暑くて仕方がないので、私が大好きな沖縄のソーキソバたちの画像を掲示する。
少しでも暑さを愉楽に変換する試みである。
先々月沖縄に行ったときは、毎日ソーキソバ屋に通っていたなあ。
暑くて仕方がないので、私が大好きな沖縄のソーキソバたちの画像を掲示する。
少しでも暑さを愉楽に変換する試みである。
先々月沖縄に行ったときは、毎日ソーキソバ屋に通っていたなあ。
中国で今、ザリガニ料理が熱いらしい。
ザリガニを食べること自体は、別に驚くことではない。欧米にもザリガニ料理はあるし、そもそも自他共に認める「なんでも食べる」中国人民のことだから、ザリガニを食材として利用しようとするのはごく自然なことだ。
大変なのは、そのザリガニブームの勢いである。ザリガニを提供する店は年々増え続け、なんでもその数はケンタッキーやマクドナルドをもしのぐと言うのだから、尋常ではない。
そんなに美味しいのだろうか?
とても気になるので、ザリガニ料理の中でも一番人気があるという麻辣小龍蝦(マーラー・シャオロンシア)という料理を、作って食べてみることにした。
材料調達と言ったものの、要するにただのザリガニ釣りである。
いまどき、そこらの田んぼで見ることのできるザリガニのほとんどは、外来種であるアメリカザリガニである。本来なら憂慮すべきところなのだろうが、アメリカザリガニは在来種のニホンザリガニよりもずっと大きいため、食材としてはありがたい存在である。さらに言うと、アメリカザリガニよりもさらに大きいウチダザリガニという外来ザリガニも存在するのだが、近場の生息地を知らないので、今回はアメリカザリガニを狙うことにする。
投げやりな案山子に一瞬ヒヤッとさせられつつ、ザリガニを探す。
見えている魚は釣れないというが、見えているザリガニは釣ることができる。
タコ糸の先に餌のスルメとおもりの小石を結びつけて、水底で待機しているザリガニの目の前に沈めてやると、腹を空かせた個体であればすぐに食いついてくる。
後は慎重に引き上げるだけだ。ザリガニに不信感を抱かれぬよう、そーっと糸を手繰り寄せる。
アメリカザリガニ、ゲット!
ザリガニを釣るのはものすごく久しぶりだったのだが、目視でザリガニを探すのは宝探しのようで楽しいし、餌を沈めたら沈めたですぐに食いついてくれて楽しいしで、狩猟本能と達成感を短時間で何度も満たしてくれる素晴らしい娯楽であると思った。何より、長大な待ち時間が発生しないのが良い。
警戒心が強く、水面に出た途端に餌を放して逃げてしまう個体もいた。
こういう賢いやつが、最後には生き残るのであろう。
1時間ちょっとで11匹を釣り上げることができた。試しに料理する分には十分な量である。
子供たちに釣り上げられたのならば、その場で逃がされるか、持ち帰られても飼育されるのであろうが、私に釣られたこいつらは食べられてしまう運命にある。食いついた餌の先にいる相手次第でその後の生死が決まってしまう、ザリガニの社会はかくも厳しいのである。
麻辣小龍蝦は四川風の辛くスパイシーな味付けの料理なので、味付けにはいろいろなスパイスを使用する。中国版クックパッドのようなサイトに掲載されたレシピを翻訳して読んでみた感じでは、四川風の味付けに欠かせない生姜、にんにく、唐辛子、花椒に加えて、自分の好きなスパイスを使って好みの味付けにしているようだった。
今回は、生姜、にんにく、唐辛子、花椒、八角、ローレル、たまねぎ、それから写真には写っていないが黒胡椒を使うことにした。量は全て適当である。
余談だが、スパイスを全部皿に出すと中国に行ったときに食堂や市場で嗅いだ、いろいろな料理や食材の入り混じった空気の匂いが台所に立ち込めて、ものすごくテンションがあがった。
唐辛子は種を取り除き、八角とローレルは細かくちぎる。
生姜、にんにく、たまねぎはみじん切りに。
ここでメインの食材の登場!
