石垣島の食堂で見つけた、灰皿代わりに使われていたシャコガイの殻。
ちょっと大きい貝殻なんてここでは珍しくないから、我々からするともったいないなと思うような使い方も許されてしまう。
そういえば、オセアニアの島々では、細かく砕いた貝殻の破片に穴を開け、そこに糸を通して連結し、儀式用の仰々しい衣装を作ったりしていた。
石垣島でもそこまで凝ったことをしたのかは知らないが、資源の乏しい離島では、貝殻は生活用品を作るための貴重な材料なのだろう。
10月も終盤に差し掛かった頃、今年は昆虫採集をしていないことに思い至った。
なんとしても、今からでも虫たちと戯れたい衝動が抑えがたくなってきたので、思い切って、まだ暖かさののこっていそうな石垣島に生き物観察に行くことにした。そこにしかいない生き物をできるだけたくさん見られればいいやという気持ちもあったけれど、一番の目当てはヤエヤママルバネクワガタである。
マルバネクワガタは沖縄県の島嶼に生息しているのだが、離島という隔離された環境ゆえに、沖縄本島北部のオキナワマルバネクワガタ(通称:オキマル)、石垣島・西表島のヤエヤママルバネクワガタ(通称:ヤエマル)、与那国島のヨナグニマルバネクワガタ(通称:ヨナマル?)などに細かく分かれて進化している。それぞれのその島でしか見られない、とてもレアな虫なのだ。
石垣島へ
というわけでやって来た。記念すべき初の石垣島遠征だ。
泳いだりするには若干の季節外れであるため、空港は比較的落ち着いた雰囲気だった。とはいえ、夏を追いかけて南にやってきた私にとっては幸いなことに、ここの天気はまだまだ暖かい。さすが石垣島だと感心したけれど、聞くと、今年は例年の同時期に比べても暖かいのだという。
レンタカー屋で車を借りて走る道すがら、その辺に繁茂している緑が深いのに驚いた。歩道の上でさえ、ところどころここは草原かしらと思うほどに雑草が生い茂っているのだ。木を抜いたら何もかもが植物に呑まれてしまいそうだと思った。
交差点で信号待ちをしていると、犬が寄ってきた。首輪をしているので誰かの飼い犬なのだろうが、それにしてはあまりに自由すぎるのではないだろうか。車道のど真ん中を歩いちゃってるし。ともあれ、人間を除けば、島で最初に出会った動物だ。ウェルカム・ドッグである。
寄ってきてくれるのはうれしいのだけれど、警戒心をほとんど持ち合わせていないらしく、そのうち車に轢かれやしないかと心配である。
のんびりと草を食む石垣牛たち。
昼間は普通に観光することに
本格的な生き物探しは日没後にして、日中は普通に観光をすることにした。
展望台に上ると、島のほぼ全域を見渡すことができた。離島なのだから周囲を海に囲まれているのは当たり前なのだが、身近に水平線がある生活ってどんな感じなんだろう。
ハイビスカスの花に、アカホシカメムシがとまっていた。
お昼は島北部にある明石食堂というお店でソーキソバを食べた。
これまで食べた中で、文句なしで一番美味しかった。
石灰岩の張り出したいかつい海岸線。大根おろしが作れそうなくらいゴツゴツしている。
アダンの実。最初こそ珍しがっていたけれど、海岸のそこらじゅうに生えているのですぐに慣れてしまった。
オフシーズンとはいえ、これだけ綺麗な海を目前にして泳がないわけには行かない。海に潜ると、華やかな色の魚たちと戯れることができた。捕って食べたい欲がムクリと湧いてくるのを感じたけれど、ここは禁漁区なので叶わない。その代わり、襲われないとわかっているのだろうか、手が届きそうなところまで近づいても逃げないものもいた。
夜が来た!
