れないくらいたくさんの絵を描いてきて、本を何十冊も出しているのに、一枚一枚の絵をまっさらな気持ちで描いている人の言葉だと思った。

自分はなにかを書いたり作ったりしている時に、ここまでフレッシュな気持ちを抱き続けているだろうかと、絵の前で自問させられたのだった。