自分たちの運命も知らずに、ガチャガチャ音をたてながら動き回っている。
まずはザリガニを綺麗にする。殻の間に入り込んだ泥などを落とすために、歯ブラシでごしごしと擦ってやる。たまにものすごい勢いで暴れて抵抗するものもいて、手を切りやしないかと肝を冷やした。
ワーイ、綺麗になったよ!バンザーイ!
とは思っていないだろうが、ともかく綺麗にはなった。次は背ワタの除去である。
背ワタとはザリガニの腸にあたる部位であり、中には消化された餌や泥が詰まっていて汚いので、調理する前に抜き取ってしまう。
やり方は簡単で、尻尾の真ん中、上の写真の青く囲った部分を折り、
引き出してやるだけである。
背ワタは残っていると臭みの原因にもなるので、途中で千切れたりしないよう慎重に引き抜いてやることが大切だ。
最後に邪魔なヒゲを切り落とし、もう一度水でよく洗えば、下ごしらえは完了だ。
さしものザリガニたちも、腸を抜かれたりひげを切られたりですっかり元気をなくしてしまった。活きがよすぎると油に入れたときに暴れ出して危ないので、これはこれで好都合である。
スパイス、ザリガニの両方が準備できたら、調理開始だ。
中華鍋に多めの油を入れて加熱し、
ザリガニを投入する!
ザリガニの全身が赤くなったら、スパイスと砂糖を入れて全体になじませる。
スパイスの匂いが立ってきたら、酒と醤油を入れ、混ぜる。
さらに塩とザリガニがギリギリ浸らない量の水を入れ、
蓋を被せて蒸し煮にする。
水気が半分くらいになるまでとんだら、麻辣小龍蝦の完成だ!
皿に盛り付けた。
各種スパイスの混じりあった香りはとても良い。さて、肝心のザリガニの身の味はどうだろうか...。
これは殻を剥く前。
で、これが殻を剥いた後。
ちっさ!
と思ったかもしれないが、基本的にはエビと同じで、主な可食部は腹部のみであるため、まあこんなもんである。問題は味だ。めちゃくちゃ泥臭かったりしたらどうしよう...。
知らないものを口に入れる瞬間は、いつも少し不安。
ん!美味しい!大勝利!
エビに似た味だけど、ちょっと違う。爽やかな甘みのある味だ。そしてその甘みを、四川風のスパイシーな味付けが見事に引き立てている。心配した泥臭さだが、こちらは逆にスパイスによって打ち消されているのか、それともはじめから臭みなどなかったのか、まったく感じられなかった。
肉質も特徴的だ。こちらはエビよりも蟹に近く、繊維質だがフワフワとしている。そのフワフワとした肉に、漬け汁がよくしみこんで、一口噛んだ瞬間のジューシーな食感を生み出している。
つまりはとても美味しくて、中国人が夢中になって国中にザリガニ屋を乱立させてしまうのも納得の味なのである。
せっかくなので他の部位も食べてみよう。
まずはハサミだ。
噛み割って中の肉と食べる。
うーん、噛んだときは旨い汁がジュッと出てくるんだけど、いかんせん食べにくい。爪楊枝でわざわざほじくりだすほどの量でもないし、スルーしてもいいかもしれない。
次は胸部に詰まったザリガニみそ。こちらは背甲(背中側の殻)を体から剥がしたときに露出する腹側のみそなのだが、これをこそぎとって食べてみた。
おお、これは美味しい!こってりとした濃厚な味に加えて、口に入れるとザ・甲殻類という感じの良い香りが鼻に突き抜けるのがたまらない。こんなに美味しいみそを捨てては罰が当たるので、少しも残さぬよう念入りにほじくり出して食べた。
この調子で背甲の側に張り付いたみそも味わう。
ん、んんん?