そうこうしているうちに夜になった。生き物観察の開始だ。
リュウキュウコノハズクが電灯の上にとまっている。
ヤエヤマオオコウモリも現れた!図鑑でしか見たことのない生き物たちが続々と目の前にに出てくる。熱帯の夜は、闇の中のそこかしこにいろいろな生き物が這い回っている気配がして、否が応にも興奮が高まってくる。
クワガタを探すためには山の方に移動しなければならない。市街地や幹線道路を少し外れると、この通りの真っ暗闇だ。
ヘッドライトは必須である。
ヤエヤママルバネクワガタはイタジイという木によくいるらしいので、それっぽい木があるところを中心に散策する。
ふと上を見上げると、小鳥が木にとまって眠っていた。こちらに気づいて驚いたのか、写真を撮った直後に逃げ出してしまったので、悪いことをしたと思った。
予断だが、ほとんどの鳥はいわゆる鳥目ではない。暗くなってもある程度はものが見えているそうだ。
クワズイモの大きな葉の上に、サガリバナの花が落ちていた。夜に咲いて朝には花が落ちてしまうという儚い花である。
キリギリスの仲間(だと思う)。
集団で眠るアオスジコシブトハナバチたち。青く光る腹が綺麗だ。相当近づいているが、まったく逃げ出そうとしなかった。君たち、あまりに無防備じゃないかい?
カマドウマ。こいつのほかに、ズングリウマという名の虫も生息していて、文字通り普通のカマドウマよりもさらにズングリしているらしい。名前を聞いて「ズングリしているからズングリウマだなんてて...」とちょっとかわいそうになるネーミングに興味を引かれただけに、今回見られなかったのは残念だ。
サソリモドキ。サソリのような毒はないけれど、強い刺激をもつ酸性の液体を噴射することがある。サソリとクモをあわせたような外見で、攻撃方法はミイデラゴミムシとそっくりという、他の生き物から借りてきた特徴の寄せ集めで中途半端感があるが、他者の良いところをどんどん取り入れていく姿勢は見習わないといけない。
オオシママドボタル。胸部の上端に穴が二つ開いていることからの、この名前である。穴が開いたことで、後方が見えやすくなったりするのだろうか。
オオシママドボタルの幼虫。ヘッドライトを消すとあたりは本当に真っ暗になるので、光を放つホタルはかんたんに見つけることができる。
すっかりおなじみになってしまった外来種のオオヒキガエルもいた。在来種の虫を大量に捕食してしまうので目の仇にされてしまっているが、オオヒキガエル自体はゴツゴツとした造形がかっこよくて魅力的な生き物だ。もちろんここにいてはいけない存在ではあるけれど。
地を這う生き物たちが面白いので、ついつい目線が下がってしまった。クワガタを見つけるには、木の上の方を探さないといけないのだ。イタジイの木を探しながらどんどん森を分け入って行くことにした。
ヘッドライトの光が、ついに黒光りする甲虫を捕らえた。
「いたああああああ!」
と興奮して駆け寄ったけれど、なんだか小さい上に角も生えていない。
これは、オキナワコカブトムシというカブトムシの仲間である。
角が生えてないなんていってごめん。ほとんど出っ張りといったほうがよさそうなくらいの小ささだけれど、カブトムシの名に恥じず、ちゃんと角が生えているのだ。
とてもかわいらしい外見だが、こう見えて肉食の昆虫である。
それにしても、島嶼部の生き物たちには、オキナワ〇〇とかヤエヤマ〇〇とか、頭に地名がついているものが多い。沖縄に限らず、北海道の生き物にも頭に「エゾ」がつくものがたくさんいる。隔離された環境の生き物は地名を冠した名前をつけられがちであり、それがレア感を出すための記号のようになっていておもしろい。
ヤエマルと対面する
ガサッガサッと森の中を分け入って行くとひときわ太いイタジイの木が生えていた。クワガタが好みそうな穴も開いているし、直感的に「この木にいるな」と思った。近づいて木の周囲を回って調べてみると、果たして、黒くて大きな虫がへばりついているのを見つけた。
「本当にいた!」
見つけた瞬間はおもわず息を呑んだが、初対面の緊張がほぐれると、この喜びをつくづくと噛み締めた。ヤエマルがどんな虫なのかは知っていたし、採集記事などを読んでどこにいるのかも知っていた。しかし、そんな知識はこのすばらしい生き物を目の前に見ることができたという感動を少しも損なうものではなかった。知識が体験に変化するこの瞬間には、代えがたい価値があるのだ。この瞬間のためなら、どれだけ労力をかけることも苦にならない。
それにしても、黒く艶があって、なんてかっこいいんだろう。少し小さめだが、独特のカーブを描くアゴは丸っこい体からきちんと生えている。
採集禁止になっている希少種なので連れて帰ることはできない。ツーショットで記念撮影して、惜しみつつお別れすることに。
一通り撮影すると、木の洞のなかに引っ込んでしまった。 最初にわかりやすい場所に出てきていてくれたのは、本当に運がよかった。
茂みの向こうから...
