昔々。たぶん2015年頃。
うちの近所の山にたくさんヘビが出るので、捕まえて食べてみようということになった。
我々はそれまでも、セミやバッタみたいな「生まれた場所や時代が違えば普通にこれを食べていたかも......」と思えるようなものを実際に食べてみるという遊びをしていて、ついにその食指がヘビまで伸びたのだった。
沢のほとりで捕獲したヘビはシマヘビだった。虫かごの代わりに持ってきた洗濯ネットのなかでウネウネとうねる細長い体を見つめながら、なんとなくこのまま逃がして帰りたいような気もした。一同の中でそれを口に出す者はなかった。
ある友人が部屋と台所を貸してくれたので、みなみ会館の近くにあった彼のアパートで捌いて食べることになった。
蒲焼きと塩焼きの二通りで調理したシマヘビは、小骨が多くて食べにくいけれど美味しかった。捌くのも簡単で、首を落として皮を剥くだけである。内臓は皮にくっついて体から分離してくれるのだ。
サバイバル指南書などで、山で遭難して食料がなくなったらヘビを食べることを奨励しているものを読んだことがあるけれど、ヘビは本当に非常食として有能だったのである。
困ったのは生ごみの処理である。
ヘビの解体と調理に部屋を貸してくれた友達だったが、ヘビの生首や内臓を三角コーナーに放置して帰ろうとするとさすがに文句を言い始めた。
仕方がないので適当な場所に埋めて処理することにした。ヘビが活動していたのだからおそらく季節は春~夏だったのだろうと思う。我々はヘビの残りカスを入れた袋をもって、生ぬるい風が吹く夜の街に繰り出した。
埋める場所を見つけるのには難儀した。
民家の軒先は通報されそうなので論外。神社仏閣の類も気が引ける。街路樹の足下は土が固くて小さなスコップで掘り返すのが難しい。
誰かが「都会には土がないんだ!」と嘆いた。
結局、かなりの時間夜の街をさまよった挙句、ようやく都合のよさそうな植え込みを見つけて、埋めたような気がする。
2023年、初夏。
たまに一緒に仕事をすることのある方が『罠 the trap』と書かれたTシャツを着てやってきた。
思わず「なんですか、それは」と聞くと、待ってましたと言いたそうにニヤニヤ笑いながら説明してくれた。
『私立探偵 濱マイク』という永瀬正敏主演のシリーズものの映画がある。三作作られた映画のタイトルがそれぞれ『我が人生最悪の時』『遥かな時代の階段を』そして『罠 the trap』なのだという。罠Tシャツは三作目の公開を記念して作られたノベルティだった。
「イノシシやシカを捕まえるためのくくり罠ってあるでしょ?だから哺乳類が好きな人と仕事するときに着てくるようにしてるんです」とその人は言った。罠Tシャツは私に向けられた罠だったのだ。まんまと「それはなんですか?」と聞いてしまった。
三作全てを映画館で見たその人が言うには、一番印象に残っているのは『我が人生最悪の時』である。しかしそれは映画の内容よりもそのときの自分の状況によるところが大きくて、直前にバイクで転んでICUに入院していた自分とかぶって見えたからだと言っていた。
家に帰ってから、アマプラで配信されていないか調べてみた。映画はなかった。ただ映画公開の数年後に放送されたドラマシリーズは配信されていることがわかった。試しに見てみることにした。
第1話の冒頭。事務所で飼っていた金魚が死んで悲しむ濱マイク。アミダクジで負けて弔い係をやることに。金魚の死体とスコップを持って横浜の街を右往左往する濱マイク。そこで一言。
「都会には土がねえ」
背中の毛が逆立つのがわかった。
2023年8月4日
映画館で『我が人生最悪の時』を観た。
私がこの映画の存在を知って関心をもつのとほぼ同時に、30周年記念の4Kリマスター版公開が始まったのである。つくづくなんという偶然だろう。
金曜の夜だというのに座席はガラガラだった。たぶん観客の中で自分が最年少だったと思う。
しかし映画は面白かった。あえて白黒で撮影されることで情報量が削ぎ落とされたストイックな画面は美しかった。永瀬正敏演じる濱マイクのギロっとした目つきは野良犬みたいな満たされなさと攻撃性をたたえて鋭く、触れるものを切り刻んでいくような危険なかっこよさがあった。
いい映画と、いいタイミングで知り合えてラッキーだと思った。順次上映される残りの二作も観にこようと思った。次に罠Tシャツの人に会ったときに感想を言うのだ。
2023年8月5日
乗っている自転車の前輪にカバンを巻き込んで前転、顔から道に突っ込んだ。10年以上使ってきたメガネが大破。右目の横が裂けて大量に血が吹き出た。
まさに『我が人生最悪の時』
2023年9月9日
『罠 the trap』を観た。これで三作全てを映画館で観たことになる。
『罠 the trap』は各所に謎かけのような演出が散りばめられていて、三作の中で一番ミステリーとしてはツッコミどころが多いけれど、同時に考察すべき要素も多い作品だと感じた。クレジットを見るまで、濱マイクと犯人が永瀬正敏の一人二役だと確信が持てなかった。
転んでできた顔の傷は触るとまだ痛いけれど、少なくとも表面的にはだいたい直ったようである。
『濱マイク』三部作の監督である林海象の出身地が京都で、私が自転車で転んだところの目と鼻の先に彼の店があるということを最近知った。店の中に隠し扉なんかがある愉快なバーらしい。そのうち行ってみたいと思う。