黄色っぽいみそは腹側と同じ味で美味しいのだが、そのすぐ下に隠れている茶色っぽい部位に箸が届いた途端、なんだが苦くて生臭い味が混じるようになった。おまけに、ジャリッと砂までかみ始める始末。これは推測なのだが、この部位には胃袋のようなものがあって、未消化の餌などが紛れ込んでいるのではないだろうか。いずれにせよ、ほんの少し場所がずれただけでものすごい味の落差がある。
不味いし、加熱しているとはいえ汚い気もするので、背中側はあまり深追いしないほうがよいだろう。
▲部位ごとの感想をまとめてみた
そのへんで獲れたザリガニを麻辣小龍蝦にすると、すばらしいご馳走になることがわかった。食材にマッチした料理法を見つけてやることは、本当に大切である。あまりに美味しいので、ザリガニを見る目が変わってしまったくらいだ。
ザリガニブームが中国を席巻した理由を、自分の舌でもって納得できたのは大きな収穫だったと言えるだろう。
食べた後には、捕獲したザリガニとほぼ同体積の殻のゴミが残された。味は良いが、ザリガニは可食部が少ないのである。中国では、複数人でザリガニ料理を囲む場合、テーブルの上に文字通りザリガニの山ができるそうである。ザリガニが旨いことはわかったので、機会があれば本場でそんなザリガニの山を貪ってみたいものだと思った。
ザリガニ料理、中国で爆発的ブーム 「マクドナルドを超えた」の報道も
豪勢な魚の活け造りが食べたい、しかし魚を美しく捌く技術もなければ、店で食べる金もない。ということで、上に載せるものさえ用意すれば手軽に活け造りを楽しむことができる機械を作った。
味も見た目も豪勢な活け造りは、贅沢な魚料理の筆頭だが、そうそう手軽に楽しめるものではない。家庭で作るには材料となる生きた魚の調達からして難しいし、店で食べようとするとお金がかかるからである。
しかも、である。活け造りには「この魚さっきまで生きてたんですよ!」という、新鮮さを視覚的にアピールする意味もあるのだろうが、流通の発達した現代では、スーパーのパック詰めされた刺身も相当に新鮮で美味いのも事実だ。むしろ「ヘタに生きたまま輸送するより、釣り上げたその場でさっさと〆て血抜きした魚のほうが美味い」などと言われる始末。
マイナス点ばかり述べたが、活け造りが時代遅れだと言いたいわけではない。死んでいるはずの魚がピクピク動く姿に「きゃーー生きがいい!」などとはしゃぐこともできるし、切り身では味わえない魚の造形美を堪能することもできるのだから、活け造りが出てきたら否が応にも気分が盛り上がるのは事実である。
活け造りが食膳に上がってきた瞬間に思わず「おお!」という声を上げてしまう、あの胸の高まりを、いつでもどこでも好きなだけ楽しめるようになれば、素晴らしかろう。
ということで、作ったのがこの 活け造りマシーンである。
作った活け造りマシーンを使ってみるために河原にやってきた。
作り物故に場所を選ばないのも、こいつのいいところである。
組み立て中。
セット完了!
その辺のスーパーで買ってきたばかりの、ただのパックの刺身を盛り付ける。作り物に添えるのに相応しく、刺身にのせられた食用菊もプラスチック製の作り物である。
盛り付けた。おお!見た目は完全な活け造りだ!
「いつでも、どこでも」というコンセプトどおり、川の流れを眺めながら、活け造りを楽しめて大満足である。
さて、できの良い皿活け造りは、魚の鮮度が良すぎて皿の上でピクピク暴れてしまうことがあるようだが、そこのところももちろん再現してある。
スイッチを入れてみよう。
ちゃんと動いた!