興奮冷めやらぬまま車に引き返す途中、茂みの向こうから何かが動くガササッという音がしたので、歩みを止めて音のした方に集中した。耳を澄ますと、ブフーッブフーッという荒い息遣いが聞こえてくる。何か、大きな動物がいて、向こうもこちらの様子を伺っているようだった。ヤエマルを見られた喜びと山歩きで上気した体が、一瞬で凍りつくのがわかった。石垣島の山にいる大きな生き物といえば、おそらくイノシシだろう。こんな山奥で、こんな夜中に獣と対峙する恐ろしさがわかってもらえるだろうか。突進してこられたら、なすすべもなく突き倒されてしまうだろう。茂みを挟んでにらみ合っていた時間は、5分とも10分とも感じられた。木の枝や下草が視界を遮っていたけれど、相手がまだそこにいるのはわかった。いつまでもこうしているわけにもいかない。ためしに、大声を出して相手を威嚇してみた。反応がない。向こうも、こっちが怖くて固まっているのかもしれない。足を進めるためには足元を照らさないといけないが、そうすると相手のいる方が真っ暗になってしまって、心もとない。ヘッドライトを着けた頭をせわしなく動かして、足元と茂みの双方を小刻みに照らしながら、最初はじわじわと、3mほど距離が取れたところから少しずつ足を速め、逃げるように山を下った。
おまけ
石垣島における野良猫の立場を表現したポスター。ネコの朴訥とした表情がなんともいえず、笑ってしまった。いや、決して笑い事ではないのだが。
島の環境を脅かすのは外来生物だけではない。地元の人に聞いたところでは、石垣島は今プチバブルの状態にあるらしく、海岸の土地に新しくリゾートホテルを建てる計画がいくつもあるらしい。希少な生物の乱獲も後をたたない。このままいくと、ここにしかいないものたちはみんないなくなってしまって、どこにでもありそうな、温暖で、そこそこ海が綺麗な、ただの観光地だけが残るのではないだろうか。心配である。
先日和歌山に行ったときのこと。道端で山積みにされて売られていた金柑がかわいらしく美味しそうだったので、思わず二袋も買ってしまった。生で食べるのもよいけれど、たくさんあるので半分は甘露煮にした。
調理は非常に簡単で、まずは金柑のヘタをとり、包丁で皮に数箇所切れ目を入れる。鍋一杯のお湯で茹でこぼし、お湯を捨てる。鍋に金柑が浸かる程度の水を入れ、砂糖(量はお好み)を加えて煮詰める。煮ている間、辺りに金柑の清々しい甘い香りがたちこめるので、作っている最中からわくわくさせられてしまう。
これだけでも十分に素晴らしいお菓子なのだけれど、さらに一手間加えて、金柑ケーキを作ってみた。
材料は
まずバターと砂糖を室温で練り上げ、クリーム状にする。そこに卵と牛乳、ブランデーを入れてさらに混ぜる。小麦粉とベーキングパウダーをふるいにかけながら混ぜ入れ、最後に種をとってみじん切りにした金柑甘露煮を散らし、型に入れて、170度に予熱しておいたオーブンで40分かけて焼く。
以上、クックパッドの受け売りである。
マーマレード入りのパウンドケーキと似たような感じになるかと思っていたけれど、食べてみると、口いっぱいに金柑独特の香りが広がって、うれしくなった。
猟期が終わると、ハンターは都道府県から交付されている狩猟者登録証を返却しなければならない。それで、今日その発送を済ませてきた。捕獲の記録を載せた出猟カレンダーも同封だ。
出猟カレンダーを記入していると、猟期中の出来事が思い出された。初めて鹿が罠にかかったときのこととか、初めて鹿を撃ったときのこととか...。
経験したことを思い出すのはいいのだけれど、同時にやりたかったのにできなかったことも心に浮かんでくる。皮鞣しをやってみたかったけどできなかった、タヌキやヌートリアやアライグマを捕って食べてみたかったけどできなかった、イノシシを罠で捕りたかったけどできなかった...こう考えると、できたことよりもできなかったことの方が多そうである。悔しい!
