この記事は、先日薪割りをした際に感じたことや、自分が薪割りの良い点だと思ったことをだらだらと書き連ねたものである。つまり、やったことは「薪を割る」ことのみである。だから、薪なんか毎日割っているから今更話題にしたくもないという人には申し訳ないけれど、そういう人がこの記事を読んでも得るところは何一つないことは間違いない。
そもそも薪を割ることになった経緯を説明しよう。
6月に2週間ほどかけて北海道を回ってきた。そのとき、最後の5日ほどを旭川市内の友人の実家で過ごしたのだが、この家には冬場に薪ストーブで暖を取るという優雅な習慣がある。
優雅な習慣を支えるには泥臭い作業が必要だ。薪ストーブを使うためには、山のような薪を用意しなければならない。そこで、泊めてもらったお礼がてらに、手伝いをしたわけである。
薪を作るためには、まず斧やらチェーンソーやらで木を切り倒して、運びやすいサイズにまで切り分けるところからスタートするのだろう。しかし、ここではその工程は省略する。なぜならその工程はすでに終わってしまっていて、私はやっていないからだ。
なので、まず必要になる作業は、積み上げられた丸太の山から割りやすそうな木を選ぶことである。
上の写真を見てほしい。これは、典型的な割りにくい木である。途中で枝分かれがあったり、大きな節があるような木は斧の刃がまっすぐに通らず割りにくいようだ。もちろん割ることが不可能なわけではないのだろうが、初心者なので素直な割りやすい木を選ぶことにした。
割りたい木を選んだら、次は住民を避難させる。
野ざらしにされた木にはいろいろな生き物が住んでいる。この木にはカタツムリとキノコムシがへばりついていた。
「万一地獄に落ちたときはよろしく」と言って、近くの植え込みに放り投げておいた。
ここまで済んで、やっと「割る」作業に入ることができる。
適当な高さの安定した場所に木を置いて、
斧を手にもつ。
当てそびれると斧の頭があらぬ方向に走って危険だから、よく狙いをつける。
ガスッ
という音がして、薪に斧が刺さった。
あれ、意外に固い...。気持ちよく、一撃で真っ二つになる絵を期待していた人には申し訳ないが、木がカラカラに乾燥していないとああいう風にはならないらしい。
このまましつこく上から叩いても、湿った木の中に刃がメリメリと食い込んでいくだけである。
ではどうするのかというと、180°向きを変えて、斧の方を台に叩きつけるのだ。
「んな馬鹿な」最初に教えられたときはそう思った。たしかに斧が台にぶつかったときの衝撃は薪に伝わるだろうが、これでうまく割れるようには思えなかったのだ。
パカーン!
うそお!綺麗に二つに割れて飛んでいった。何事もやってみないとわからないものだと思った。
それにしても、薪が割れて飛んでいったときの快感といったらどうだろう。これは思い切り力を込めて、固い瓶の蓋を開けたときに感じる達成感に似ている。自分の体の動きとその結果が綺麗に一直線上に並んだときにだけ感じられる、プリミティブな喜びなのだと思う。
割っているうちにだんだん技量が上がってくるのも薪割りの楽しいところ。
たとえば、こんな冗談みたいに太い木も
はい、パカーン!
真っ二つだ。おそれいったか。自分にこんなことができたなんて、本当に驚きだ。
それでも、長時間薪を割っていると、何度斧を振り下ろしてもはじき返してくる強靭な木に出会うことがある。比喩ではなく、金属製の斧が本当にボヨン!という感じではじき返され、手がビリビリと痺れるのだ。木が硬いのか、それともこちらが疲れて非力になってきているのか。
そういうとき、ムキになって力任せに斧を叩きつけたりしてはいけない。無理をすると怪我をしかねないからだ。ではどうするか。
そういうときは、素直に機械の力を借りればいいのだ。
ブオオオーンという低い作動音が聞こえ、一瞬遅れて木が裂けるメキメキという音が響く。固い鉄と力強い油圧の前では、割れない木などないんである(たぶん)。
「最初から機械で全部割っちゃえばいいんじゃないの?」という意見もあるだろう。しかしそれは、「薪ストーブなんかやめて石油ストーブにしたら楽なんじゃないの?」という見解に通じるものがあるため、却下だ。
それに、機械の動作は安全のため非常に緩慢なので、これだけで全ての薪を割ろうとすると冬に間に合わないだろう。
完成した薪の山。
達成感があってなかなか楽しかった。
私はもともと運動があまり好きではないのだが、薪割りは楽しかった。どうやらそれは体を動かすのが嫌いなわけではなく、目的が曖昧な運動が苦手であるようだ。
世の運動が決して無目的ではないのはわかっている。みんなが、健康や肉体美のために走ったりジムに通っているのは知っている。ただ、やはりもう少しわかりやすい目的というか、目に見えるわかりやすい成果がほしいのだ。だいたい、お金を払ってつけた贅肉を、お金を払ってジムで落とすなんて、悔しいではないか。
私のような人間のために、薪割りジムなんていうのを作ってみてはどうだろうか。薪を割りたい人が無料で(保険料くらいなら払ってもいい)好きなだけ薪を割れる場を作るのだ。運営費は割った薪を売ることで賄う。
なにも薪割りにこだわらなくてもいい。餅をつく、巨大なパン生地をひたすらこねる、暴れる羊を押さえつけて毛を刈り取るのもいいかもしれない。
人が増えてきたら、自然と競争が始まるだろう。たしか、オーストリアのどこかの村には草刈り大会なる催しがあって、村人たちは死神が持っているような昔ながらの巨大な鎌を使い、牧草を刈り取るスピードを競うのだそうだ。
仕事終わりに薪割りの練習をして、年に1度の薪割り競争に備える。本番では勝っても負けても、出来上がった薪を使って同じく競争しながらこねたパン生地を焼いたりバーベキューなどをしながら、互いの健闘をたたえあうのだ。
そんな世の中になれば楽しいのではないかと思う。
労働のあとに食べたスープカレーはとろけるように美味しくて、疲労でスカスカになった体に栄養がしみこんでいくようだった。