正直、スイッチを入れるまで対して期待はしていなかったのだが、実際に動かしてみると思ったより自然な跳ね方をし出して、笑ってしまった。
作り物なので、いつまでたっても活きの良さが衰えないのも素晴らしい。逆に難点は、モーター音がかなり騒々しいところだろうか。音のせいで道行く人も思わずこっちを見てくるし。
心なしかただの刺身も美味しく感じる。
刺身を食べていたら雨が降ってきたので、橋の下に避難した。
逃げ込んだ橋の下では、なにやら大勢の人が集まって演説に耳を傾けていた。なんでも、不法投棄取締りの新しい看板の除幕式で偉い人が来ていたらしい。
隣に立っていた人が手元を見て「え?」という感じの表情をしたが、恥ずかしいのでできるだけ目を合わさないようにした。変わったスタイルのデモをしに来た奇人だと思われたかもしれない。
雨がやんだので、しつこく再開する。
今度はかまぼこである。活け造りの趣旨には反するけれど、どこまで低コストでそれらしい雰囲気を再現できるか試してみたくて載せてみた。足元が悪い中で、かまぼこを綺麗に並べようと奮闘していると、「私は何をやっているんだろう?」という思いが湧き上がってくるが、正気に戻ってはいけない。
見た目だけは風流。
予想外にちゃんと動くものができたのでうれしかったし、パックの刺身やかまぼこをただ食べるよりもずっと楽しく食事することができた。しかし一つ問題がある。最初のインパクトを過ぎると、だんだん見飽きてくるのだ。でもよく考えたら、それって本物の活け造りでもそうなんじゃないだろうか。最初出てきたときは「わあ!」と思うんだけど、可食部を食べつくす頃には、生臭くて扱いに困る肴の残骸になっているのではないだろうか。良くも悪くも出オチな道具で、宴席などで使う場合はころあいを見計らってスイッチを切ってしまうのがよいだろう。そう言う意味でも、本物に忠実な偽物を作ってしまったと言えるかもしれない。
需要があるかどうかわからないのだが、一応作り方をさっくりと解説しておく。
魚部分の材料は、芯になる発泡スチロールと、造形用の石粉粘土である。
作りたい魚が決まったら、ネットや図鑑で写真を見たり、現物を観察して、大まかな形を発泡スチロールに書き込んでいく。
それっぽい形に削り出す。
活け造りなので、頭と尻尾だけ作ればよい。
石粉粘土を盛り付けて、
目指す魚の形に近づけていく。
乾燥したところから、カッターナイフで削って鱗などの細かい部分を作りこんでいく。ヒレは薄く作りたかったので、発泡スチロールではなく針金を芯材に使った。
削ったり、粘土を盛り直して修正したりを繰り返しつつ、なんとかそれらしい形になった!
裏側は見えなくなるので、手を抜いている。
完璧を目指すと気がもたないので、そこそこのところで切り上げることが肝心だ。
アクリル絵の具で色をつける。
できた。
色を重ねるごとに魚がいきいきとしてくるのが楽しくて、途中で金や銀のアクリル絵の具を買い足してしまった。化粧品をたくさん買い集める人の気持ちが少しだけわかった気がした。塗る相手は作り物の魚だけれど。
別に作っておいた胸鰭を合体させて、表面に耐水性のニスを塗ったら
魚部分の完成!