でもこういう悔しさがあるから、次の猟期までにいろいろ準備してやろうという気が湧いてくるんやね。
『トムとジェリー』という短編アニメのシリーズをご存知だろうか。登場する主なキャラクターは、タイトルの通りトムとジェリー。トムが猫で、ジェリーがネズミである。
私は、小さい頃このアニメが大好きだった。それはもう、買ってもらったビデオのテープが擦り切れるくらい、何度も何度も飽きずに繰り返し見た。話の内容をほとんど覚えてしまって、次に何が起こるか全部わかるようになっても、それでも楽しく見た。たぶん、今見ても夢中になれるだろう。それくらいよくできたアニメなのだ。このアニメの第一話が放送されたのが1940年のアメリカだったと知って、そらあ戦争も負けるわと思ったのはずっと後の話なのだが、そもそもなぜこんな古いアニメのビデオが家にあったかといえば、親もこのアニメが好きだったからだと思う。
各話の内容はシンプルだ。だいたいの話は、トムとジェリーが追いかけっこをして、最後にトムがジェリーにしてやられるという大筋を踏襲している。トムは執拗に、時に驚くほど残酷に、知略の限りを尽くしてジェリーを追いかけて食べようとするのだが、最後には計略虚しく酷い目に会う。それも、生半可な酷い目ではない。銃で撃たれる、爆発に巻き込まれて黒焦げになる、ギロチンで首を刎ねられるなどなど。
幼い私は、見ていて悔しかった。当時実家では猫を飼っていた。だから、愉快なカートゥーンの中の出来事とはいえ、猫が痛い目に会うのが見ていて辛かったのだ。常にトムの考えの一歩先を読んだようにうまく立ち回るジェリーのことは、憎らしいとさえ思った。そして、飼い猫を撫でながら、猫に追いかけられたネズミが、あちこち逃げ回った挙句にがっぷりと猫の口に捕らえられるところを想像した。
時は流れて、今私が住んでいる古い部屋にはネズミが出る。学生時代からいくつか下宿を移ってきたが、部屋の床をネズミがトコトコと移動する部屋は初めてである。まあ、彼らのすることといえば床に糞をしたり、乾麺の袋を破って中身を齧ったりするくらいで、たいした実害はない。問題は猫の方だ。うちの下宿には猫もよく出没するのだが、こいつらが一向にネズミを捕まえようとしないのである。
自分の住むアパートが猫とネズミの両方が出没する物件だと知った時、忘れていた期待が心をかすめて一閃するのがわかった。大昔に夢見た光景に出会えるかもしれない。トムとジェリーを見て燻らせた、猫がネズミをギャフンと言わせるところを見たいという欲求が叶えられるかもしれないという期待である。
猫たちは、私の放つ思いを発止と受け止めて、矢のように走り稲妻のようにネズミを絡め取ってくれるはずだった。ところがそうはならなかったのだ。猫とネズミは同じ屋根裏にいるはずなのに、相変わらずネズミは部屋に現れたし、猫がネズミを咥えて満足げに見せにくることもなかった。それどころか、猫たちは共用の台所に置いてあった私の食事を盗み食いしたりした。
なんとも情けない話だが、猫にしてみればネズミを追いかけるより人間の食べ物を狙った方がはるかに楽チンであることは間違いない。幻滅もしたが、易きに流されるあたりがいかにも猫的ではある。最近では猫にネズミを捕まえさせることはすっかり諦めてしまって、盗み食いを叱られて以来私のことを警戒する猫たちと仲直りしようと苦心している。
※記事の内容は「こうすれば絶対に安全」というものではありません。毒キノコの喫食は自己責任でやりましょう。
▲全身で「俺を食べないほうがいいぜ」オーラを出すベニテングタケ。この見るからに毒々しいやつ(実際に毒がある)を、塩で毒抜きして食べた。
ベニテングタケのこと
私はキノコが好きなのだが、ずっと自分で採集してみたいと思いつつ手を出せていないキノコがあった。ベニテングタケである。(語呂がいいので、ベニテンと呼ぶことにする)主に白樺の森に生えるこのキノコは、私の住んでいる関西地方には自生しておらず、発生時期に自生地へ脚を運ぶ機会がなかなかなかったのだ。
