真っ赤なタマゴタケを採って食べる

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以前に紹介したベニテングタケは、見た目の素晴らしさとは裏腹に毒があり、しかも毒抜きしてまで食べたいという味ではなかった。天は二物を与えないのだろうか?いや、この世には、「きれい」と「うまい」を兼ね備える素晴らしいキノコもあるんである。その代表が、タマゴタケだ。

 

採集する

タマゴタケの発生時期は6月末から10月の頭頃までなので、本当はもっと早くに探しにくるつもりだったのだが、なんだかんだで滑り込みになってしまった。

やってきたのは、神戸市近郊のとある山中。べにてんぐの会(@benitengunokai)さんが作っておられるタマゴタケ発生地リストによると、この山では2016年10月初頭の時点でタマゴタケが発生していたという情報がある。

タマゴタケは毎年同じ場所に発生することが多いので、去年の情報をもとに、同じ時期に同じ場所を探せば、出会える可能性が高いのである。

 

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途中で見つけたイノシシのぬた場。

山に入って驚いたのが、イノシシの痕跡の多さだ。登山道は獣にとっても歩きやすいため、道の両脇にはまるで重機で荒らしまわったような、イノシシが餌を探して表土を掘り返した跡が続いている。痕跡にとどまらず、一度などは進行方向の10mくらい先をイノシシが斜面を猛スピードで駆け下りて行くのも目撃した。神戸市の住宅街では頻繁にイノシシが出没するらしいが、本当に数が増えているのだろう。

これは、タマゴタケが出てきてもすぐに食べられてしまうんじゃないか...という不安がよぎる。

 

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最初に見つけたのはテングタケだ。ベニテングタケと同じく、イボテン酸をもつ毒キノコだ。

 

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こちらはチシオタケ。

他にもいろいろ生えていてそれなりに盛り上がったのだが、肝心のタマゴタケがなかなか見つからない。

タマゴタケは派手な赤色をしていて、そばを通れば見落とすことはなさそうなので、今年は生えていないのだろうか?

 

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麓の林道を散策して帰るつもりでいたのに、そこそこ高いところまで登ってきてしまった。

 

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「あ!赤いのがある!」と飛びついたら、人工物だった。紛らわしい。

 

その後も、赤い落ち葉だの、登山道をマーキングするための赤いテープが落ちたのだのに反応していちいち飛びついていたが、本物のタマゴタケは見当たらない。

山の中腹まで上って、これは頂上まで登ってしまうことになるなと思っていたときに、視界の端にオレンジ色のものが写った。疲れていたけれど、赤い影に対して条件反射的に振り向いた先にそいつはいた。

 

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あった!こんどこそ本物だ。

 

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少し色が薄くなっているけれど、条線が入った赤い傘に

 

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だんだら模様の軸と、根元の白いツボ。

 

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間違いなくタマゴタケだ!

 

ようやく1本目を見つけたわけだが、このあと立て続けに5本ほどが見つかった。

どうも、この山では中腹から山頂にかけての、広葉樹と針葉樹が混合して生えているエリアに発生が集中しているようだ。群生とまではいかないが、発生時期の終盤としては上出来だろう。

 

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手前はツボから出てきたばかりの子供キノコ、奥はもう少し成長して傘が開いてきたお兄さんキノコ。

 

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卵形の白いツボを突き破って映えてくるから、タマゴタケと呼ばれている。ツボを割って出てくる前の状態のものも探して見たのだが、残念ながら見つからなかった。来年はあと1週間ほど早い時期に来るといいかもしれない。

 

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傘が大きく開く前のものは、本当に真っ赤な色をしている。まるでプラスチックで出来ているような質感だ。

 

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ピエロやトナカイの鼻のような、戯画的な赤さ。

 

生で食べてみる

タマゴタケは数少ない生食することができるキノコだ。

というわけで、土をよく払って採れたてを齧ってみた。

 

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ムシャリ。

ん、これは凄い!