なお、ここまでの魚の造形と着色に全工程の8割ほどの時間がかかっている。
台を作る。
まず木枠を組み立て
魚を固定するためのピンを埋め込む。
魚が動く仕組みには、タミヤ模型のギアボックスを使った。
モーターの回転をギアボックスで減速、さらにクランクで回転運動をピストン運動に変換し、魚に繋がった紐を引っ張ったり緩めたりしている。
より断続的で自然な動きにするためにArduinoで制御を...とも思ったけれど、面倒なので今はやらないことに。
手巻き寿司用の巻き簾で蓋をし、魚を取り付けて完成である。
この記事を読んで、「活け造りといえばイセエビだろ!」とか思った人は、是非作ってみてほしい。
グレープフルーツを盛り付けてみた。もはや魚肉ですらなく、偽物に偽物をのっけた格好で何をしたいのか自分でもわからないのだが、見た目だけは綺麗に収まっているのだからすごい。魚を食べられない人に出して反応を見てみたいと思った。
北海道に行ったといいつつ、沖縄の話で恐縮である。
プレコを捕りに沖縄まで行って、見事その目的を達成した。
やるべきことはやったわけだから、もう帰ってしまってもよかったのだが、せっかくここまできてわずか3日で帰るのはもったいない。なにか他に面白いことはないかなあと、那覇市内を流れる安里川の脇を散歩していたところ、信じられない光景を目にした。
1mくらいある大きな白いサメが泳いでいるのだ、川の中を。
調べてみると、安里川にはオオメジロザメというサメが、満潮の時刻になると海から遡上してくるというのだ。確かに、満潮の安里川はまったくと言っていいほど流れがなく、ビニールゴミが上流に向かって流れて行くのを見たことがあるほどだ。目と鼻の先にある海から、海水とともにサメが上がってきても不思議ではないのかもしれない。それにしても、1m以上あるものサメが川を泳いでいるとは驚いたものである。
まさに「犬も歩けば棒にあたる」。次にやることが決まった。そのサメを釣り上げてやるのだ。
「あ!サメだ!」と思ってカメラを向けたのだが、あとで見たら何も写っていなかった。悲しい。
がっちりと歯型がついた魚が流れてきた。
まずは大型魚用の針や糸を買うために釣具屋に行った。
店主に欲しいものを伝えると、
「サメを釣るの?物好きだねえ」
といって、特大の針と太い釣り糸を用意してくれた。サメは大きい上に歯がとても鋭いので、生半可な糸だとあっさり噛み切られてしまうそうだ。餌は付近スーパーで買ったサンマ。深夜の川に糸を下ろし、珍しそうに話しかけてくる人たちと歓談しつつ、サメが食いつくのを待った。
結果として、サメは釣れなかった。
現地で話を聞いた釣り人曰く、サメは真夏の方が連れやすいとのことだったので、時季をあわせてリベンジすることにした。
さて、ここからが本番である。せっかくの遠征を「サメが釣れなかった」という残念エピソードで締めくくるのは嫌だったので、磯で簡単に捕獲できるナマコを拾って食べることにした。
こんな感じの磯を
干潮の時間帯に訪れれば、あっさり見つけることができる。
今回はクロナマコという種類のナマコを持って帰ることにした。
さて、実はこのクロナマコ、その名の通り真っ黒なボディをもつナマコなのだが、同じように黒いニセクロナマコなるナマコが存在する。そして、クロナマコは食べられるのだが、ニセクロナマコは毒があって食べられないらしいのである。
見分け方はこうである。
まず手ごろな棒切れを見つけて、ナマコをつつく。
すると、驚いたニセクロナマコは素麺のような白い糸の束を吐き出す。これはキュビエ器官と呼ばれるもので、外敵をびっくりさせたり、絡まって動けなくすることで、捕食を断念させるための防衛器官である。このキュビエ器官は、クロナマコにはない。だから、黒いナマコを見つけたら、いじめてキュビエ器官を出すかどうか観察すれば、毒の有無がわかる。
おもしろいのは、個体によってはよほどしつこく攻撃されないとキュビエ器官を出さない怠け者もいるということだ。怠惰なニセクロナマコのせいで疑心暗鬼にかられた我々は、
「瀕死になるまでつついてみて、それでもキュビエ器官を出さなければ、無害なクロナマコ」
という、まるで魔女裁判のようなナマコ判別に励んだ。
そうして捕獲したクロナマコ。つつきすぎて背面が白っぽくなっている。
