台湾を出発して、ときおり乱気流に揺られること10数時間、ついに花の都へやってきた。
もともとの予定ではドイツ以外の国に行くつもりはなかった。でも、ウィーンには確かすごく大きな自然史博があるし、街は綺麗だし、ちょうど友達が長期滞在してるし、ドイツの隣だし......なんやかんやと考えているうちにすっかりその気になってしまったのだ。
国単位で寄り道ができるなんて、大陸国家はなんて便利なんだろう。
台北発ウィーン行き飛行機では、非常口横でフライトアテンダントのお姉さんと向かい合わせになった席に座った。
「不時着したら非常口を開けるのを手伝ってもらうかもしれないから、そのつもりでいてね」
なんて物騒なことを言われたけれど、その代わり座席の前が通路になっているので好きなだけ足を伸ばすことができる。エコノミークラスの中では特等席である。
「最近は、日本のパスポートを持ってても入国審査であれこれ質問されることがあるけど、挙動不審にならないようにね」
というような趣旨のことを出国前に言われて戦々恐々としていたのに、だるそうな表情をした入国審査官は、こちらが
「グーテンタック」
と挨拶したのに、ひとことも喋らずパスポートにハンコを押して突き返した。早朝の到着だったから、夜勤明けで早く帰りたかったのかもしれない。
空港から市中心部へ直通している電車。
券売機が紙幣やカードをなかなか認識してくれず、切符を買うのに20分近くかかった。疲れた。
電車が地上に出た。見渡す限り真っ平らである。山だらけの国に住む者としては非常に新鮮な光景。
電車の中でまとわりついてきた蜂。ヨーロッパで最初に遭遇した、記念すべき(人間以外の)生き物なので、丁重に記念撮影をした。
自然史博物館に入る
地下鉄を乗り継いでしない市の中心部まで出てきた。
この、とてつもなく立派な建物がウィーン自然史博物館。今日の予定は、こいつを隅々まで見学することだ。
マリアテレジア像を挟んで真向かいには、外観がほぼ同じ美術史博物館が建っている。さすが、シンメトリーを愛するヨーロッパ人だ。
ただ、間違える人が続出したから自然史博物館の方には入り口の前に象のブロンズ像が置かれていて、子供達の遊具になっていた。
受付でチケットを買って中へ。外見同様、建物の中もすごい。威圧的とも言えるほどの装飾で柱や壁面や天井が埋め尽くされているのだ。たぶん一つ一つの装飾に意味があるんだろうけど、全部を見ていたら上を見上げた状態で首の関節が石みたいに固まってしまうだろう。
建物中央のドームを下から見上げたところ。どこを切り取っても対称で、まるで万華鏡を覗いているよう。
展示室に入る前にドームの下のカフェで養分を補給した。いざ、観覧。
生物の分類ごとにおおまかに展示が分けられている。はじめは微生物や寄生生物、次に棘皮動物や軟体動物、節足動物、魚類、両生類......と続いていって、最後が哺乳類だ。系統樹の枝分かれした先を、だんだん人間に近づいていくように歩いていくのである。
頭と尻の区別もないような生き物からはじまって、それらが目を得て、節を得て、だんだん「こっちの方」に近づいていくのを見るのはなかなかに感動的だ。もちろん、哺乳類から初めて逆回りに見て周ってもいい。
いずれにせよ、どの部屋も、展示の数も見せ方も展示物そのものも素晴らしくて、一つ一つの標本の前で立ち止まってしまうので、遅々として前に進めなかった。
写真や文では実際に展示室を歩いた時の感動を1000分の1も表現できなくてもどかしいけれど、数ある展示の中から「お!」と特に気を惹かれた物達を紹介していこう。
微生物・寄生生物
皮膚病にかかった犬の剥製。肋骨が浮いていい感じに衰えが再現されててすごい
ネズミを捕食する狐。こうして寄生生物や病気が広まっていくわけやね
棘皮動物・軟体動物
めちゃくちゃ棘が太い、パイプウニの仲間。ここまで太いと、刺さる心配がないからかえって安心。
テヅルモヅル!テヅルモヅルですよみなさん!
隣にいた白人のカップルが「気色悪い生き物だわー」みたいなことを言っているのを聞いてしまい、「ええ!こんなに美しくて魅力的な造形なのに!」と弁護したい気持ちになった。
イカをアピールしたい気持ちが、展示ケースを飛び出して壁面や頭上に吊り下げられた模型にまでほとばしってしまったと思しき一角。
イカの解剖標本。すごく丁寧な仕事!