ベニテンの魅力は、なんといっても見る人の心を奪うファンシーなその見た目だろう。ベニテンの名前を知らない人も、美しい赤色に白いイボをつけたあからさまに毒々しい外見はどこかで見たことがあるのではないだろうか。実際、ベニテンは強い毒を持っていて、食べても死ぬことは滅多にないにせよ、嘔吐、幻覚などの症状が出る。またその毒成分を活かしてハエとりに使われるため、本種の学名Amanita muscariaの「muscaria」は「ハエの」という意味なんだそうである。
さてこのベニテン、塩漬けすることで毒が抜けて食べられるようになるらしい。長野県の一部地方では、山がちな地形ゆえの食料生産の乏しさを補うため、ベニテンを毒抜きして食料にしていた歴史があるというのである。そしてなにより、それがなかなかに美味であるらしいのである。ベニテンの毒素は主にイボテン酸、ムッシモール、ムスカリンという成分で、このうちイボテン酸は毒成分であると同時に強烈な旨味成分でもあるというのだ。塩漬けすることで毒成分は多くが流出するが、わずかに残ったイボテン酸だけでも十分な旨味を感じることができるという。なんてこった。そんなことを知ってしまっては、危ないとわかっていても試してみないわけにはいかないじゃないか。
ベニテンを入手する
「今年こそはベニテン狩りにいこう!」
と決めて、はるばる長野県まで出かけたのは去年の10月初旬のこと。なんとしてもベニテンを食べてみたい!一口だけでもいい!という衝動を抑えきれなくなったのだ。
実際にベニテンを手にするまでのいきさつは、ここに書くと非常に長くなるので、後述する過去の記事を読んでもらいたい。3日間走り回った末にベニテンを手にすることができたが、ここにいたるまでには、いろいろな人の助けを借りたりの、なかなかの珍道中があったのである。
感動の対面をへて
記念撮影をしたり
ワイングラスみたいに持って、においを嗅いでみたりした。
▲土から出てきたばかりの、かわいらしい幼菌も見つけた。
こんなに鮮やかで美しいものが土から生えてくるなんて、信じられるだろうか。
まさに、見るものをメルヘンの世界に引きずり込む外見だ。真っ白な白樺の木が林立した森の中には霧が立ちこめていて、その林床には真っ赤なベニテンが点々と生えている。びっくりするくらい幻想的な光景だ。通りがかりのウサギが人語で話しかけてきても、それほど驚かなかったに違いない。
▼採集までの詳しい流れが知りたい人はこっちの記事を読もう!
塩漬けにする
さて、キノコは傷むのが早いので、さっさと保存のための処理をしてしまわないといけない。山を下りて、スーパーにて塩やジップロックなどの必要なものを購入する。ベニテンを袋から取り出して、レッツ塩漬け!
▲袋から取り出したところ。すでにちょっとしなびて、崩れてきているような気がする。
はじめにベニテンを水洗いして汚れを落とす。そこで閉口させられたのは、ベニテンアパートの住人であるトビムシの多さだ。ザバザバと水を流して、よし綺麗になったと思ったのも束の間、次の瞬間には傘の裏のひだの間から湧いて出てきて、洗ったばかりのベニテンの表面を這い回る。
3度ほど洗ってみても、一向にいなくならない。きりがないので諦めることにした。そもそも毒キノコを食べようというときに、これといって害があるわけでもないトビムシごときで騒ぐのもおかしな話だ。
▲ベニテンに大量に住みついていたトビムシ。遠目に見る分にはちょっとかわいい。
キッチンペーパーでベニテンの水気をしっかりと拭き取ったら、いよいよ塩漬けだ。毒抜きにどのくらいの量の塩が必要なのかはもちろん不明である。とにかく、景気よくいこう。
▲できた!
▲すでにちょっとベニテンの赤い色が塩に移ってきている。ホラー映画で、すさまじい霊力で清めの塩やお札が一瞬で黒く萎びてしまうのを連想した。
塩から取り出して食べてみる
時は過ぎて2月の末頃。なんとなく気が引けて、ずっと冷蔵庫の片隅にしまってあったのだが、意を決して食べてみることにした。結局4ヶ月以上塩漬けしていたことになる。
▲オレンジ色の色素と一緒に水分が染み出してタプタプになっている。きちんと毒抜きできただろうか?
