ずっと5月ならいい

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2024年5月22日

今日はとても気候が良かった。太陽がサンサンと照っているのに暑くはなく、というか木陰に入ると半袖では肌寒く感じるくらいの気温で、湿度は低く、ただ屋外に立っているだけで多幸感に包まれるようなすがすがしい一日だった。

ここまで気分がいいと「気候がよいというだけでここまで幸せになってしまってよいものだろうか?」と逆に不安になってくる。もろもろの悩んだり苦しんだりすべきことを全部忘れてしまって、ただアホになってしまっているだけなのではないかと気を揉むのである。今日の私に比べたら、軒下の巣をせわしなく出入りするツバメの親やピーピー騒いでいる雛の方が、まだしも自分の来し方行く末に思いを巡らしているというものだろう。

河原町に出かけることにした。ここ一週間くらい家をあけていたから、今日は引きこもってゆっくりしようかと思っていたけれど、それではもったいない気がした。ツバメに負けたくない気持ちもあった。

外はやはり気持ちが良かった。自転車で南に向けて下っていると、肌の上を流れる風が爽やかで、疾走感も合わさって「ヒャー!」と声に出して叫びそうになった。

期限切れ間近のhontoポイントを使ってしまうために、丸善ジュンク堂に来た。自然科学の棚を冷やかしながら、そういえば文フリが入場料1000円をとるようになったという話を今朝Twitterで読んだことを思い出した。文フリはそれでも大盛況で、たいへんな混雑だったという。

目の前の書店の通路は空いていた。年中無料で入れる書店が閑散とは言わないにしても空いており、有料化した文フリに人が押し寄せているのは、両者の役割は違うのだとわかっていても頭の奥がむず痒くなるような気がした。金原ひとみの『アンソーシャルディスタンス』を買った。

外出したい欲は満たされたから帰ってもよかったけれど、ついでに東急ハンズで文房具を見て帰ることにした。不定期でノートに日記というか雑記というかを書くようになってからというもの、少し良いペンを使いたい気がしていたのだ。今使っているのは、いつか、何かの折に、誰かからもらって使っている名も知らない水性ペンである。こうして書いてみると、本当になんでうちにあるのかわからぬ謎のペンなのだが、謎なりに使い勝手は悪くはないため今日にいたるも現役である。

文具コーナーにはまるで植物園の花壇みたいに色とりどり、雑多な種類のペンが挿さっていて目移りがした。この時点で、何千もの銃口みたいにこちらに向けて置かれたペンに気圧され気味だったけれど、せっかく来たのだからと気を取り直してひたすら試し書きしていくことにする。

最後にペン類の購入を真剣に検討したのはずいぶん前だった気がする。そのときもこの世で生産されるペンの種類の多さに仰天した覚えがあるけれど、目の前にあるペンの山は当時よりいっそう細分化され、増殖したようである。パステルカラーを豊富に取りそろえたカラーバリエーションなどは、文房具というより画材ではないかと問いたくなるほどだ。

ペンはどれも書きやすかった。それでも各々に微妙にペン先の滑りというか、書き味に違いがあって、その差異を見極めて、自分にとってのとっておきの一本を見つけるため、ひたすら試し書きした。「良い天気」という文字を30回近く書いてから、糸が切れたようにアホらしくなった。買うのをやめて店を出た。さんざん売り物で遊んだ挙句、一円も使わずに出てきたのだから、文句なしのクソ客だ。でも今日の私はこの気候のおかげでたいそう気分がいい。よろこんでクソ客の罵りを受けようではないか。外に出ると、日は傾き始めていたけれどやっぱり気持ちが良くて、最高の一日はまだ終わっていなかったんだと嬉しくなった。この気候がずっと続けばいいと思った。一年中、ずっと5月ならいいのに。

業務スーパーで2L入りのアイスを買って帰った。夏が始まったら、一度嫌になるまでアイスを食べようと、春先から考えていたのだった。ストロベリーとバニラが半々に入ったアイスは値段相応の安っぽい味がした。その安っぽさすら軽やかに感じられた。調子にのって三分の一くらい食べたところで、それまで喜びに弾んでいた体が急に冷えてきて、幸福な一日はあっけなく終わりを告げたのだった。