子供達向けのレクチャーが催されていた。幼少期からみっちりと教育して、生き物好きのサラブレットを育成しようという心算ですよ、きっと。
節足動物
カニやムカデ達
めちゃくちゃ立派なテナガエビ。これに限らず、おおむねすべての標本が、そのサイズにジャストフィットするような容器に入れられていて、その細を穿った手のかけように感心する。
昆虫の部屋。大きな昆虫の模型がそこかしこに配置されていてワクワクする。
古風な展示ケースの中に、生息地から転送されてきたかのような環境展示が。
切り出した葉を運ぶハキリアリや、その巣に穴を開けて舌を突っ込むセンザンコウも全部本物で再現されている。もちろん実際にはここまで多くの生き物が一同に会することはまずないだろうが、そこは図鑑的演出。作り込みがすごすぎて気が遠くなりそう。
一番感動したのがこれ。透明のパネルを1枚渡しただけで、ちゃんと水があるように見える。
普通の標本も、もちろんたくさんある。
これは、蛾とその幼虫と、食草を一つ所にまとめた展示。
日本固有種のマイマイカブリも揃えられていた。遥々ここまで運ばれてきたのだね。
巨大なヤゴやゲンゴロウやヘラクレスオオカブトの模型が、古風な内装にまた不思議とマッチしているんだ、これが。
魚類
これまでとは一変して、改定をイメージした暗い照明。
サメの頭骨。パシフィック・リムのKAIJUっぽさがある。
シーラカンスの実物も置いてあった。
展示ケースの上に海底探査機の模型があり、チカチカとライトが点滅していた。展示も内装も重厚なので、ところどころに置かれた遊び心のある演出が映える。
両生類・爬虫類
オオサンショウウオと、コーカサス出身のヒレがすごくかっこいいサンショウウオ
この辺になると、体サイズの大きなものたちが増えてくるので、必然的に展示ケースの使い方も大胆になる。
カメレオンの骨格と剥製。皮膚の色がすごく綺麗。普通、剥製にすると皮膚の色は褪せてしまうので、上から顔料で着色しているのかもしれない。
大きなカメの骨格。
小さなウミガメの液浸標本。かわいい。
鳥類
ひたすら、展示ケースの中に鳥が並んでいる。剥製としての出来はだいたい良いのだが、ときどき「?」と思う物も混ざっており、裏方の職人の苦労がしのばれた。
ミミズクとハシビロコウ。
VIP待遇で展示されるオナガドリ。尾の長さに合わせて設えた専用ケースをわざわざ作ったのだろうか?
鳥の舌骨(舌の付け根のあたりの骨)のコレクションですってよ。綺麗なケースに行儀よく並べられたその様子は、なんだかお金持ちが所蔵するアクセサリーのコレクションのよう。
とにかく数が多い小鳥の標本。
アオショウビン。アカショウビンは何度か見たことがあるけれど、青い兄弟分がいるとは知らなかった。
哺乳類
ようやく哺乳類の展示に入った。初っ端からとばしてる。
ただただ可愛らしいカモノハシ。
大型哺乳類が一同に会する広場。中には、なんと100年以上前からここに置かれている標本もあるとのこと。博物館という場所の時間スケールの大きさを感じさせる。
なので、今は亡きステラーカイギュウの骨も当然のように置かれている。
似ているようでみんな全然違う。
「走ってるチーター!え、浮いてる?!」
と驚いてよく見たら、右前脚のつま先のあたりでわずかに接地していた。しかしすごい躍動感だ。
最後の締めはやはり霊長類でした。
広すぎて、1日で全部をちゃんと見るのは無理
現生生物の展示室をすべて見学し終えて気がついたのだが、ウィーン自然史博物館はとにかく展示物の密度がすごい。特に鳥の展示室などはそうで、所狭しと標本が並べられている。「お客さんが疲れちゃいけないから、程よく展示物の数を減らしましょう」などという、ゆとりな発想はここにはない。『展示物の数が多いこと=正義』なのである。
哺乳類の展示を見終わる頃には疲れてヘロヘロになっていたのだが、驚くことにこれでも博物館全体の半分を見たにすぎない。現生生物の展示はすべて2階にあるので、1階部分にはこれと同じ広さの古生物や、地学や鉱物なんかの展示が残っているのだ。
体力も時間も残り少ないので、もったいないけれど残りの展示はサッと見て回ることにした。
鉱物。これも、とにかく数がすごい。
ヨーロッパの有名な建築に使われた石材の標本。
大型肉食恐竜の模型。考証的な正しさは一旦横に置くとして、やっぱり恐竜は羽毛が生えていない方が断然かっこいい!
油断できないことに、背後に写っている小型恐竜の模型には羽毛が生えている。遠からず、手前の恐竜も羽毛ありのものに置き換えられるかもしれない。
何が可笑しいのか説明できないけれど、見ていて笑いがこみ上げてきた置物。
宿を求めて郊外へ
初日からヘビーな見学をしてしまい、お腹いっぱいの状態で地下鉄を乗り継ぎ郊外の宿へ。
観光地化していない住宅地の街並みも日本と全然違って、今更ながらヨーロッパにきたんだという実感が湧いてきた。
近場のスーパーで適当に買ってきたパンやチーズで夕飯を。こちらでは、温かい料理を伴わない夕飯は珍しいものではなく、カルテスエッセン(冷たい食事)と呼んで温かい食事と区別するそう。つまり初日からドイツ文化を堪能したというわけやね(レストランを探すのが面倒だったとも言う)