表面のぬめりを落としたあと、両端を切断し、切り開いて内臓などを除去する。そこからは適当な大きさに切り分けて、生食するなり焼いて食べるなりすればよいだけである。
ポン酢で和えた酢ナマコ
オクラや唐辛子と一緒に炒め物に
調理中はナマコから立ち上がる磯の香りが思いのほか強く、おいおいこれ大丈夫かよという感じだったのだが、料理になるにつれて気にならない程度に収まっていった。どちらの料理も美味しいのだが、炒めたナマコは水分がとんで貝のようなこりこりとした食感になってしまったので、ナマコ特有の感触を味わいたいならやはり生食がいいのかなと思った。
2週間ほど北海道をぶらついてきた。
道中で出会った素敵なものたちを読者にも見てもらいたいのだが、さすがに2週間分ともなると全てを書き出すのは大変なので、気の向いたところをちょくちょくとピックアップして記事にしていきたいと思う。
▲これは小樽で見たウミネコ。遠くからこちらの様子を伺うものもいれば、手を伸ばせば触れられそうなところまで近づいても逃げないやつもいて、警戒心の個体差が本当に猫のようだと思った
2週間というのは旅行期間としてなかなか非常識な部類に入るようで、あちこちで話す人たちに驚かれてしまった。しかし、北海道の大地は広大で、移動するのにいちいち時間がかかるため、道内のあちらこちらをぶらぶらしようとすると、いくら時間があっても足りないのである。
今回道内で訪れた場所を順番に書き出すと、
となり、よくもまあこれだけ走り回ったもんだと自分でも感心するくらいだ。
旅程の長さは、気持ちのありようにも影響してくる。旅先での振舞いが生活観を帯びてきて、逆に日常生活で普段の自分がどう生活していたかを忘れ始めるからだ。その普段の生活から心が離脱していく感じが大変心地よく、だから私は長旅が好きである。
グミが好きだ。
甘いくせに、妙な弾力があって、口にした者の顎を疲れさせるあの迂遠な感じが好きだ。
スナック菓子などは、歯にまとわりつくタイプのものはあまり好まないのだけれど、グミであればそのネチネチとした粘着質な食感をも愛してしまえるほどだ。
以前テレビで、プリンが大好きな人の「バスタブ一杯のプリンの中にダイブしたい」という夢を実現してあげるという番組を見たことがある(その人は、大量のプリンを無駄にしてしまう決心がつかず実行直前に棄権、完成した巨大プリンは関係者全員で分け合って食べることになったようだった)。
私も、グミでできたベッドで昼寝したいとまでは言わないけれど、口いっぱいにグミを頬張ったらどうなるんだろうという、危ない疑問を抱いてきた。しかし、これはなかなか実現困難なことだ。市販のグミは、大きいものでも精々親指の先ほどの大きさのものしか見たことがなかったからである。あれは、食べた人が喉に詰まらせることを警戒した予防措置なのだろう。
しかしながら、最近自宅で桜餅を自作しているときに思いついた。巨大なグミが売っていないのなら、自分で作ってしまえばいいのだ。桜餅と同じように。
調べてみると、グミを作る工程は極めて簡単であることがわかった。
思いついてから家庭でのグミの製法を知るまでにかかった時間は10秒以下、本当にいい時代だ。
グミの材料は
まず耐熱容器にジュースと粉末ゼラチンを入れ、電子レンジで加熱する。電子レンジから取り出した液に水飴を加え、アツアツのままよくかき混ぜてゼラチンを溶かす。
念のためもう一度レンジで加熱して、型に液を流し込み、冷蔵庫に入れて固まるまで待つ。
これだけである。
で、実際に作ってみた。
せっかくだから大中小の3種類を作ることにした。
一番大きなものは汁椀、真ん中がグラス(容積は汁椀の3分の1くらい)、一番小さいものはショットグラスに入れて固めた。
約3時間後、指で押してみてブニブニという弾力があるようなので、冷蔵庫から取り出した。予想以上に早く固まったので驚いた。
竹串をグミと容器の間に差し込んで、慎重にはがしてやる。なにせ大きいものだから、容器から出すときにパックリと割れてしまったらどうしようかと思っていたのだが、グミらしい粘りを見せて、無事に完全な形ででてきてくれた。こいつはゼリーではなく、れっきとしたグミなのだと実感した。
形のせいでゼリーっぽく見えるが、こいつは間違いなくグミだ!