▲だいぶ縮んでいた。
▲匂いを嗅いでみる。かび臭いというか、キノコ臭いというか...。とりあえず良い香りはしない。
▲一度にたくさん食べるのは怖いから、幼菌1本と成菌の傘を4分の一だけ取り出した。
上に書いたように、ベニテンの旨味は毒成分の味なのだ。つまり、毒抜きといっても、正確には毒成分を薄めているだけであり、完全に無毒化されたわけではないのである。だから一度に大量に摂取するのは危険である。
キノコの毒の強さは自生する地域や時期によっても変わってくるので、「これだけなら大丈夫」という基準は設定できないけれど、今回は1人丸1本食べるのは怖いからやめようということになった。で、とりあえず写真の量で二人分である。
▲水につけて塩抜き中
▲水気をよく拭きとって
▲何もつけずに焼く。純粋なベニテンの味を知りたいから、シンプルにいこう。
▲できた!
出来上がった焼きベニテンを前にして、しばし感慨に浸る。
美味いか不味いかわからない...それどころか食べられるかどうかもわからない一皿を食卓に供するまでに、いったいどれだけの労力が投入されたことだろうか。
まずは幼菌をいただく。これといった香りがしなかったことはすでに書いたけれど、加熱してもその点は変わらないようだ。
……。
うん、いけますねこれは!(背景が汚くて失礼)
驚くほど旨味が強い。というか、旨味以外の味が感じられない。噛んだ瞬間、ビリッと舌から脳を刺激するような、強烈な旨味成分があふれてくるのがわかった。化学調味料を塩と一緒に舐めたらこんな味がするのではないだろうか。
しかしこの旨味、どこかすんなりと飲み込めないものがある。例えるなら、カロリー0の人工甘味料を口にしたときに、普通の砂糖と比べて、なんだか舌にまとわりつくようなもやもやとした後味が残る、あの感じである。旨味は旨味なんだけれど、その背後になんとなく舌が痺れるようなケミカルな本性が見え隠れするのだ。いずれにせよ、自分の体がこの味に対して警戒心を解ききれていないのは間違いないようだった。まあ、毒キノコだと知ってて食べてるからかもしれないが。
噛むたびに引き締まった繊維質のザクザクという食感が歯に伝わってくるのは、天然物のシメジやマツタケに似ていなくもない。
成菌の傘の方も食べる。
美味いんだな、これが。
幼菌に比べて味が丸くなったようだ。味が薄い代わりに、味覚に旨味信号を無理やり叩き込まれているような不自然さがなくなった。食感はフニャフニャニしていて幼菌に劣るけれど、ごく微量だが、旨味以外にもキノコっぽいすえた味があるように思う。
尖がったところがなくなって、その分味に深みが出たのだ。言葉にするとなんだか人間じみているが、きのこの味の感想である。
いずれにせよ、普通のキノコに比べると味が旨味一辺倒の単純なものであることは変わらない。
一緒に食べた友人にも感想をもらった。曰く
「うまみに情緒がない。もし無毒でも好物にはならないと思う。あと、少量とはいえ毒を口にした緊張か、なんか疲れる。おいしさには香りとか安心感とか色んな要素が絡んでるんやなとわかった」
そうである。ベニテンを食べることで、安心して食べられる食べ物のありがたさがわかったのなら、苦労して用意した価値があったというものである。
▲そんなこんなで完食してしまった
さて、気になる食後の体調だが、食後丸一日たっても拍子抜けするくらいなんともならなかった。幻覚だの腹痛だのいろいろ言われて身構えていたので、ひとまずはほっと胸をなでおろす思いだった。これは、毒抜きが成功したと考えてよいのだろうか。
毒抜きが成功しようがしまいが、大量に食べるのは抵抗がある。毒抜きはあくまでもベニテンの毒素を薄めているだけだからである。だから残ったベニテンは捨ててしまうつもりだったのだが、苦労して手に入れたものなのでもうあと少しだけ食べてみることにした。
こちらは片栗粉をまぶして油で揚げてみたもの。
美味しいんだけどね、なんだか飽きてきたよ。
これが最後の実験。
こんなに旨味が強いなら、お湯を注いだだけでお吸い物になるのでは?という発想を試してみた。うまくいけば、天然のインスタント吸い物を発見したことになるわけだが…。
残念、これはちょっと味のついたお湯だね。
味が薄いのはベニテンの量を増やせばなんとかなるかもだが、いかんせん何の香りもついていない。ちょっと旨味がついただけの、ただの塩水である。実験は失敗に終わった。
まとめ
用心のため2日にわけて食べてみたけれど、いずれも体調に変化が出ることはなかった。塩に漬けて毒成分を抜くというのは、間違っていなかったのだと思う。聞いていた通り旨味が強いこともわかって満足なのだが、また食べたいかといわれると特にそうは思わない。美味しいのだけれど、あまりに旨味一辺倒というか、味が単純すぎてすぐに飽きてしまうのだ。それに化学調味料みたいな味だということは、ここまで手間をかけてベニテンを毒抜きせずとも、素直に化学調味料を舐めていればいいということになる。取り立てて栄養があるわけでもない、むしろ食べ続けると肝臓に毒素が蓄積するという話まである。食料が豊富な現代では、怖いもの見たさで食べてみる私のような人間以外は誰も食べないというのも納得である。というわけで、
結論:そこまでして食べるほどのものではない
それにしても
「キノコ 食品」でググると栄養成分表の上にベニテンのイメージが出てくるのは……どうなんだ?