まず、特筆すべきはその無臭だ。生のキノコには独特のかび臭さがあって、顔に近づけたときに押し寄せてくるその匂いのせいで本能的に食べ物として認識されないのだが、タマゴタケにはそういった拒否感をもよおす匂いがまったくない。安心して生のまま口に入れられるのだ。

そして、素晴らしいのがその味だ。程よく歯ごたえのある食感を楽しみながら噛んでいると、ナッツのような香ばしさとコクのある良い味が口いっぱいに広がるのだ。

マッシュルームのようにサラダにして食べたらどんなに素晴らしいだろうと思う。

 

調理して食べる

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持ち帰った1時間ほどキノコは塩水にさらす。

 

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タマゴタケから溶け出した赤い色素で水に色がついている。そして水の底には、タマゴタケから出てきた虫たちが。

タマゴタケは無臭であるためか、普通のキノコのように傘の中に虫が入っていたりはあまりしないようだった。だから生食する気にもなったのだが、やはり土と接する根元の部分にはこうした幼虫たちが入り込んでいたようだ。

 

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断面は白い。

 

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一品目はタマゴタケのオムレツだ。

塩と一かけらのバターで味をつけたタマゴタケを、オムレツの中に巻き込んだ。

 

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シンプルな料理なのに、なんとも豊かな味なので驚いた。タマゴタケの食材としてのアドバンテージがそれだけ凄いということなのだろうが、塩と油が加わったことでナッツ系の味にふくよかさが増したようだ。

生食したときよりも、タマゴタケの各部位の食感の違いが際立つのも楽しい。傘はヌメヌメ、軸はシャキシャキ、根元はザクザクとした歯ざわりがおもしろい。

 

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こちらはバルサミコ酢とオリーブオイルでマリネにしたもの。

 

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液漬けにしたことで、傘のぬめりが一層強調された。酸味が追加されたことで、タマゴタケ本来の味は少しわかりにくくなったかも...。しかしきのこ料理として一級の美味しさをもっていることは間違いない。

 

まとめ

タマゴタケは、キノコ狩りの対象になるために生まれてきたようなキノコだ。

赤くて派手な外見は山の中でとても見つけやすいし、特徴的な外見なので見間違えようがない(一応、外見が似ている種としてタマゴタケモドキというキノコがあるのだが、取り違えるほどにそっくりだとは思われない)。ファンシーでかわいらしい外見は、見つけただけでハッピーな気分になれること間違いなしだ。

臭いがないので虫がつきにくいし、毎年同じ場所に生えるので、一度見つけてしまえば定期的に採集できる。

そしてなにより、これが一番大事なのだが、味がいい。しつこいようだが、味は一級である。毒抜きしたベニテングタケの不毛な旨味とは大違いである。

今年のタマゴタケシーズンはもう終わりだが、来年も採りに行きたい、願わくば次はタマゴ型のツボに収まった状態の幼菌を見つけて食べてやりたいと思う。

 

 

 

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奈良公園で鹿とルリセンチコガネに会ってきた

暑くもなく寒くもない、思わず死ぬまでこんな日が続けばいいのにと思ってしまうような素晴らしい気候だったので、京都から奈良までサイクリングすることにした。ちょうど、猟期が始まる前に目一杯鹿を見ておこうとか、ルリセンチコガネを観察しようとかで、奈良に行きたいと思っていたところだったのである。

気候の快不快に関係なく京都から奈良までの道のりは遠く、道に迷っている時間も含めておおよそ3時間ペダルを漕ぎ続けた脚はパンパンになってしまった。そんなことで初っ端から足取りは重かったけれど、久しぶりに見る奈良の風景は同じ古都でも京都とはぜんぜん違って面白かった。

 

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春日大社の鹿。写真写りを心得てか、段差のところにじっと立って、人々が構えるカメラに順番に目線が合うように首を振っていた。

 

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子連れの鹿。餌をくれそうな人間にペコッと頭を下げているようだった。

 

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地面を掘って土に頭をこすり付ける鹿。

あまりにだらしがないので、尻のあたりをつま先でつついてやると、なんとガバッと起き上がるがはやいが、興奮した様子で頭突きをしかけてきた。頭突きは私の腹のあたりに命中したが、角が切られていたのでどうと言うことはなかった。角切りの大切さを身をもって実感した。

 

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お目当てのルリセンチコガネもちゃんと見つけた。

生き物の糞を食べる糞虫に、オオセンチコガネというやつらがいる。うんこを食べる汚い虫というイメージにそぐわず、その光沢のある体色は色彩変化に富み非常に美しい。

ルリセンチコガネとは、その中でも体色が青色のものを指す俗称である。もともとこの青いオオセンチコガネは奈良県を含む紀伊半島を中心に分布しているのだが、いたるところに鹿の糞が散らばっている奈良公園はその一大産地なんである。

 

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青くて、本当に綺麗。

ところで、海外には糞虫を食べてしまう昆虫食文化をもつ国もあると聞くが、私はまだチャレンジする気にはなれない。いや、素揚げになった状態で出されたら食べるかもだけれど、自分で作る気分にはならない。いつか気が変わるときが来るだろうか。