堂々と居並ぶグミの三兄弟。
3つ並べてみると、大きさの違いがよくわかる。完成してから気づいたのだが、すでに中サイズでも一口で食べるのは無理である。
一番小さいやつから食べよう。こいつはたいした大きさではないので、無理せずとも一口で食べられる。
口に入れて歯を立てると、ザリュッというゼリーのような歯ごたえがあり、それからネチネチと歯にまとわりつく感じが一歩遅れてやってきた。うん、少し水分が多くてネチネチが物足りない感じもするが、これは間違いなくグミの食感だ。グミの自作に成功したのだ!
次は自作した梅シロップのグミを作ってみようとか、酒を使った大人のグミを作ってみた歯どうだろうとか、いろいろなアイデアが浮かんでくる。自作はほんとうに、いろいろな楽しみを与えてくれるのだ。
次は中サイズ。
こいつは一口では食べられない。口を大きく開けて、目一杯頬張る。
この形、めちゃくちゃ食べにくい。顎が外れなきゃいいけどと心配しながら、口を大きく開けてグミにかじりつく。ガブリ。ムチムチとしたゼラチンに分け入って行く感触が歯に伝わってくる。そうして、口はグミで満たされた。あとは咀嚼するだけである。
噛む。
余談だが、グミは柔らかい食べ物が増え子供たちの噛む力や口内の健康が損なわれることを危惧した、ドイツのハンス・リーゲル(Hans Riegel)という人が発明したらしい。彼は後に自分の名前の頭文字を入れた製菓会社を立ち上げた。かの有名なHARIBOである。
余談の間も噛む。
とにかく噛む。
噛む...。
なんだろう。口に入れた瞬間こそ、期待と喜びに満ち満ちていたのだが、噛んでいる時間が長すぎてだんだん飽きてきた。早く飲み込んでしまいたいのだが、よく噛まないうちに飲むことはそれ即ち窒息に繋がりそうで、そんなことは怖くてできない。
大変残念なことだが、口一杯にグミを頬張っても、とりあえず想像していたほどの多幸感がないことははっきりしてしまった。 口に入れてから、飲み込むまでの間がもたないのである。
これ以上大きなグミを追い詰めるようなことを書きたくないのだが、実を言うと、味や食感の点でも、小さいグミの方が勝っていた。
大きくしたことで独特のゼラチン臭がきつくなった。さらに、歯がブニッとしたグミの断面を受け止め、そこに割って入るときの感触はグミの大きな魅力だが、口を思い切り開いた状態で噛み付いても、そのような繊細な感覚はほとんど味わえないのだ。むしろ顎の筋を傷めそうですらある。
食べ物には、その魅力を最大限引き出すための、適切なサイズや形があるのだということが痛いほどわかった。
最後に一番大きいやつを食べる。
中サイズのグミを食べた今となっては、こいつの立ち位置が微妙になってしまったけれど、作った以上食べてやらなければならない。
両手で持って食べるグミ。
グミを通り過ぎた光が、口元に黄色い波を描いていて、なんだか黄金色の涎を垂らしながらものを食べているように見える。鏡餅のような扁平な形なので、先の中サイズのものよりもずっと口に入れやすいのがせめてもの救いである。
食べてみた感想は中サイズの時と変わらない。いや、なまじ大きくなったことでゼラチン臭が一層きつくなったり、そもそも糖分のとり過ぎで食欲が失せてきていたこともあり、ほんの一口二口食べただけで見るのも嫌になってしまった。
すまない巨大グミよ。せっかく作ったのに、お前の良いところを見つけて上げられなくて。
あえて言うなら
光を透かして見ると
金色に光って綺麗だったり
10年以上前に歯医者で歯形をとられて以来初めて、自分の詳細な歯形を観察できたことが、収穫と言えば収穫だろうか。
グミは市販品のサイズが適正。