狩猟で肉が豊富に手に入るようになると、いろいろな料理の仕方を試してみたくなる。
で、今回やってみたのが、以前から気になっていた低温調理である。
低温調理
肉をうまく加熱するのは、ほんとうに難しい。中心まで火を通そうとすると、外側に火が通り過ぎてぱさぱさになってしまう。かといってジューシーさを保とうとすると、中心部が生焼けの冷たいままでなんだか落ち着かない。
このジレンマを解決してくれるのが低温調理だ。その利点として、まず、食材全体に均一に火を入れられることがある。一定の温度を維持したお湯に長時間浸けておくことで、食材の外側であろうが中心部であろうが同じように、65℃なら65℃、70℃なら70℃で火を通した状態になるのだ。さらに、低温調理は食材をあらかじめ設定した温度で正確に加熱することができることも面白いところだ。このため、たとえばタンパク質が変性するかしないかのぎりぎりの温度での調理なんかも可能になってしまうのである。
必要な装置を作ってみる
低温調理器具でもっとも有名なのは、ANOVAという商品なのだが、これがなんと新品で買うと2万円以上する。たかが湯を沸かすための装置にそんな大金を払いたくない、吝嗇が骨の髄までしみこんだ私がそう思ってしまったとして、誰が責められるだろうか。
要はお湯の温度を一定に維持できればいいわけだから、サーモスタットにヒーターを接続するだけで自作できるのでは?と思って調べてみたら、案の定すでにやっている人がいた。
今回作ったものは、このサイトに載っているものをほぼ丸ごとコピーさせてもらった。使ってある部品まで同じである。パクリでありフリーライドである。先人に感謝である。
完成したのがこちら。お湯を入れるのに保温性の悪い容器を使うと電気代がすごいことになるらしいので、職場から不要になった発泡スチロール容器をもらってきた。
ローストディアを作る
適当な大きさに切った鹿の腿肉を
たまねぎのみじん切り、塩、コショウ、オリーブオイル(分量はすべて適当)とともにジップロックに封入。このとき、できるだけ空気が入らないようにすると、効率よく加熱できる。
65℃で3時間加熱する。水が65℃まで温まるまでにかかる時間を含めると、4時間近くかかった。
最後に、香ばしさを出すために、フライパンで表面を軽く焦がしたら完成!
断面が真っ赤だ!
ナイフを入れて驚いた。フライパンで炙ってできたほんの1,2ミリの焦げ目の層のすぐ下は、生肉かと思うような真っ赤な肉の塊だったのだ。
赤い!でもちゃんと火が通ってる!
ものすごく柔らかくてジューシーなのに、生肉のにちゃにちゃした感じがなく、しっかりと温かくなっている斬新な感覚だ。汁気たっぷりの生肉を食べていながら、「冷たいな」とか「寄生虫は大丈夫かな?」とかいった居心地の悪さだけを取り除いた感じと言ったら伝わるだろうか。気分は鹿の後ろ足に噛み付いているニホンオオカミである(絶滅したけど)。
すばらしい装置を手に入れてしまった。なんせ最初の味付けとサーモスタットの初期設定だけして放っておけば、いい感じに料理が出来上がるのだ。時間がかかるのは玉に瑕だけれど、手軽なんだからまあ我慢しよう。
鹿肉以外の食材も調理してみたいし、同じ食材が調理温度や味付けによってどんな風に変わってくるのかも試してみたい。すきあらば肉を湯にぶち込む日々が続きそうだ。