 

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動物だけでなくて、古くて綺麗な町家も見学した。

帰りは自転車を分解して袋に包み、近鉄電車に乗って帰った。

 

 

 

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インセクトフェアで買った虫とか

大手町のサンケイビルで催されたインセクトフェアに行ってきた。

インセクトフェアは日本最大の規模の昆虫標本即売会なので、混雑するだろうなとは思っていたのだが、2つのフロアを埋め尽くす虫と人の数は予想をはるかに上回っていた。日本中の虫好きたちが集まっているのだから無理もないのだろう。後で聞いたところでは、日本どころか世界で一番大きな即売会なのだそうだ。

売られている虫たちは、人の顔ほどもある世界最大の蛾ヨナグニサンから、吹けば飛ぶような胡麻粒大のヒメドロムシの仲間まで様々だ。

あれもほしいこれもほしいと目移りしながら見ているだけで2時間以上がたってしまった。欲を出せばキリがないので、とりあえずオサムシ科を中心に物色することにした。

買ったものたちをいくつか紹介する。

 

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中国産のテイオウカブリモドキ

大陸のカブリモドキは、色も形も個性的なものが多くてついつい集めたくなってしまう危険な虫である。

 

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前に買ったシナカブリモドキと並べてみた。

 

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北朝鮮妙高山で採集されたカブリモドキの仲間。

誰が採集して、どういう経緯で日本の即売会で売られるに至ったのか、いろいろと物語を感じさせる一品だ。

 

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マダガスカル産のニシキカワリタマムシ

 

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新しい情報を仕入れられるのも、虫好きが一同に会する場の醍醐味だ。これは、会場で配られていた北海道産のオサムシについて書かれたフリーペーパーなのだけれど、紙面に衝撃的な文章を見つけてしまった。

 

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千歳市美々周辺の開発、環境変化は予想を超えるスピードで進んでおり、まとまった数の採集が難しくなっております

 

あ、ちょうど今年の6月にそこに採集しに行ったわ...。オオルリオサムシの一大生息地のはずがちっとも採れなかったのは、そういうわけだったのね。

情報の更新は大切だなと思った。

 

 

 

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薪割り三昧

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この記事は、先日薪割りをした際に感じたことや、自分が薪割りの良い点だと思ったことをだらだらと書き連ねたものである。つまり、やったことは「薪を割る」ことのみである。だから、薪なんか毎日割っているから今更話題にしたくもないという人には申し訳ないけれど、そういう人がこの記事を読んでも得るところは何一つないことは間違いない。

 

そもそも薪を割ることになった経緯を説明しよう。

6月に2週間ほどかけて北海道を回ってきた。そのとき、最後の5日ほどを旭川市内の友人の実家で過ごしたのだが、この家には冬場に薪ストーブで暖を取るという優雅な習慣がある。

優雅な習慣を支えるには泥臭い作業が必要だ。薪ストーブを使うためには、山のような薪を用意しなければならない。そこで、泊めてもらったお礼がてらに、手伝いをしたわけである。

 

薪を作るためには、まず斧やらチェーンソーやらで木を切り倒して、運びやすいサイズにまで切り分けるところからスタートするのだろう。しかし、ここではその工程は省略する。なぜならその工程はすでに終わってしまっていて、私はやっていないからだ。

 

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なので、まず必要になる作業は、積み上げられた丸太の山から割りやすそうな木を選ぶことである。

上の写真を見てほしい。これは、典型的な割りにくい木である。途中で枝分かれがあったり、大きな節があるような木は斧の刃がまっすぐに通らず割りにくいようだ。もちろん割ることが不可能なわけではないのだろうが、初心者なので素直な割りやすい木を選ぶことにした。

 

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割りたい木を選んだら、次は住民を避難させる。

ざらしにされた木にはいろいろな生き物が住んでいる。この木にはカタツムリとキノコムシがへばりついていた。

「万一地獄に落ちたときはよろしく」と言って、近くの植え込みに放り投げておいた。

 

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ここまで済んで、やっと「割る」作業に入ることができる。

適当な高さの安定した場所に木を置いて、

 

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斧を手にもつ。

当てそびれると斧の頭があらぬ方向に走って危険だから、よく狙いをつける。

 

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ガスッ

という音がして、薪に斧が刺さった。

あれ、意外に固い...。気持ちよく、一撃で真っ二つになる絵を期待していた人には申し訳ないが、木がカラカラに乾燥していないとああいう風にはならないらしい。

このまましつこく上から叩いても、湿った木の中に刃がメリメリと食い込んでいくだけである。

 

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ではどうするのかというと、180°向きを変えて、斧の方を台に叩きつけるのだ。

「んな馬鹿な」最初に教えられたときはそう思った。たしかに斧が台にぶつかったときの衝撃は薪に伝わるだろうが、これでうまく割れるようには思えなかったのだ。

 

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パカーン!

うそお!綺麗に二つに割れて飛んでいった。何事もやってみないとわからないものだと思った。

それにしても、薪が割れて飛んでいったときの快感といったらどうだろう。これは思い切り力を込めて、固い瓶の蓋を開けたときに感じる達成感に似ている。自分の体の動きとその結果が綺麗に一直線上に並んだときにだけ感じられる、プリミティブな喜びなのだと思う。

 

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割っているうちにだんだん技量が上がってくるのも薪割りの楽しいところ。

たとえば、こんな冗談みたいに太い木も

 

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はい、パカーン!

真っ二つだ。おそれいったか。自分にこんなことができたなんて、本当に驚きだ。

 

それでも、長時間薪を割っていると、何度斧を振り下ろしてもはじき返してくる強靭な木に出会うことがある。比喩ではなく、金属製の斧が本当にボヨン!という感じではじき返され、手がビリビリと痺れるのだ。木が硬いのか、それともこちらが疲れて非力になってきているのか。

そういうとき、ムキになって力任せに斧を叩きつけたりしてはいけない。無理をすると怪我をしかねないからだ。ではどうするか。

 

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そういうときは、素直に機械の力を借りればいいのだ。

ブオオオーンという低い作動音が聞こえ、一瞬遅れて木が裂けるメキメキという音が響く。固い鉄と力強い油圧の前では、割れない木などないんである(たぶん)。

「最初から機械で全部割っちゃえばいいんじゃないの?」という意見もあるだろう。しかしそれは、「薪ストーブなんかやめて石油ストーブにしたら楽なんじゃないの?」という見解に通じるものがあるため、却下だ。

それに、機械の動作は安全のため非常に緩慢なので、これだけで全ての薪を割ろうとすると冬に間に合わないだろう。

 

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完成した薪の山。

達成感があってなかなか楽しかった。

 

私はもともと運動があまり好きではないのだが、薪割りは楽しかった。どうやらそれは体を動かすのが嫌いなわけではなく、目的が曖昧な運動が苦手であるようだ。

世の運動が決して無目的ではないのはわかっている。みんなが、健康や肉体美のために走ったりジムに通っているのは知っている。ただ、やはりもう少しわかりやすい目的というか、目に見えるわかりやすい成果がほしいのだ。だいたい、お金を払ってつけた贅肉を、お金を払ってジムで落とすなんて、悔しいではないか。 

私のような人間のために、薪割りジムなんていうのを作ってみてはどうだろうか。薪を割りたい人が無料で(保険料くらいなら払ってもいい)好きなだけ薪を割れる場を作るのだ。運営費は割った薪を売ることで賄う。

なにも薪割りにこだわらなくてもいい。餅をつく、巨大なパン生地をひたすらこねる、暴れる羊を押さえつけて毛を刈り取るのもいいかもしれない。

人が増えてきたら、自然と競争が始まるだろう。たしか、オーストリアのどこかの村には草刈り大会なる催しがあって、村人たちは死神が持っているような昔ながらの巨大な鎌を使い、牧草を刈り取るスピードを競うのだそうだ。

仕事終わりに薪割りの練習をして、年に1度の薪割り競争に備える。本番では勝っても負けても、出来上がった薪を使って同じく競争しながらこねたパン生地を焼いたりバーベキューなどをしながら、互いの健闘をたたえあうのだ。

そんな世の中になれば楽しいのではないかと思う。

 

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労働のあとに食べたスープカレーはとろけるように美味しくて、疲労でスカスカになった体に栄養がしみこんでいくようだった。

 

 

 

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『好きだった人』の歌詞

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古い歌の話で申し訳ない。

1970年代初頭にリリースされた、かぐや姫というバンドの『好きだった人』という歌がある。

歌詞の中身は、失恋した相手の思い出をつらつらと連ねていくだけなのだが、その中に

 

好きだった人 アベレージが102だった

 

というフレーズが出てくる。

私は長らく、この「アベレージ」という言葉が何を意味しているのかわからなかった。アベレージ、アベレージ...直訳すると「平均」だけど、何の平均なのだろう?ひょっとして学校の成績?でも、失恋した相手の回想でわざわざそんなものに言及するだろうか?

 

つい最近になってから謎が解けた。結論から言ってしまうと、このアベレージとはボウリングのスコアのことを言っているらしい。私自身がボウリングに興じた経験が数えるほどもないので思い至らなかったのだが、なるほど、道理で102などという中途半端な数字が出てくるわけだ。

1970年代初頭には空前のボウリングブームがあったそうだから、「好きだった人」と遊んだ思い出にボウリングが欠かせなかったのも納得である。

 

ある集団の中でしか通用しない言葉の使われ方がある。社内用語とか、業界用語とかはわかりやすい例だ。人間が二人以上集まれば言葉を使って対話し始める。そして、その中で言葉の意味はガラパゴス的な進化を遂げる。それどころか、ひょっとしたら自分一人の中でしか使えない意味だってあるかもしれない。

『好きだった人』の「アベレージ」は、ある時代のある熱狂の中にいた人たちだけが共有できたことばの意味(実際、ボウリングブームはものの数年で去ったらしい)が、たまたま歌の中に閉じ込められて人目につく形で永久保存された例だろう。

 

ちょっと古い映画を観たり、小説を読んでいるときにも似たようなことがある。目や耳で追うことと同時並行で頭に入ってくる言葉の意味の流れにつっかかりが生まれ、そこに意識がフォーカスするのだ。たいていはその場で「お!」と思っただけですぐに忘れてしまうのだが、鑑賞している作品が素晴らしいときなどは、それを作った人と自分の間にある断絶が実感されて、少しだけ寂しい気持ちになる。

しこりのように残る理解のずれが気になって、話が頭に入ってこないから、そんなときは、映画なら一時停止、本ならいったん机の上に置いて、モヤモヤを晴らすようにしている。

 

 

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生姜シロップを作る

生姜シロップを作ってみた。

作り方は至って簡単で、生姜を薄切りにして同じ重さの砂糖と混ぜ、浸るくらいの水を入れて30分ほど煮込む。これだけだ。お好みで唐辛子やクローブといったスバイスを少量加えてもいい。

 

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炭酸で割ればジンジャーエールに、紅茶に入れれば生姜紅茶に。

生姜には体を温める効果があるらしいから、朝晩の冷えるこれからの季節に重宝しそうである。

 

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子供の頃、ジンジャーの意味を知る前からジンジャーエールを飲んでいたので、

ジンジャーエールのジンジャーは生姜っていう意味の英語で、これは生姜ジュースなんだよ」

と教えられたときの衝撃は大きかった。

え、生姜!?あのビリビリする辛いやつがこんな甘いジュースに!?

拙いなりに積み上げてきた常識(という思い込み)がガラガラと崩された瞬間だった。

その後、そのへんのスーパーで売っているペットボトルのジンジャーエール(私が良く飲んでたやつ)には、実は生姜は使われていないということを知ってさらにショックを受けるのだが、これはずっと後になってからのことだ。

偶然、原材料表示を見て真実を知ったときには、裏切られた気分になった。ジンジャーは生姜なんだから、ジンジャーエールには生姜が入ってて当然...だったはずでは?言葉の意味を知って賢くなった気でいたのに、私はまた騙されてしまったのか...。

 

生姜なんかがジュースになるわけないと思っていたのに、生姜ジュースだと言われ

生姜ジュースだと思って飲んでいたのに、実は生姜は入っていなかった

 

二重トリックの味、ピリリと辛いジンジャーエール

 

 

 

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シナカブリモドキ

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シナカブリモドキの標本を買った。

以前うみねこ博物堂で購入したプリンキパリスカブリモドキとは、同じ中国産カブリモドキでもイボのパターンや色が違うのだ。

中国のカブリモドキは本当に美しい見た目を持つものが多くて、蒐集欲をくすぐってくれるものが多くて困ってしまう。

 

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もともと物をきちんと管理するということがすごく苦手で、虫の標本や拾った動物の骨なんかも、タッパーに入れたり棚にそのまま置いたりしている。きちんとした箱に入れて保管してやりたいと心では思いつつそのままにしてきたけれど、そろそろなんとかしてやらないといけないかもしれない。

来週末は大手町のインセクトフェアに行く予定である。また物が増えそうな予感!

 

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